沙羅の過去を聞く我 3

 ルスルの花畑から、ゆっくりと歩いて祠へと向かう。

 畑から移動する際、捧げ人の後ろには小さな子や老人もたくさんいる

 誰も遅れないように、祠へ向かうスピードはゆっくりと。ゆっくりと。

 振り返らずともその気配を感じながら、彼女は祠へと歩みを進める。


 静まり返った祠は、ルスルを捧げるとぼんやりと光った。

 

 歌が聞こえる。

 この声は、いつも捧げ人の踊りの時に歌ってくれるドルコさんの声。村一番の美声といつも豪語していた。自分で言わなくたって、誰しもがその力を認めていた。


 太鼓の音が聞こえる。

 太鼓を叩くのはカエルゴおじさん、ケイトおばさん、お父さん。

 幼馴染のトーキーは、私がお父さんの太鼓で舞の練習ができるのをずるいと妬んでいたっけ。


『これは、自然を神様に守ってもらうための舞。私達がいつまでも自然に囲まれて、こうやってみなで生きていけることを、お願いするための舞なの』


(トン、トン、トトトン。トン、トン、トトトン。トトトン、トトトン)


 ひらり、ひらり。


『そうね。みんないつかは死ぬわ。けれど……ずっとずっと人の営みは続いて行くのよ。まだ、――には難しいかもしれないわね』


(トン、トン、トトン)


 くるり、くるり。


『今は分からなくてもいいの。しっかり踊って、神様にお願いしましょう』


 捧げ人の着る服の袖に大きく持たされたたもとは、優雅に蝶の羽のように広がる。

 ルスルの花の美しさに惹かれて、蝶はその周りを優雅に舞う。

 ルスルはその蝶の美しさを、ゆらゆらと楽しそうに見つめる。


(トン、トン、トン)


 両手を広げ、天を仰ぐ。


「人の営みが、これからも未来永劫えいごう続いていきますように」


 踊りが終わると、ルスルの花は喜びに満ち溢れて光り輝きながら天へと昇っていった。


(お父さん、お母さん……。私はちゃんと……捧げ人のお役目を、やりきったよ)


 天を仰ぎ見たまま、勇者はその場に崩れ落ちて、虚ろな瞳で空を見上げ続けていた。


(私、頑張ったんだよ。だから、褒めて……?)

 

 ポタリ、と頬に一粒の雨が当たる。

 そこから、彼女の体がぐっしょりと濡れそぼるまで時間はそう掛からなかった。

 涙なのか、雨なのか……彼女にとってはその絶望の前にどちらだったとしても、大した差はなかった。


 ぼんやりとしている彼女の耳に、蹄の音が聞こえてきた。

 四肢に力が入らず、動くことをもうやめてしまいたいと思っていたのに、その音にはっとなり、よろよろと移動して、洞窟へ身を潜める。


「誰か、いるのか?」

 

 洞穴の中を覗き込まれたら、隠れる場所はない。

 彼女は怯えた目を、その声を発した主に向けた。

 松明たいまつ代わりに灯された光の魔法が、ゆらゆらとそのフードを被った男の顔を照らしていた。

 精悍せいかんな顔つきの鎧姿の大男は、それでも怯えた彼女をなんとか安心させようと、頑張って慣れない笑顔を作る。

 その引きった笑顔が驚くほど怖かったことを、勇者は覚えている。


「怯えなくていい。俺は君を助けに来た。あ、自己紹介を先にしよう。ルドラゴ王国のカース騎士大隊第一騎士隊隊長のヒュース。君は、この村の子だな?」

「……うん」

 

 絞り出すように声を発した勇者。


「隊長、村の生き残りが誰かいたのですか!?」

 

 ヒュースの後ろから少しハスキーな女性の声が聴こえた。


「少女が一人、この奥にいる」

「どいて下さいヒュース隊長。隊長の笑顔は笑っているんだか怒っているんだかよく分からなくてとても怖いですからね。僕が行きます」

 

 歯に布着せぬ物言いに、ショックを受けたヒュースを押しのけて、僕という一人称を使う女性が洞穴の中へ入ってきた。後ろではヒュースが自分の顔をぺたぺた触りながら、笑顔の練習をしていて、それが少しあわれだった。

 へたり込んでいる勇者と目線を合わせる様に、彼女はフードを剥いでしゃがむ。青っぽい黒髪のショートヘアが良く似合う、少し気の強そうな女性は、人懐っこい笑顔で、勇者に微笑みかけた。


「もう、大丈夫だ。私はルドラゴ王国カース騎士大隊第一騎士隊副隊長のマユ。うちの隊長の笑顔は、他の隊員からも怖いって評判なんだ。驚かせてごめんね。でもあの人、悪い人じゃないから」

「うん……」

「どうやら、怪我はないようだね。意識もはっきりしているし。ヒュース隊長、僕はこのままこの子を保護して首都に向かいます。後の調査は任せます。よろしいですね?」

 

 指を口に突っ込んで、唇の両端を持ち上げていたヒュースはそのままこちらを向いて返事をした。


「ふぁ、ふぁあ」

「頑張っているつもりでしょうが、怖いです、隊長」


 頑張って笑顔を作ろうとしているヒュースに対して、あんまりな物言いだった。

 マユが被っていたフードを被せられて、馬の背へと持ち上げられる。

 

「目を瞑って。開いても良くなったら言うから。いいかい? 目は開けないこと」

「分かった……」


 マユは、勇者にそう念を押し、勇者は肯定の返事をした。

 それは、きっと彼女なりの配慮だった。

 この幼い子供に、村の惨状を見せないように村を駆け抜けようという配慮。

 祠の周辺から、村の外へと出るには必ず村を通る必要があったからだ。 

 しかし、勇者はもうすでに村の中がどうなっているのかを知っていた。

 

 そして勇者は……、その光景を自分の瞳に焼き付けておくことを選んだのだった。

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