第52話 勇者

 それまでの物とは比較にならない、強大な攻撃魔法が何発も魔群の巨体に炸裂する。

 しかし、その魔群は歩みを止めることはなかった。

 体のそこここに、かなり大きな損傷跡ができていたが、体が大きい分、それだけでは致命傷にはならないようだ。

「しぶといな!」

 そういい捨ててから、トダは再度攻撃呪文の詠唱を再開する。

「……駄目!」

 突然、チドリが前の方に出て、防御結界を張る呪文を早口に唱えはじめる。

 チドリが詠唱を終えるのと同時に、魔群は口から鮮やかなオレンジ色の火球を吐き出した。

 直径が人間の身長の倍以上はある特大の火球を、チドリの結界はどうにか遮ることに成功する。

「飛び道具まで持っているのか」

 カドタが、げんなりとした口調でいった。

「ユイヒ!

 お前の攻撃は、まだ届かないのか!」

「もうちょい近づかないと無理」

 オレは、掠れた声でいう。

「こっちも、立っているのかやっとなんだ」

 それほど、オレは疲れ果てていた。

 こちらの攻撃が届くのならば、とっくに手を出している。


「どうにかならないのか?」

 オレは頭の中で、ナナシに訊ねた。

「ここからあの魔群を攻撃する方法とか、ないか?」

「理論的には可能だが、現実には不可能」

 ナナシの返答は、これまでに聞いたことがないものだった。

 こいつはこれまで、この手の質問に対しては可能か不可能で答えている。

「その攻撃を現実でも可能とする条件は?」

 続けて、オレは確認をする。

「これまでにナナシが蓄積していたエネルギーをすべて解放する」

 ナナシは即答する。

「しかし、それをするとナナシはこの次元に留まることができなくなる。

 ゆえに、推奨できない」

「最後の一撃、ってわけか」

 オレは、ほんの少しだけ考えてみた。

「なんだかよくわからなんが、その方法をやってくれ」

 そしてすぐに、そう結論する。

 もともとこのナナシは、オレには過ぎた存在だった。

 そのナナシがいなくなったとしても、うん、オレたちとジガノの連中が全滅するよりは、遙かにマシだ。


 オレがナナシとそんな問答をしている間にも、他の三人は忙しく働いている。

 魔群とは、攻撃魔法と火球の撃ち合いになっていた。

 こちらは交替で防御結界を張りながら攻撃魔法を放つわけで、攻撃回数では魔群の方が優勢だった。

 それに、魔群の方はこちらの攻撃が何度も直撃しているのにも関わらず、進行速度を緩めようとはしない。

 距離が近くなるにつれて、火球の威力も多くなり、防御結界を張る間隔も短くなった。

 つまり、こちらの火力は時間が経過するのに従って、貧弱になっていく。

 たった三人で魔法を連発している以上、防御に注力すれば攻撃がおろそかになるのは避けられなかった。

 三人が必死になって交戦している中、オレはナナシとの打ち合わせを終えて、魔群がこちらの間合いに入るのを待つ。

 他の三人は、オレがぼうっと突っ立って休んでいるように見えただろう。

「今」

 素っ気ないナナシの合図が、オレの脳裏に響く。

 オレは無言のまま、渾身の力を込めて手にしていた短剣を振り抜く。

 その動きに合わせて、魔群の巨体が、袈裟懸けに裂けた。

 切り口、というより、ほとんど胴体を斜めに分断している。

 これまでのナナシの力、その威力よりもずっと大きな戦果といえる。

「ともにあり、多くを食らい、多くを学んだ」

 ナナシの意思が、オレの中に流れ込んでくる。

「これが最後」

 それを最後に、オレはナナシの存在がどこにも感じられなくなった。


「凄えな、おい!」

「まだ倒しきってないし!」

「今だ!

 攻撃を集中しろ!」

 三人の生き残りユウシャたちは、口々にそんなことをいって、ここぞとばかりに攻撃魔法を連発する。

 あれほどの、胴体をほぼ分断されながらも、巨大な魔群はまだ倒れていなかった。

 ただ、例の火球を吐き出すとは止まっていたから、弱ってはいるのだろう。

 この場で攻撃を集中して倒しきらなければ、これまでにやってきたことが無駄になる。

 三人のユウシャたちは、その場でそう判断したらしかった。

 しかし。

「おい!」

 カドタが叫んだ。

「あいつ、持ち直しているぞ!」

 カドタが指摘した通り、ざっくりと裂けた魔群の大きな傷口が、中から滲んできた体液によって埋められているところだった。

 一度歩みを止めていた魔群は、すぐにまた、元の歩調で歩き出す。

「再生能力まで持っているなんて!」

 トダが叫んだ。

「どうしろってんだよ!」

「結界を!」

 そう叫んでから、チドリは早口で呪文を唱えはじめた。

「火球が来る!」

 魔群の口から、それまで以上に大きな火球が次々と吐き出された。

 チドリだけではなく、他の二人も慌てて防御結界を展開する。

 三重の結界に阻まれてもなお、魔群の火急は周囲の空気を焦がした。

 空気がかなり熱せられて、普通に呼吸をするだけで喉の湿気がもっていかれるほどだ。

「あはは」

 チドリが、力なく笑った。

「今度こそ、いよいよ駄目っぽい」

「諦めるな!」

 トダが叫ぶ。

「ユイヒ、さっきの攻撃は!」

「もうできないよ!」

 オレは、ゆっくりと首を横に振る。

「あれが最後だったんだ」

「とりあえず、結界で守りを固めろ!」

 カドタが、そう怒鳴る。

「まだなにか、手が残っているかも知れない!

 必死で考えるんだ!」

 三人のユウシャたちは、立て続けに防御結界を張り直す。

 そうしていないと、オレたちはあっけなく干からびてしまうだろう。

 いや、万策が尽き、それ以外にやるべきことを思いつかなかっただけなのかも知れなかったが。

「くそ!」

 そのうち、カドタがそういって立ちあがった。

「おれ、行ってくるわ!

 なんの役にも立たないかもしれんが、やられっぱなしでは死んでも死にきれねえ!」

 結界の中に閉じこもっているよりは、悪足掻きをしたい。

 どうやら、そういうことらしい。

 このカドタは、他の二人と同様に、攻撃用の秘蹟を授かっていないはずだったが。

「援護する」

 オレはいった。

 オレの生業は盗賊。

 逃げる、隠れる、敵の動きを阻害する。

 そうした手段なら、いくつも持っている。


 オレが張った煙幕に紛れて、カドタは魔群に接近した。

 そして、剣で斬りつける。

 が、魔群の体表は思ったよりも硬かったらしく、渾身の力で斬りつけた剣は、その力をほとんど殺さないまま、大きく弾かれた。

 大きく背後に背を逸らして、上体を泳がせたカドタは、そのままその場に尻餅をつき。

 そこで、魔群に踏み潰された。

 カドタの行為は、文字通り、無駄な抵抗に終わる。


 カドタとは違い、他の二人は防御に徹して、最後まで結界を張り続けた。

 しかし、魔群が近づくにつれて周囲の空気全体が熱せられて、普通に呼吸をするだけでも苦しいほどだ。

 オレは袖口で口と鼻を覆い、他の二人は詠唱していた呪文が途絶えがちになった。

「くそ!」

 トダが悪態をつきながら立ちあがり、いきなり上着を脱ぎはじめる。

 見ると、トダの上着に火がついておいた。

 どうやら、呪文を詠唱する速度が遅くなった分、結界が薄くなり、どこからか入り込んだ火の粉がトダの上着に燃え移ったらしい。

「畜生!」

 上着を地面に叩きつけながら、トダが叫んだ。

「人間を、ユウシャを舐めるなよ!

 おれたちが駄目でも、いつか別のやつがお前を滅ぼすからな!」

 それは、精一杯の虚勢であり、呪詛だったのだろう。

 しかし、呪文を唱えているのは、今やチドリ一人だった。

 薄くなった結界を通過した熱気に吹き飛ばされて、トダの体は結界の外に出てしまう。

 そこであっけなく火だるまになって絶命した。


「ごめんね」

 チドリは、それからもしばらく、魔群に背を向け、オレの体を抱きしめながら結界の呪文を詠唱し続けていた。

「守ってあげられなくて、ごめんね」

 そういうチドリの背中からは炎が、あがっていた。


 ナナシ、神官長たち、ユウシャたち。

 全員が力を合わせても、この魔群には対抗できなかった。

 いや、ここまで粘って来たこられたことの方が、どちらかというと奇跡だったのだろう。

 事実、ベッデルやジガノ以外のほとんどの土地は、すでに魔群のおかげで滅んでいる。

 オレは、チドリの体を抱き返しながら、うつろな気分になった。

 オレ自身のことは、まあいい。

 遅いか早いかの差こそあれ、いつかは、こうなったはずだ。

 こんなご時世だから、それは仕方がない。

 だが。

「ふざけんな、馬鹿野郎!」

 オレは、最後の力を振り絞って叫んだ。

「オレたちがやって来たことは、全部意味がなかったのかよ!」

 もう、終わりだ。

 その時のオレは、そう確信していた。


 しかしオレの確信は、かなり意外な形で覆される。

 それも、かなりあっさりといた形で。

 火球を吐きながらオレたちに近づいていた魔群が、オレが見ている前で、不意に形を崩したのだ。

 え?

 と、オレは驚く。

 驚くこと以外に、なにもできなかった。

 その魔群に向けて、巨大な雷が落ちていた。

 偶然、ということはない。

 自然な落雷は、オレもなんどか遠目に見かけたことはあるが、この魔群を襲っている雷のように、まるで生きているかのように蠢き繰り返し叩きつけられるものではなかった。

 魔法、か?

 と、オレは疑問に思う。

 だとすればかなり法外な、ユウシャ百人分以上の魔力を束ねて、その魔群にぶつけていることになる。

 そんな馬鹿な。

 と、オレは自分の推測を即座に否定した。

 そんなことができる人間が、この地上に存在するはずがない。

 その雷によって瞬間に全身を焼き尽くされた魔群は、その場で全身の輪郭をなくして崩れていく。


「遅くなってすまなかった」

 唐突に、オレの目の前に現れた男が、そういった。

「遅くはなったが。

 今回はどうにか、ギリギリ、間に合ったようだな」

「あんた、誰?」

 オレは、反射的に訊ねている。

「おれの名は、カンジ」

 上半身裸の男は、そう名乗った。

「ここでは、勇者と呼ばれている」


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