第15話 吉川晃司〜COMPLEX〜吉川晃司

 これはもう絶対書かなきゃいけない人です。


 子供の頃のお出かけで言えば、伊豆にドライブ。ホントうちは伊豆しか行かない、夏しか動かない、そして予定などなく「今から行くぞ」と午前4時くらいに親父が思い立った時に急に出発。昼に友達と遊ぶ約束していようが、親父が言い出したら誰も逆らえない。

 そして、うちの車は4人家族だというのにフェアレディZ。狭い後部座席に弟と座らされ、伊豆までのクネクネした山道、必ず僕か弟のどちらかが途中で吐いてました。そしてカーステレオでは、矢沢永吉か柳ジョージかポールマッカートニー。

 これが僕のサマーソング。

 アニメや戦隊モノの主題歌の入ったカセットテープを持参するのですが、親父はなかなかかけてくれない。

 小学4年生の頃でしょうか、学校でも「ウォークマン」という外でもカセットテープを聴ける物が流行り始めて、みんな「ブルーハーツ」を聴いてるのです。ませてる奴は「マイケルジャクソン」とか聴いてる奴もいる中で、僕は家にある親父のレコードからダビングしたカセットテープを持ち出し、ヤザワを聴いてるので友達と話が合わない。

 皆んなが「トゥートゥートゥー、トゥートゥートゥトゥトゥトゥ」と歌っている中で、1人で「ヨーコハマー、二十歳前〜♪」と歌っている小学生。


 音楽には興味があったものの、どこから手を付けていいか分からず、家にあったものを聴いていたので、矢沢永吉、柳ジョージは、ドライブで聴くのでなければ好きだったんですね。(そう言えば、加トちゃんケンちゃんごきげんテレビでも柳ジョージの曲が使われてましたね)


 それでベストテンなんかの音楽番組も自分から見るようになって、「なんだ、コイツ!」と衝撃を受けたのが、吉川晃司様。

 歌いながらバク宙したり、足を高く上げてキックしたかと思えば、船の上でクネクネ踊りながら歌って、曲の終わりに海にダイブ!


「凄えー!」と子供心に思ったわけです。


 ちょうどその頃、僕の弟は小さな頃、重い病気で両親はあまりどこかへ連れていけないと(今思うと、ただ遠出するのが面倒だっただけではないかと思いますが)、遊びに行くのはいつも従兄弟の家族と。春休みか夏休みか忘れましたが、仲良かった2つ違いの従兄弟のお姉ちゃんと、その友達が映画のアニメ「タッチ」を見に行くというので、一緒に連れて行ってもらったのです。その「タッチ」と二本立てで(昔は上映時間の関係で、よく同時上映とか二本立てとかの映画がありましたね)、なんと吉川晃司の「テイクイットイージー」。

 実は映画タイトルすら覚えてなくて、記憶はつみきみほさんが超能力かなにか不思議な力を持っている設定だったかな、というのと、吉川晃司が馬に飛び乗るシーンがあるんですけど、吉川晃司のジャンプ力があり過ぎて、馬を飛び越えてしまうというシーンしか覚えてなくて、ウィキペディアで調べたら「テイクイットイージー」が出てきたんです。


 とにかく少年だった僕に、カッコイイ!と初めて思った人物なのです。

 当時の歌番組で出てくる人たちは、歌唱力抜群の歌手か、不良っぽいバンドマン系ミュージシャンか、アイドル、マッチ、トシちゃん、グッバイヨッちゃん、なのですが、吉川晃司は存在そのものがどこにも属さない感じで(他にもそういうアーティストはいたと思うのですが、僕の許容範囲の中では吉川晃司しかいなかった)、もう歌番組で吉川晃司が出てくれば、その日1日得した気分で、吉川晃司が出て来なければ物足りない1日に感じる日々が始まるのです。


 親父のカセットテープコレクションは、レンタルレコード屋から借りたものをカセットテープにダビングしたもので、それからというもの親父がレンタルレコード屋に行くのについて行くのですが、親父が借りるレコードを選んでいる横から、「これ借りたい」と吉川晃司を示しても「そいつは男のくせに化粧してるから好きじゃない」と借りてくれません。

 ちょっと、親父が好きな忌野清志郎も化粧してますよ、とは反論できず、しょんぼりして帰ってくるのです。


 そして小学6年か中1の頃、うちに初めて購入したのがCDプレイヤー。まだ当時のやつは、カセットの付いてるステレオに接続して使うバラ売りのタイプで、CD再生だけしかできないくせに、やたらとでかい箱で、レコードだと針を変えなきゃならないとか不便だと、親父が思い切って購入してきたのです。まあ、その購入直前、レンタルレコードを返しに行ったところ、店の店員が親父が返したレコード盤をチェックして、「傷がついてるので、弁償ですね」と言ってきたので、「そんなの最初からついてただろうが!」と親父が店員と猛喧嘩をしまして、「2度と借りねえぞ!」という事件があり、うちにCDプレイヤー導入というところから、僕のCD人生が始まるのです。


 母ちゃんから小遣いも貰えるようになり、いきなりCDは買えないので、CDレンタル屋さんに行くわけです。当時レコードレンタル屋さんがどんどん潰れていって、親父の「二度と借りねえぞ!」と言ってきた店も潰れ、その代わりにCDレンタル屋さんが増え始めてきました。そこへ、バンドブーム。

 ジャンスカやユニコーン、レピッシュなんか目移りしているところ、僕の耳に入ってきたのは、布袋さんの声。


「ビーマイベイベー、ビーマイベイベー」


「!」CDジャケットは吉川晃司と布袋寅泰のアップの写真。もう借りるしかない!

 僕が布袋寅泰を知るのは、BOφWYじゃなくてCOMPLEXが先だったんです。


 家に帰ってカセットテープにダビング。昔はCD-Rなんかないですからね。そしてCDジャケットもコンビニで、ちょっと縮小してカセットテープのジャケット用にコピーし、歌詞カードも全部コピー。完全保存版にするわけです。


 そして翌年、COMPLEXセカンドアルバム「1990」が発売、その頃はもうレンタルじゃ満足できずにコレクションし始めていたので僕は急いで初回盤を手に入れるためCD屋さんに行くわけです。初回盤は、なんかスチールなのか鉄みたいなケースに入っていて、未だ開けにくいのですが、うちのお宝です。

 そしてもう、カセットテープでは満足いかないのでファーストアルバム「BE MY BABY」も購入。それから、吉川晃司のソロアルバムも遡って、集める集める。結局ファーストとセカンド、「パラシュートが落ちた夏」と「LA VIE EN ROSE」だけ持っていなあのですが、あとは全部購入しました。


 そして、「サイケデリック ヒップ」で凄いベースを聴いてしまうのです。「誰が弾いてんだ?」と調べて「後藤次利」という天才ベーシストにやられてしまうのです。後藤次利は秋元康作詞、後藤次利作曲で、よく「とんねるず」の曲を作っていた天才です。


 さあCOMPLEX、早くサードアルバムが聴かせてちょーだい、と思っていると早くも解散。大人の事情があるのかと思いますが、中学生の僕には、なんでー!?としか思えなかったです。


 そしてすぐに吉川晃司、ソロ始動!流石です。夜のヒットスタジオに出てるじゃないですか!曲のタイトルは「Virgin Moon」!!

 そしてバックには天才「後藤次利」、ギターは「DER ZIBET」のHIKARU、キーボードはUP-BEATにもサポートしているホッピー神山、凄いメンバーで活動開始!

 もう、その夜のヒットスタジオの録画ビデオは何回も巻き戻して見て、テレビの前から退かない僕に親父は、


「俺は眠らないーぜー、じゃねえ、早く寝ろ!」


 と言うのでした。


 その後発売されたアルバム「LUNATIC LION」ではサポートドラマーの名前が「小田原豊」もうヤバイアルバムです。


 その後今でも聴くCDのうちの1つ。


 また吉川晃司の魅力は音楽やバク宙だけでなくて、ケンカ伝説。酔って知人のプロボクサーの肋骨を折ったとか、色々。テレビでサバイバル生活をしたり、トーク番組でも面白い人で、氷室京介と吉川晃司で街に出かけていたところ、喉が渇いたのでコンビニに入ろうとしたら、「お前は目立つから俺が買ってくる」と言うヒムロックに「あなたの方が目立つでしょ」という話だったり、何から何まで最高な吉川晃司さんでした。


 最近は俳優としても存在感を放ち、「下町ロケット」を見ていると、好きな俳優さんばかり出ている中で、やっぱり帝国重工の財前道生が1番カッコいいのでした。


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