第2話 知識より重要なもの
〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。
アイチ「ふうっ……」
クマ「何してるんだい?」
アイチ「友達から借りた本を読んでるのよ」
クマ「へえっ、アイチが本? 珍しいね」
アイチ「バカにしないでよ。わたしだって本くらい読むわよ」
クマ「だって、いつも、ぼおっとしているのが好きだって言ってるじゃないか」
アイチ「……実はね、わたしは別に興味無かったんだけど、友達が絶対に面白いからって、貸してくれたのよ。借りたものは、ちゃんと読まないといけないでしょ?」
クマ「義理堅いね」
アイチ「でも、ちょっと休憩しよう。疲れちゃった」
クマ「その友達も、人に貸したいってほどだから、本当に面白いって思ったんだろうなあ」
アイチ「うん……わたしは、そんなに面白いと思わないけどね」
クマ「好きなものを紹介するときは、そこが難しいところだな。自分の好きなものが、果たして相手にも好きになってもらえるかどうか」
アイチ「その友達ね、すごく読書家なのよ。いっつも本を読んでるの」
クマ「ふうん、本読むのが好きなんだな」
アイチ「うん、いっぱい色んなこと知ってるわ。この前なんか、サッカーの話になって、オフサイドっていうルールのことを訊いてみたら、ことこまかく図まで描いて説明してくれたの。近くで聞いてたサッカー部の男子がね、びっくりしてたわ、『おれより詳しい』って」
クマ「それじゃあ、話題には困らないわけだ」
アイチ「まあ困らないって言えば困らないんだけど……」
クマ「何か問題があるの?」
アイチ「うん、この前ね、その子と、また別の子と、三人で話をしていたんだけど、別の子の方が、ある晩、金縛りに遭ったことがあって怖かったっていう話をしたのよ」
クマ「うんうん」
アイチ「そうしたら、本を貸してくれた子がね、金縛りには科学的な原因と対処法があるなんていう話をしてきてね。だから、怖いことなんて何も無いんだよ、なんて結論づけちゃってさ」
クマ「なるほど、そういう子か」
アイチ「一事が万事、そんな調子だから、疲れちゃって」
クマ「知識を身につけることの弊害だな」
アイチ「金縛りに遭って怖かったっていう話をしているのに、金縛りは科学的現象なんだなんて話をしたってしょうがないじゃん」
クマ「その通りだな。他人の体験を、自分の知っていることの中に収めようとする、頭でっかちの典型的な例だ」
アイチ「知識がたくさんある人って、みんな、そんな感じなの?」
クマ「みんなとは言わないけれど、多いかもしれないな。知識がある人ほど、知識っていうものが絶対確実なものだって思いがちだからな」
アイチ「生きていくのに、そんなに知識って必要なのかな?」
クマ「それは何を知識って呼ぶかにもよるけど、まあ、そんなに必要とは思われないな。むしろ、金縛りは科学的現象なんだなんていう知識のせいで、他人の立場に自分を置いて考えてみることができないんじゃ、無い方がいいくらいだ」
アイチ「まあ、試験っていうものがあるからそうも言っていられないんだけどさ……あっ、そうだ! 明日、日本史の小テストがあったんだっけ……ふうっ、もうちょっとしたらやろうかな」
クマ「日本史は好きじゃないの?」
アイチ「歴史は好きなんだけど……日本史の授業はあんまり好きじゃないかな。だってさ、何年に何が起こって、その事件の背景がこれこれで、何を目的にして起こったなんてさ……それって、何を勉強したことになってるのか、全く分からないんだもん」
クマ「みんな歴史ってものをそんな風にとらえているよな。当時の社会情勢やらなにやらから因果関係を読んで、まるで物語のように、歴史を考えている」
アイチ「わたし、素朴に疑問なんだけどさ、ある歴史上の人物がこのときこのように考えていた、なんてことがどうして言えるの? だって、相手は死んでるんだよ。そんなの確かめようがないじゃん」
クマ「全くその通りだ。歴史を学ぶ人間にしばしば欠けているのが、その視点だよ。歴史上の人物というのは、もうすでに死んでいるんだ。そりゃあ、文書やら何やらの資料は残っているかもしれないさ。でも、だからといって、彼らの気持ちが正確に読めるはずがないんだ。正確に気持ちが読めるはずがないということを前提にして、彼らの身に成り代わって、彼らが置かれていた状況をじっと見つめてみる。歴史を学ぶっていうのは、本来そういうことのはずなんだ。これは、さっきの友達の話とも関係してくるんだけど、なまじ知識がある人は、そういう風に現実を見つめることについて苦手になるな」
アイチ「現実を見るなんて、こんな簡単なことないと思うけど」
クマ「そりゃ、アイチが知識が無いから……うわっ、耳を引っ張らないでくれよ」
アイチ「それじゃあ、別にそんなに本を読まなくてもいいわけ?」
クマ「好きなら読めばいいさ。でも、読まなくてはいけないってことはないな」
アイチ「学校の先生は、若いうちにたくさん読んでおけって言うけど」
クマ「そうやって、本を読むことで知識を身につけろってことなんだろうけど、知識を身につけるのは、問いに答えるためだろ?」
アイチ「うん」
クマ「数学の公式を覚えるのは、その公式を使って問題を解くためだ」
アイチ「そうね」
クマ「さて、人生において、重要な問いって何だろう?」
アイチ「うーん……考えたことないなあ……『人はどう生きるべきか』とか?」
クマ「ふふっ」
アイチ「なによ?」
クマ「いや、まあいいさ、それも中々の問いだ。さて、じゃあ、学校の先生にその問いをぶつけてみたらどうかな。本をいっぱい読んで来た彼らは、それに答えられるのかな」
アイチ「やってみないと本当には分からないけど……まあ、無理そうだね」
クマ「だとしたら、彼らは何のために本を読んできたんだろう。何のために読書を勧めるんだろう。まさに、そういう問いに答えるために、本を読むんじゃないのかい?」
アイチ「あのさ、『人はどう生きるべきか』なんていう問いは、別に本なんか読まなくても、今のこの場で考えられるんじゃないの? その問い自体にわたしはあんまり興味無いけど」
クマ「そう、アイチの言う通りだ。そんな問いの答えは、どんな本にも載ってないさ。載ってたとしても、それはその本を書いた人がそう思っているに過ぎないことなんだよ」
アイチ「あっ! 答え自体じゃなくて、答えに至る方法を知るためって言ってた先生もいたかも」
クマ「なるほど、知識じゃなくて思考法を覚えるってことだね。でもさ、だったら、よっぽど、たくさんの本を読む必要なんてないだろ。物を考えるのにそんなに複雑な方法が必要とされているわけじゃないだろうからな」
アイチ「じゃあ、なんで本を読め読め言うんだろ」
クマ「そういう本当に重要な問いから目をそらさせるためじゃないかな。『人はどう生きるべきか』なんてこと、みんながみんな考え出したら、社会が成立しないだろ。そんな大仰な問題を考えながら、仕事をしたり、育児をしたりはできないからね。一部の人が、時々ちらっと考えるくらいじゃないと。大勢の人がそんな問いを持たないように、その目くらましに読書を使っているんだよ」
アイチ「冗談でしょ?」
クマ「半分はね。でも、イイ線いってると思うよ。人は読書をしながら、知識を得ることはできても、物を考えることはできないからね。読書を社会的に価値の高い行為にすることによって、人は気持ちよく読書をする。そうすることで、気持ちよく物を考えなくなる。そうすると、社会がうまく回る。そういうことになっているとボクは思うけどな」
アイチ「読書って意味無いの?」
クマ「それは、ゲームって意味ないのって訊いているのと同じだな。ゲームと読書は同じなのさ。どっちも娯楽だ。娯楽だけをして人生を生きたいかどうかって、そういう話さ」
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