第8話

 村井と社長はY料亭のいつもの部屋で、Z社の木村常務の来るのをじっと待っていた。社長は村井に藤本の事をいろいろと尋ねた。


「どうだね、奴さん。藤本っていったね。うまくいっているかね。今月中に退社するように頼むよ」

「バッチリですよ、社長。大分弱ってますから、もうじきだと思います」


 村井は指で丸を作ってOKのサインを出した。


「今日、Z社の方から振り込みがあった。何しろ今月中に藤本に辞めて貰わんと経費嵩むからねえ。今日のところは、木村常務にはこんなもんで勘弁してもらってくれ」


 カバンから茶封筒を取り出し、それを村井に渡しながら、

「今夜は俺はすぐ帰るから、後を頼むよ」

 と念を押すように言った。


 村井は、すかさず小指を差し出し、

「これですか、今夜も」

「馬鹿、仕事だよ」

 と打ち消すと、

「社長、隠さなくたっていいじゃないですか。ネタは上がってんだから」


 キッキッと白い歯を見せて村井は社長をからかった。




「いやだ常務ったら、いけませんよ、そんなことしたら。ウフフフ、こちらのお部屋です、どうぞ」

 女将の声が廊下から襖越しに聞こえて来た。


「おい来たぞ」

 社長が村井の腕を肘で付くと、襖がスーッと開いた。


「いや遅くなってすまん。下らん会議が長引いてね」

 村井はさっと立ち上がり、床の間の前の上座に木村を案内した。

「常務、上着を」

 

 脱ぎかけた背広に後ろから手をかけ、それを女将に渡した。


 常務は座椅子に腰を下ろした。

「いや、御苦労さん、御苦労さん」

 お手拭きを手に取ると、社長の顔を覗き込んだ。

 社長は慌てて、

「まっ、取り合えずどうぞ」


 卓にある冷えたビール瓶を両手に取り、木村のグラスになみなみとついだ。

「おーっとっと」 

 急いでそれを口に運ぶと、今度は木村が社長のグラスにビールを注いだ。


「で、どうなりました、藤本は」

「問題ありません。今頃は御社を辞めた事を、いやというほど後悔していますよ」

「それは上出来ですなあ。何しろ我が社が恨みをもたれるのだけは避けたいからねえ」

 村井の方を向いて、今度は卓の上のおちょこを取り上げた。

 村井はサッとトックリを両手でつかみ、木村の手の上でそれを傾けた。


「すみませんが常務、私これで今夜は失礼させて頂きます。詳しい事は村井に聞いて頂けますか。

 それでは私は」

 と言いながら社長は立ち上がると深々と頭を下げて襖の外へ出て行った。


「あら社長、もうお帰りなの、つまんない」


 偶然廊下で出会った芸者ママ奴に言われて社長は手を顔の前に立てて、今日は失敬するよ、という仕草をして、その太い体を身軽に動かして玄関の方へソロソロと歩いて出て行った。


「君の処の社長は、腰が低くていいねえ」

 木村はトックリを村井に差し出すと、

「いや、あれでなかなか頑固でケチなんですよ」


 社長から渡された茶封筒をそっとズボンのポケットから取り出し、木村の前に差し出した。


 木村は左手でそれをスッと受け取ると、手の感触で中身を計算しながら、

「ケチは困るね、ケチは」

 と言ってからさっさとそれをズボンのポケットに押し込んだ。


「ところで藤本の奴どうしてる。社長の言う通りなんだろうね」


「常務、それだけは心配ありません。今月一杯待たずに辞めますよ」


「オーケー、それでこそ村井君だ。ところで又仕事なんだが、H部の矢野部長なんだが宜しく頼む。彼のファイルはもうそっちに郵送してある」


「常務、速いですね、やる事が。今度は少しアップして貰えませんかね。ここんとこ経費もだいぶ嵩んできて」


「わかった。今までの20%増しにさせるから良くそっちの社長に言っておけよ」

 そう言って村井に、ママ奴を座敷に呼ぶように促した。


 暫くすると、女将が座敷に入って来て、

「今夜は常務、顔色がいいわよ」

 と木村に寄り添うようにしてトックリを傾けた。


「ママ奴はどうしてるかな」

 木村が首を伸ばすと、

「ハイハイ、今すぐ来ますよ」

 と言って木村の膝を軽くたたいた。


「あーら、常務、待ってたわよー」

 ママ奴が座敷に入って来たかと思うといきなり女将の反対側に座り込んで木村に抱きついた。

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