第二章 天つ都の守り人

天つ都 

 彩季は心地よい微睡みの中にいた。


 柔らかな寝心地。

 いつもの布団だ。

 そして、この感覚はサクラの尻尾。

 また起こして来いって、母さんに言われて階段を上がって来たのだ。

 ドアは閉めてあった筈なのに、拓海のヤツ開けてやったんだな。

 髪を引っ張られたり顔を舐め回されたり。

 たまにはヤツも味わったらいいんだ。

 しかし次の が来ない。

 まさか、*あてつけションか!

[*飼い主に構って貰えないと、あてつけで放尿する子犬がやってくれる室内では許せない所業]

 彩季はハッと目を開けた。

 木漏れ陽、草の匂い。

 傍らに立つ白い……

「えっ!」

 彼女の顔を覗き込んでいたのは、犬のサクラではなく、見ず知らずの白い馬だった。その顔の大きさに驚いて飛び退くと、馬もビクリとなって一歩退いた。

「私、眠っちゃったんだ。今度は何処にいるのよ。牧場? ウソ! 如月さん!」

 いきなり起き上がろうとして、肘と背中に走った激痛に呻きながら横へ転がる。

 心無しか身動きがし難い。袖が? ズボンの幅が?

「着物? 袴? 何で着物なんか。」

 彩季は状況を掴もうと草に手をついて起き上がり地面にやっと座ったが、ふと見た自分の手に驚いた。自分の目が信じられず慌てて足も袴の裾から出してみて、唖然としてしまった。どちらも有り得ない。どう見てもプニッと子供サイズなのだ。

 不意打ちだ。何だこの現象……

「どっ、どう言う事?」

 慣れない感覚に頭を触ってみた。

「髪が結ってある……何で? ここ何処?」

 背中に痛みが走ったがそれでも彩季は肩を押さえて立ち上り辺りを見回した。広い牧草地の向こうに木立や民家が何件か見えたが人影は一つも無く、彩季が根元にいるこの大木は緑の草地の中に一本だけポツンと生えているのだ。

 これこそ夢だ。私はまだ夢の中にいるのだと彩季は頬を両手でパチパチと叩いた。

 そうだ、あの頃よく夢に出て来たのはこの景色だ。

 彩季は改めて自分の着物を見た。

 白地に金銀の刺繍を施された華やかな印象の袴に可愛らしい花が散りばめられた空色の小袖。白足袋に草履。まるでお寺の落慶法要にでも呼ばれた子供の様な格好だ。

 やっぱり完璧夢だと思った。そうとしか考えられなかった。

 何処かで子供の声がした。

「ユキ!」

 彩季は辺りを見回しながら、袴を汚さないように地面から突き出た根っこに腰を掛けた。

「ユキ!」

 誰かを探す声はまだ続いていて、少し遠かった声がだんだん近くなって来ていた。

「ユキ!」

 自分の方へそう呼び掛けながら走って来たのは髪の長い少女だった。

って、他に誰もいないし、この馬の事だよね?)

 確かに白馬は、犬程顕著ではないが、見知った者を見る様に少女に反応している。

 何も分からない現状だか、この馬があの子の持ち物なら、ここは適当に謝って返してしまおうと思い彩季は立ち上がった。

 少女は半分怒りながら叫ぶように言って、小さな丘を駆け登って来た。

「ユキ! やっと見付けた。酷いよ。呼んでたのに、知らん顔して行っちゃうなんて。」

 彩季は、その袖と胸に赤い牡丹が描かれている桃色の振袖袴姿の少女に目を奪われた。

(この振袖って私の……この子、私だ。どうして? どうなってるの?)

 彩季は小さな彼女を無言で見ていた。

「ねぇ、ぼっとしてないで、こっち来て!」

 女の子が頬を膨らませて手招きをすると、馬は彼女に歩み寄り、何かを強請る様に鼻面を摺り寄せたが、何故か彼女は困った顔をして馬の顔を横へやった。

 彩季は仕方ないなと馬の手綱を取ると、怒っている彼女の傍へ歩み寄った。

「この馬は貴女のなんでしょ? どうぞ。」

 そう言って彼女は目線がやや下の少女に綱を渡そうとしたが、少女は彼女の手を振り払うように後ろに回すと、上目遣いで彩季を睨み彼女の鼻面を指差した。

「何言ってんのよ。銀嶺しろがねはユキのでしょ!」

ユキわたしの?」

 言ってみたものの、さっぱり意味が分からなかった。

 彩季は、大人しく隣に並んでくれている馬を不慣れな低い位置から見上げた。

銀嶺しろがね……?」

 彩季は自分に似た少女をもう一度しみじみと眺めた。見れば見るほど親近感が沸いて来る。従姉妹の中にも自分に似た者はいなかった。もしも拓海が、弟じゃなくて妹ならこんな感じだろうかと思う。いや、ちょっと違う。どう見ても彼女は自分なのだ。そんな事を考えながら彩季はいつの間にか微笑んでいた。

 少女がじれったそうに言った。

「どうしちゃったのよ、ユキ!」

「何が?」

「早く帰らなきゃ。」

「何処へ?」

「何処って、お屋敷に決まってるじゃない。」

「お屋敷?」

「もう! ユキの意地悪! 銀嶺に乗せてくれるって約束だったのに、いなくなっちゃうし、お祭りの踊りのお稽古しなきゃなんないのに、まだ帰るって言ってくんないしぃ!」

 キャンキャンと耳に響く甲高い彼女の声に彩季は頭を掻いた。

「その……馬から落ちたらしくて、ぼんやりしてて。ここが何処だか分からない様な。お屋敷に取り敢えず連れてって貰えると……」

 彩季は適当な言い訳が思い付かず、誤魔化した。 

 実際、体は痛いし、少しダルいのだ。

「えっ、銀嶺から落ちたの? 信じられない。何処か怪我してるの? 見せてよ。」

 少女は途端に心配顔になって纏わり付いて来た。

 実際、あちこちぶつけたように痛む。

「よく分からないけど、黒い影みたいなのが何処かから飛び出して来た様な……」

 そこまで言ってから、黒い煙のようなモノが赤い口を開けて襲い掛かってきた光景が脳裏を掠めた。思わず目を手で覆う彩季。

(今の何? 化け物?)

 少女は彩季の様子に益々心配顔で覗き込んで来た。

「ユキ、それじゃないの?」

「ワニ? 四ツ足の尻尾のごつい爬虫類?」

「ハチュウ? とにかく色んなのがいるって、父上が言っていらしたわ。大変だ。」

 いや、ワニがこんな所に生息しているとは思えない。

 いるとしたらここはアフリカか?

 少女の表情が俄かに険しくなった。

「どうしよう。お祭りが中止になっちゃうかもしれない。早く父上達にお知らせしなくちゃ。ユキ、銀嶺に乗って。」

「乗れって言われても……ちょっと足とか腰とか……膝も……肩も……」

「足が上がらないの?」

 そうじゃなくて、ただ馬になんて乗った事が無いだけなのだが、小さな嘘は次の嘘を誘発するのだ。

「歩けるから大した事ないと……思う……」

 彩季は馬を牽いて行くつもりで一歩踏み出したが、着地させた足から背中にかけて突き上げた激痛に身体が一瞬にして脱力し、そのまま少女の足元に倒れ込んでしまった。

(身体中痛い。本当に馬から落ちてたって事? ダメだ。動けない。)

「ユキ! 大丈夫? ねえ、ユキ!」

「歩くの……ちょっと無理……かも……」

 息も出来ずそれだけ言うのが精一杯だった。

「誰か呼んで来る! 待ってて!」

 少女は、激痛に蹲る彼女の様子に必死な形相でそう言うと駆け出して行った。


 彩季は、痛みに何処もかしこも身体中の筋肉が、緊張で有り得ない程堅くなっている状態を何とかしようとしたが出来ず、気を抜いた瞬間に全ての痛みが消え視界も暗くなった。


                              





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