第10話
月曜日の朝、藤本は何も食べずに外へ出た。
それから一時間たつかたたない頃、妻が台所で考え事をしながらお茶を飲んでいると、けたたましく電話のベルが鳴った。
今頃誰かしらと思い受話器を取り上げると、
「藤本さんですか。W病院の者ですが、今ご主人が病院に運び込まれましたので、すぐに着替えを持ってこちらへ向かって下さい」
妻は反射的に立ち上がり、身支度をして車で病院へ向かった。
十分程して病院へ飛び込むと、
「あちらの救急室の方へ回ってください」
と言われて、小走りになって救急室のドアに向かった。
「奥さんですか。どうぞこちらです」
先程、駅から通報があり、駅のベンチにうつむいて座っていた藤本が突然もどし始めた事、酔っ払いではなさそうなので救急車を呼んだ事などの説明を受けた。
「多分、胃炎程度かと思われますが、潰瘍もあるといけないので入院されて検査を受けた方が良いと思いますが」
そう言われて妻は、入院の手続きを済ませ、会社に電話を入れた。事情を説明して、しばらく休むことを告げ電話を切った。
村井は、部のOL嬢から連絡を受けると、ニヤッとして席を立った。
妻は藤本を哀れに思い、病室に移されてからも、付きっきりの看病をするのであった。
四日後の朝、担当医と看護婦が藤本の傍らに立った。
検査結果は神経性の胃潰瘍であるが、出血も止まり快方に向かっているので、本人が良ければ退院できるとの事であった。
医師たちが立ち去った後、妻は布団をめくって藤本の手をさすった。
「あなた、今の会社辞めたら」
藤本は大きな溜息を一つついた後、上を向いたままゆっくりと首を縦に振った。妻は藤本の目を見つめて、その手をきつく握り締めた。
退院後、藤本は家から会社へ電話をして、村井を呼び出した。
「もしもし村井ですが、心配してたんですよ。具合はいかがですか。どうされましたか。今、病院ですか。...ああ退院されたんですか。良かったですね、たいした事なくて。今日あたり見舞いに行こうと思ってたんですよ」
「今日、貴殿宛てに辞表を送っておきますので宜しくお願いします。私の持物は何も残してありませんので、会社まで出向く必要はないと思います。それ以外は郵便で処理するようお願いします。どうもお世話になりました」
藤本は受話器を勢い良く電話機にたたきつけた。心に溜まった、ぶつけ処のない怒りをどうする事もできず、家を飛び出した。
「あら、今日はお休みですか」
隣の奥方が前の道路をほうきで掃く手を休めて声を掛けて来た。
「ええ、ちょっと」
と言って逃げるように公園の方へ走った。
公園へ着くと誰もいないベンチに腰を下ろし、呆然とした。
目前の風景がだんだん霞んで来た。長年通った会社の同僚達の顔が浮かんでは消えていった。礼子の悲しそうな顔も現れた。
その顔は、
「部長、泣かないで下さい」
と訴えていた。
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