霊界観光 シャトルステーション

   「霊界観光 葬送運営所シャトルステーション


 弁天堂の事務所で彩季が来るのを待ちながら、ここを訪れる亡者に対して行き先希望の調書を取る如月。今、目の前にいる白髪の老女は、二日前に老衰で亡くなったらしい。

 観光社と言っても、生きている人間対象ではない。

 あの世とこの世とを一方通行で繋ぐ送り専門だ。

 戻る者はもちろん無い。

 如月はここの若干20歳の監督管理官である。

 腰も曲がって椅子に潰れた梅干の様に座っている老女が、開いているのか閉じているのかさえ分からない目を益々細めて彼を見る。

「店長さん、あんたあなた外人さんけえなの?」

「いいえ、日本人を200年ほどやっておりますが、何か?」

 地方色強調の為何卒ご協力を。

 尚、通訳が必要レベルの為、飛び交う方言にはルビにて標準語をお送り致します。

「大したもんやね。青い目ぇの外人さんが日本語ぺらぺら。」

 ふぅ~んと、感心しきりの老女。

 さっきから彼女は、殆ど彼の話を聞かず、ずうっとこればかりを繰り返している。

 デスクで必要事項を記入しながら、如月は飽き飽きしたように溜息を吐いた。

「いい加減、行き先を決めぬか。」

「でもねぇ、店長さん、アタシの財布が失なけたが無くなってしまったの。ちゃんと持って来た筈ながですれなんですけどぉ、袋ごとどっかに何処かに置いて来たみたいでぇ、そぉやそうだ、さっき送ってもろたもらった時、車に忘れたかもしれんわ、電話掛けてもよいけいい?」

 老女亡者がデスクの上の受話器に伸ばした瞬間、さっと電話機を取り上げる如月。

「金は取らん、無料だと先程から説明しておるが、それでもその財布とやらは必要か? 老女、貴様私の話を聞いておるのか?」

 如月は眉間に皺を寄せ老女亡者を睨む。

 その彼の青い目に気付いた彼女が……

「はぁ~店長さん、あんたあなた外人さんけえなの?」

 永遠にループする会話地獄。

 書類を未処理箱に投げ入れる黒服の管理官。「保留。次!」

 葬送するには一応書類上に記載する本人の希望と、管理官の承認印が必要なのだ。

「若、これで本日15件目ですが。」

 斜め向かいの席に座る部下藤間を睨む如月。

「だから何だ。いちいち数えるな。」

「何故そうも邪険な物言いをなさるのですか。聞いている私の方がストレスレベルが上がります。まだまだ修行が足りませんね。」

 如月はペンを置くと部屋を見回した。

「そうは言うが、自分で行き先も分からん亡者はどうすればよいのだ。客が溜まる一方だ。この有様を見ろ。ここへ回されて来る老人亡者の六人中一人は必ずそんな者達だ。以前ならば早く極楽へ連れて行けと言われたが。」

 更新されて行く名簿を画面でチェックしながら視線も寄越さない藤間は、常に冷静沈着。細身の眼鏡を何気なく直す。

「認知症の亡者相手に目くじらをお立てになってどうします。宥め賺して優しく聞き出すのです。」

 そう言った藤間に鋭い一瞥を投げる如月。

「こんな案件は私の専門外だ。」

 唯一の部下藤間は小さく溜息を吐く。

「まあ、ご無理をなさらずに。それにしても解せませんね。彼等の担当地区からは相当離れていると言うのに、何故わざわざここへ。」

「私もそれが気になっている。さっきの老女は同市内だが、関東甲信越地区の者まで交ざっているのだ。確かにここは絶対数が少ない関係で、他から回されて来るのも分かるが。」

 その時、藤間をまじまじと見ている一人の亡者が彼に近付いて、徐に上着の裾を引っ張り、大袈裟に呆れ顔になる。

「ありゃりゃぁ、やっぱりそうやそうだ。あんた、その上着、ワシのやろがぁだろう?」

 何をするのかと引きぎみの藤間が思わず、

「いえ、お客様。これは私どもの制服です。」

「嘘を吐かれんちゃかないでくれよ。だんだれにも言わんさかいないから。」

「いえいえ、もう公然とお疑いです。」

 冷静を装う藤間に対して、老人亡者は憤怒の表情に豹変した。

「他にもワシのモン物を隠しとるやてるだろ。早よ出せま早くだせとっしょり年寄りだと思てダラばかにして。ここ来てからなんもかんも何もかも盗られしもたてしまった。財布も。」

 このパターンも既に何度目かを数えている。

「何度私ではないと言えば宜しいのですか。」

そんならそれなら他に誰がおるがいるんだ?」

 如月が藤間の困惑した顔にクスリッと笑う。

 しかし、そんな彼に近付く別の老人亡者。

「なぁ、店長さん。ワシ、朝から何も食うとらんがいけどていないんだけど。何かちょっこすこし貰えんけないかな?」

 この亡者の遺族は、彼の妄想行動を知り尽くして棺桶に空の弁当箱を入れてやったらしい。もう食べたよの合図なのだが、その空箱をどの亡者かが持ち去ったらしい。

「貴様が弁当を食しておったのを見たが。」

 亡者が途端に哀れな泣き目顔になる。

なーんいいや、何も食べとらんちゃていないよひゃだるいわ腹減った。」

 そこへ別の老人亡者が仲間の加勢に乱入。

「そんな事言う言ってて店長さん、あんたあなたがこの人の弁当盗ったがじゃないがけんじゃないの? かわいさげに可哀想に。」

 言われた瞬間、如月の中で何かがブツリと音を立てて切れた。盗って食べたと言われるのは、言った言わないより低級だ。必死で堪えた対応も最早これまで。

「ぶっ無礼な。そこへ直れ! 世迷い者が!」

 客だと言う事を忘れ、霊体をも切り捨てる武器、魂刀を抜き払う如月。慌てて後ろから羽交い絞めにする藤間。

「なりませぬ、若! コヤツめらはまだ ではありませぬ! 斬ってはなりませぬ!」

 そんな彼の上着を後ろから引っ張る亡者。

おまんお前早よ早く脱げま脱げよ!」

 その手を振り払おうとする藤間。

「お放しなさい!」

 所詮柔和な対応など無縁の二人なのだった。

 もう我慢ならぬと部下の手を振り払う如月。

「見ておれ藤間。コヤツ等全員、纏めて極楽浄土へ送ってやる!」

 その言葉を如月が放った瞬間、ぼぅ~っと、ぬるま湯に浸かったような顔をしていた老人亡者達が一瞬シンとなった。そして俄かにザワつき始める。

 藤間の制服を自分の物だと騒いだ被害妄想亡者が、近くにいた食い中風亡者を見て服から手を放した。真に正常な者の目付きである。

「あれ。あんた、同級生の松田トシさん。」

 問われた亡者も顔付きが激変した。

「ええっ、ようよく見たらカズじゃないか。達者やったか?だったか?何年振りね。家ちゃ家は戸出やったよねだったよな?」

「おお、今度遊びに来られまて下さい。」満面の笑み

 一時正気を取り戻した者の横で、その他大勢がざわざわと同じ言葉を口にし始めた。

「「「極楽やとだってそうやそうだ、極楽浄土やないけじゃないか。」」」

 そして、一斉に腰の曲がった者、足の萎えた者、それぞれの被害妄想の者全てが、水晶体の濁った目も何のその、正座合掌手を擦り合わせ、何とも不気味な読経を始めた。

「「「 なまんだぶ南無阿弥陀仏なまんだぶ南無阿弥陀仏……」」」

 そして……それがいつしか妙な拍子を付けて合唱へと変わった。

「「「極~楽! 極~楽! 極~楽!」」」

 目的地を見失っていた亡者集団の目に光が戻ったのを見逃さない如月。すかさず、

「今一度聞く、極楽浄土へ逝きたいかぁ!」

「「「おぉー!」」」声を揃え笑顔で叫ぶ亡者達。

 書類上に浮かび上がる燦然と輝くの金文字を見て、ガッツポーズをする如月。

「ヨシッ! 今度からこの手だ。」

 間髪入れずデスクに並べた書類に承認の判を音も軽やかにタタタタッ! と押しまくる。

「コヤツらの気が変わらん今の内に連れて行け!」

「かしこまりました。」

 大勢いる亡者一人一人の名前を呼び、それぞれの亡者に如月の判が押された書類を手渡し、完了したところで藤間は顔を上げると満面の笑みで言った。

「それでは管理官、行って参ります。亡者の皆様は、どうぞこちらへ。」


 最近この様に無駄に手を煩わせる亡者が顕著に増えた。

 これも時代の流れなのか……


 プラットフォームには、まるで新幹線専用さながらの近代的な転落防止のホームドアが設置されていて、亡者達はどこかしら嬉しそうに旅行に出かける時の雰囲気のままに、既に停車している白い車体のシャトルに乗り込んで行った。

 行先を極楽浄土と記載した亡者には、最早現世に残す未練などは無いのだ。彼等はこの弁天堂へ辿り着く道すがら、一歩一歩歩きながらその多かれ少なかれ人が必ず持つ、生への執着心を道すがら置いて来るのだ。

 別れて来た愛する人の面影も、楽しい思い出も、辛い悲しみも、何もかもただ人として生きた暖かな温もりを心に抱いて旅立って行くのだ。

 全員が中へ入り着席が完了するとドアが音も無く閉まり発車した。

 彼等を見送る如月と藤間は、シャトルが遠ざかり消えて行くまで頭を深く下げていた。

「極楽浄土の文言こそ伝家の宝刀ですね。斬り捨てるよりはましですが、若自らの御乱用はお避け下さい。本部でどう判断されるかそちらが心配です。」

 如月は目を逸らした。別に後ろめたいのではないが、一応管理官手引書には亡者の扱いはとにかく丁寧にとあるのだ。

「ああでも言わねば、奴等は己が死んだ事も失念しているだろう。それこそ哀れだ。」

「一人にされると彼等は判断が出来ず行動が停止しますから。ですが、こうもあっさり送り出したとなると、評判になりそうですね。」

 その時だ。何か後頭部から突風を受けたような不穏な気配に如月は目を上げた。

 藤間も同じ気配を感じたらしい。

「若もお感じになられましたか? 今のは何でしょう?」

「分からん。すぐに消えたが……昨日の空間の亀裂と似ていたが。」

 二人は時計を見た。彩季の到着が遅れている。

 学校が終わったらと言っていたのに。

「まさか!」

 如月は思わず椅子を立ち上がった。


 如月は彩季の気配のする方へ薄闇の中を移動した。

 移動と言っても彼女の家へ行った時のように自転車ではない。

 空間を捻じ曲げ瞬間移動するのだ。

 それでも彼女と亀の気配が今までしていたのに、忽然と消えてしまった事に如月は焦っていた。


 彼女の気配が最後に有った場所に到着した。思わず見上げる大きな廃屋の門の脇に彼女の自転車が停めてあるのを見て、現場はここだと確信する。しかし、異常はその先だ。庭を何かの意図をもって結界と称する物で囲ってあるのだ。如月らの使う罪を犯した罪人の霊体を閉じ込めておくと呼ばれる強力な物程ではないが、特殊能力者の仕業だと直感した。

 建物の周りを見ながら如月は奥の温室へ近付いた。

 入り口付近に人影が有るのを見て、彼は思わず駆け寄った。

 若い男のようだが彼は人ではなく霊体である。

 しかし、如月が慌てたのは霊体の少年の傍らに彩季が意識を失って倒れているのを見たからだ。

 霊体の少年、仁科は彩季の様子を見ていたのを止め振り返った。

「やあ遅かったね。おやおやなんて怖い顔。」

 にやけた態度に如月は探るように彼を見た。

彷徨霊さまよいが生者の彼女に何をした。」

 如月の手の中に小さく光る糸を見て、仁科は逃げる算段の為か、立ち上がった。

「人聞きの悪い事を言うね。」

 彼の口調に如月は手の中の糸、即ち霊を捕縛する呪縛糸を袖口に隠して下へ垂らし、気付かれないように間合いを取った。

「貴様何者だ。それは生身の人間だ。亡者の貴様に何の用が有ると言うのだ。執着を捨て即刻霊界へ昇るがいい。何ならこの場で案内するが。」

 仁科は口元に笑みを浮かべ彼を見た。

「相変わらず性急な事だ。まぁ、そう殺気立たずに落ち着けよ。心配しなくても、彼女怪我はしていないよ。ただね……魂だけ何処かへ飛んで行ってしまった。この間もあの貼り紙に敏感に反応したね。もうちょっとで亀に食べさせられたのに、惜しかった。」

彼の仕草を訝しげにじっと見入る如月。

「あれを貼ったのも貴様か。元は人ともあろう者が、卑しい亀ごときに使われる身か? 貴様、一度何処かで会った事が有るな?」

「さあね。でも、亀はしつこいよ。」

 仁科は意味有りげに笑うと、温室のドアに手を掛けた。彼が逃げる方向を予測し如月は呪縛糸を素早く投網のように放ったが、彼の姿は溶けるように見えなくなってしまった。

 手応え無く戻って来た糸を見る事もせず、如月は彩季に駆け寄った。

 仕掛けた者がいなくなった事で結界も消え、景色は現実に戻った。逃げた彷徨霊と三太夫はやはり主従関係に有るのだろうか。

「しっかりしろ。」

 彩季の肩を叩いたが、仁科の言う通り反応は全く無く、虚ろに開かれた彼女の目には光も射していなかった。

 胸に耳を当てると微かに鼓動が聞こえ、呼吸も止まってはいなかったが彼女は所謂幽体離脱状態だった。

 あまり長く続くと体が弱り、元に戻る事が出来なくなる。一刻も早く彼女の魂を探さなくては。

 如月は、彼女が自身でも気付かない内に入り込んだ境界壁の向こうの世界で立ち尽くす様子を想像した。

 如月は上着を脱ぐと彩季に掛けてやった。

(何処へ逃げた、彩季。帰って来い。)

 如月は目を閉じ意識を目の前の崩れ果てた温室に向けた。

 今となっては錆びた鉄骨だけがその場所を示すように立ち、茨が生い茂って、割れたガラスも放置された状態である。

 彼は何か大きなに続く物の存在を感じ取った。

「……水脈か。」

 温室の入り口の左手に有る植物の為に掘られた井戸の上に設置されている錆だらけの汲み上げ装置を見付け、如月は手を置いた。

 地中に植物の根のように行き渡る地の命とも言える巡りの一端がここに顔を出しているのだ。それを伝って彩季は逃げたに違いない。神出鬼没に見えた三太夫の行動にも、理由とパターンが存在していた様だ。

 思い起こせば、彩季の家にも古くから使われている井戸の水の匂いがしていた。

 彼女の所へはそれを伝って出入りしていたと推測出来る。

 如月は彩季の背中に自ら書いた守護符印の光を、水に走らせた策敵糸で探った。

 傍らに音も無く藤間が現れたが、やはり地面に横たわった彩季に焦りを隠せない様子で言った。

「天音様は如何なさったのですか。」

 彼の問いにも顔を上げず如月は、

「体は無事だが、奴等の罠から逃れ、魂の行方が分らん。」

「お急ぎになられた方が得策と存じます。」

 藤間は更に状況を見極めたのか続けた。

「三太夫はまだ天音様の所在までは探り当ててはおりますまい。何故三太夫は彷徨霊ごときと行動を共にしておるのでしょうか。」

 ふと顔を上げ、温室跡を見る如月。

「アレは亀の下僕だ。彩季の居場所が分った。あの今は無い放生川の草原付近だ。」

 それは遥か昔に失われた河原。放生と名は付いているが罪人の処刑場であり川が氾濫する度に水底に沈みかき乱され、暴れ川が鎮まったと同時に完全に水に沈んだ異界に一番近い場所だ。

「何故あの様な遥かな場所に……天音様とは一体どの様なお方なのですか?」

 その問いには答えず如月は藤間を見た。

「策定糸の端をお前に預ける。私と彩季を守護符印で繋いである。私達が戻るまでここで待機していてくれ。」

 彼の目線の先には彩季の自転車と籠に乗っているバックと膨れたたい焼きの紙袋が有った。無事に彼女を家へ帰してやらなければ。彼女を待つ者達を知る如月の頭の中にはそれしか無かった。

「かしこまりました。彷徨霊につきましても本部に調査を依頼しておきます。くれぐれもお気を付けて。」

「頼んだぞ。」

 言うと同時に如月は彩季の傍らで横になり目を閉じた。

 彼の気配が身体を残して消えた。

「お早くお戻りを。」

 頭を下げて見送った藤間は、温室一帯に非常線を張る様に結界で覆った。


                           つづく



 

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