第5話 言葉にするとウソになる

〈登場人物〉

アイチ……高校2年生の女の子。

クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。



アイチ「うーん……」


クマ「何をうなっているの?」


アイチ「どうもよく分からなくて」


クマ「何が?」


アイチ「今日、現代文の授業で、小林秀雄っていう文芸評論家……っていうの? ……その人に関する文章を読んだんだけど」


クマ「へえっ、小林秀雄」


アイチ「知ってる?」


クマ「もちろん、知っているさ。それで?」


アイチ「で、その文章で取り上げられていた小林秀雄の言葉に、『美しい花がある、花の美しさというようなものはない。』っていうのがあって、それを勉強したんだけど……」


クマ「有名な一節だね。それで? その意味がよく分からなかったの?」


アイチ「分からなかったのは、その言葉に対しての、現代文の先生の解釈なの」


クマ「どんな?」


アイチ「ちょっと待ってね。ノート読むから……えーっと……美は観念ではなく体験で、花の美しさそのものなんてものはなくて、花を見て美しいと思うときに、その人の心は初めて花と美を一体の物として、花の美を認識する……ってことらしいんだけど」


クマ「ああ、なるほどね」


アイチ「この説明、分かる?」


クマ「うん」


アイチ「本当?」


クマ「その先生が何も分かってないってことがよく分かるよ」


アイチ「えっ、そうなの?」


クマ「そんなことで何かを言っているような気になっているんだから、どうしようもないな」


アイチ「でもさ、先生、小林秀雄のことを尊敬していて、『おれほど小林秀雄を理解している者はいない』って、豪語していたけど」


クマ「勘違いだね。その言葉をまさにそんな風に読むことを小林は嫌っていたと、ボクなら言うけどね。アイチはその言葉、どんな風に受け取ったの?」


アイチ「どんな風もこんな風もないよ。言葉そのままじゃないの? 美しい花っていうのは今すぐにでも花屋に行って買ったり、道ばたで摘んだりして持ってくることができるけど、花の美しさなんてこの世界中のどこにもないじゃん。なんで、こんな当たり前のことを言っているんだろうって、わたし思ったんだけど」


クマ「ああ、キミの言う通りだ。全くその通りだよ。本当は、その『花』っていうのは、植物の花のことではないんだけど、まあ、同じことだな。アイチが言った通りのことを、小林はただ言っただけだ」


アイチ「授業中にね、意見を言えって言われたから、この通り言ったらさ、先生に呆れた顔されたよ。それだけじゃなくて、『ちょっとは物を考えんか』って叱られちゃってさ」


クマ「物を考えろか。その先生みたいな物の考え方をするようなヤツが多いから、小林は、『それは物を考えていることにならんぞ、お前が勝手な解釈をしているだけだ』っていう意味も込めて、さっきの言葉を言ったのが、ボクにはありありと分かるんだけどな」


アイチ「解釈なんてしないで、言葉そのままを受け取ればいいと思うんだけど」


クマ「それができる人はかなり少ないよね。有名な人が言ったことなら、何か重大な秘密が隠されているんじゃないかって探りながら読むわけだ。そういうのを、ゲスの勘ぐりって言うのさ」


アイチ「わたし、人の言葉の裏を読むっていうの、あんまり好きじゃないな」


クマ「人の言葉の裏を読むっていうのは、その相手の言葉を信用していないってことだからね。そんな信用できない相手と平気でしゃべっている自分自身にも疑いが向くのが当然なんだけど、なぜかそうならない人が多いよね。『アイツの言葉は信用ならんぞ』って言っている自分自身の言葉を顧みる人は少ないな」


アイチ「わたしの場合は、裏を読むのがメンドクサイっていうのもあるけどね、それが強くなっちゃうと、人と話すこと自体も面倒になっちゃう」


クマ「そうやって、じっと一人でものを感じたり、考えていたりする方が正解だね。大体、言葉っていうのは本来的にウソを語るものだからさ」


アイチ「そうなの?」


クマ「そうさ。たとえばさ、この頃よく言われる、『好きな仕事をすることで自由に生きる』っていう言葉だけど、これどう思う?」


アイチ「あー、なるほど……自由に生きるって決めることは、自由じゃないってこと?」


クマ「そうだよ。何が何でも自由に生きてやる、なんていうのは、それ以外を認めない不自由な生き方だろ? こんな風に、言葉にしたことっていうのはウソになるのさ。禅に、『不立文字(ふりゅうもんじ)』っていう考え方があるんだけど、文字で真理を表すことはできないって意味でね。これは、別にもったいぶって、真理を隠していたり、修行しなさいとか言ったりしている言葉じゃないんだ。言葉にするとウソになるから、語れないってただそれだけのことなんだよ」


アイチ「うーん、でもさ、たとえばさ、誰か悟った人が、悟っていない人を悟りに導きたかったら、やっぱりそれって言葉に頼るんじゃないの?」


クマ「まあ、それもその通りだ。そうして、その際には、相手を見て語ることになる。世界の四大聖人と呼ばれる、ソクラテス・イエス・釈迦・孔子は、一般向けの言葉なんて語らなかったんだ。具体的に相手を見て、こいつは分かりそうだな、とか、こいつは分からんちんだな、とか思いながら、言葉を選んだんだな」


アイチ「あんまり、分からない人とは話したくないなあ」


クマ「ボクもだよ」


アイチ「今クマが言ったことを先生に言っても、多分通じないだろうな」


クマ「だろうね。悲しいけど、それが現実だよ。その先生は一生、小林の言葉を誤解して生きていくんだろう。そんな観念だとか何とか、それ自体が観念の塊みたいな考えを抱いて。まあ、しょうがないね」


アイチ「分からない人が自力で分かるようになることってあるのかな」


クマ「いや、それは逆だな。分かるっていうのは、その人の体験でしかないから、自力で分かるしか本当は分かり方はないんだ。孔子なんて人は、弟子が3,000人以上いたみたいだけど、その中で孔子ほど悟った人が何人いたことか」


アイチ「体験って……でも、修行する必要はないんでしょ?」


クマ「体験っていうのは、目の前にある現実をただ見つめるっていうだけのことだよ。美しい花を見て、どうしてこの花はこんなに美しいんだろうって思うこと、それを体験って言ってるだけのことさ。そう思うことができれば、確実に開けてくる世界があるじゃないか。滝に打たれたり、瞑想したりする必要なんて、どこにもないよ」

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