隣の芝生が青くとも
鮎屋駄雁
第1話 互いの憧れ
あと12.5メートル。
あと5メートル。
・・・。
長く静かだった水の中から顔を上げた瞬間に大きな歓声が耳に入ってくる。
背後の巨大な電光掲示板にはデカデカと『大会新記録』と表示されていた。
僕は腕を高々と突き上げ、喜びを表現した。
「おめでとう」
何回も繰り返し言われると、本当にめでたいことなのか分からなくなる。
年に2回、春と夏に行われる全国大会で今年は春夏共に優勝することができた。
その成績を修めた結果、全国の強豪校と言われている高校から推薦の話をもらった。
喜ばしいことであるが、この地獄と呼んで差し支えない生活がまだ継続するのかと思うとむしろ恐怖を覚える。
僕が水泳を始めたのは5歳の時だ。
最初からバリバリ泳げたわけではなく、逆に全く言っていいほど泳げず、幼稚園の膝くらいまでしかないプールで溺れかけるという神業をするほどだった。
それから10年が経ち、まさか自分が最も苦手としていたスポーツで日本一になっているなんて当時に誰が想像出来ただろうか。
夏休みが終わり、皆それぞれの四十数日を過ごし再会する。
特に僕は夏休み開始と同時に合宿が始まったため、学校の友達と会うのは7月末の終業式以来となる。
遊びに行ったのか肌が黒く焼けている奴、明らかに一回りくらい大きくなっている奴、夏休み期間中に染めていたであろう髪を強引に黒に戻したような奴。
多くの人は楽しい夏休みを過ごしていたのだろう。
一方、僕は夏休みに入るや否やすぐさま合宿が始まり、夏の終わりに行われる全国大会へ向けてただただ練習に没頭するだけの日々を送っていた。
それ自体に不満があるわけではない。
水泳では水泳の友人がいて、孤独に黙々と練習を行っているわけではないからだ。しかし、14歳の夏の思い出のほとんどは水の中なのは間違いない。
「久しぶり」
教室のあちこちで聞こえるその言葉を本当に噛みしめていた。
長い休みが終わったからと言って、僕の生活に大きな変化はない。日常生活に学校が追加されるだけだ。授業が終わればまっすぐ家に帰り、三十分もしないうちに練習へ向かう。家に帰ってくるのは大体二十二時から二十三時頃だ。
学校終わりに友人と遊んだのなんて何年前になるだろう。
昔は誘ってくれる人もいたが、今ではもう暗黙の了解のように僕を遊びに誘うやつはいない。
どのみち断らなければならないのでその方が気が楽だった。
あいつ以外は。
「よう!久しぶり!」
同じようなことを言ってきたのは、二年になって同じクラスになった村岡保だ。
こいつだけは他のやつと違って、夏休み前もいつまでもしつこく遊びに誘ってきていた。
「おう、お前休み中髪染めただろ」
「やっぱりわかる?昨日市販のやつで染めたんだけどな」
薄っすらと茶色を残した髪は休み中の楽しい思い出を具現化しているようだった。
「永嶋はずっと練習?」
「そうだよ、毎日毎日練習ばっかだったよ」
「よく飽きないなー。俺なら一週間と持たないよ」
褒められているのか、バカにされているのか分からないが村岡のこういう言い方に悪気はない。
「それよりさ、また新しい趣味見つけちゃったよ」
「今度は何だよ」
「スケボーだよ!」
村岡の多趣味は僕の交友関係の中では最高峰だ。
いつも色々なことにすぐに興味を持ち、次の瞬間には行動に移している。よく言えばフットワークが軽い。
しかし、興味の移り変わりも早く、それまで熱中していたものがあっても他に興味の示すものがあればすぐにそちらに気持ちを持っていかれてしまう。非常に熱しやすく冷めやすい性格をしている。
「何見て影響されたんだよ」
「動画サイトを適当に見てたら、スケボーの技動画みたいなのがあって、それがもうかっこよくてさー」
動機はいつもこの程度だ。
その時の心を動かすものにとても弱い。
「また悪い病気が出てるぞ」
「いや、今度は今までと違う。こないだ試しに安いボード買ってみて乗ったんだけど割りと筋が良さそうなんだよね」
「誰が言ったんだ?」
「自分でそう思った」
何の根拠もない自信は一体どこから湧いてくるのだろう。僕には不思議で仕方なかった。
僕の場合、県内の大会であれば正直同世代に相手になるような選手はいない。しかし、レース前は人一倍に緊張し、隣を泳ぐ選手に恐怖を抱く。絶対に勝てるなんて言う自信はどこからも沸いてこない。
「そういえば全国大会出たんだろ?どうだった?」
「始業式でわかるよ」
始業式のため、全校生徒が体育館に集合する。
九月になったとはいえまだまだ蒸し暑く、体育館は生徒が揃う頃にはサウナ状態となっていた。
式次第通り、校長の長めの話があり、その後夏休み期間中の部活動の活動表彰となった。
田舎の公立の中学校というだけあって、結果はパッとしないものがほとんどだ。
男子サッカー部 地区大会ベスト4
女子バレー部 地区大会準優勝
書道部 コンクール入賞
僕はそんな部活動の成績よりも気になっているものがあった。
それは同じクラスにいる永嶋聡介の大会の結果だ。
永嶋は水泳で毎回のように表彰を受けている。それもさっきの部活動の地区大会とかのレベルではなく、全国レベルでだ。
この学校に水泳部は無い。
一年の時は部活が無いため、試合に出ることが出来なかったそうだが、去年一年で永嶋の通うスクールから出場した全国大会で優勝し、その結果を聞きつけた学校側が特別に個人ではあるが中学校からの出場を認めたのだ。
実力を見せつけることによって相手を納得させるなんてことが漫画の世界以外で行われていることに驚愕し、そしてそれをしているのが同じ年齢の同じクラスにいると分かれば一気に興味が湧いた。
「えー、次は部活ではありませんが個人で水泳の全国大会に出場した二年二組永嶋君」
名前を呼ばれた永嶋が体育館の舞台に上がる。
校長が表彰状を読み上げる。僕は水泳を全くしないので、永嶋の記録がどれほどまでにすごいのか理解が及ばないが優勝という言葉だけ聞き取り、とにかくすごいのだと飲み込んだ。
永嶋は慣れた素振りで賞状を受け取ると無表情に一礼し、舞台を後にした。
その後に校長は永嶋の功績を讃えるような話をしていたが、内容は頭に入ってこなかった。
「優勝ってすごいな」
「欲しかったらやるよ」
永嶋は賞状を僕に手渡してくる。
「いや、いらん」
「だよな」
舞台に上がっていた永嶋は今隣で話している永嶋とは全然別人のように感じる。
それはあの舞台の上は自分自身が上ることのない場所であることを自覚していたからだ。
何でも卒なくこなす。器用貧乏。
よく言えば自分はそういうものだ。
最初は人より出来ることも多いが、何事においても継続が出来ない。どうしても他のことに今よりも興味が湧いてしまい、それまでを投げ捨てて別のものに移ってしまう。
その癖が影響してか、僕は部活動も長く続かず、何も成し遂げれずにいる。
確かに現状興味のあることをするのはとても楽しい。
ただ今楽しいことも他の楽しいことを見つけてしまえば、すぐに止めてしまうことを自分でも理解していた。
だからこそ、永嶋のように継続して同じスポーツを続け結果を出すことに大きな憧れを抱いてしまう。
僕の将来には何も残らないのではないか。
ふと、考えてしまう時がある。
羨ましい。
そう思う気持ちはきっと自分から一番遠い存在だからこそ、抱いてしまうのだろう。
隣の芝生が青くとも 鮎屋駄雁 @nagamura-yukiya
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