第49話 限界と死闘。想定外の救援。そして、死にたがりのユウシャたち。

「参ったな」

 周囲を見渡し、荒くなった息を整えながら、オレはそんな風に思う。

 調子に乗って、体力の配分を間違えた。

 オレがしでかしたミスは、そのたったひとつだけだった。

 たったひとつではあるが、決定的にミスといえる。

 この場には、今のオレ以上に頼りになる戦力はなく、その肝心のオレ自身がこうしてへばっているわけだ。

 これ以上に危機的な状況も、ちょっとない。

 なにしろオレ自身が助かる道筋というのが、想像できないかった。

 こうしている今も、オレの膝は力が入らない。

 立っているのがやっとの状態であり、走って逃げるなどは到底無理に思えた。

 にもかかわらず、魔群の方は地響きを立ててオレの方へと集まりつつある。

「参ったな」

 オレはもう一度同じことをいって、そしてなぜか笑った。

 本当にどうしようもない状況に陥った時は、嘆き悲しむよりは笑いたくなるものらしい。

 自分が絶望的な状況から脱する方法を思いつかず、一種の諦めから来る笑いだとは思ったが。


 そうこうするうちに、いよいよ魔群がオレの近くまで迫ってきた。

 背の高さはオレ自身の軽く十倍以上。

 かなりの巨体であり、体重もその大きさ相応なのだろう。

 一歩踏み出すごとに地響きを立て、見あげるほどの大きな魔群が自分の方に向かってくる様子は、あまりにも悪夢めいていてかえって現実感がなかった。

 やつらが近づいてくる間、オレもなにもしなかったわけではない。

 何度かその場から逃げようとしたのだが、そのたびに足がもつれて、その場に転びそうになった。

 完全に足に来ている状態であり、こんな有様では到底、この場から逃げ切ることはできないだろう。

「ナナシ」

 念のため、オレはそう確認してみる。

「お前の力だけで、やつらを片付けることはできないのか?」

「不可能」

 ナナシは即答する。

「ナナシは過度の干渉ができない」

「どこからが、過度の干渉になるんだ?」

「ユイヒの行動を手助けすることは可能だが、自分から行動をすることはできない」

「オレの意思に沿って、オレの体を動かす」

 少し考えて、オレはそう確認する。

「あるいは、ここではないどこか離れた場所にまで運ぶことはできるか?」

「可能であることもあるが、そうではないこともある」

 ナナシはオレの質問に答える。

「足を動かすユイヒの動きを補助して何十倍も移動させることは可能だが、ユイヒが移動先を指定するだけでは移動できない」

 ふむ。

 オレは思った。

 どうやらナナシは、あくまでオレの行動を補助するだけであり、オレが言葉のみを発してもそれに従うことはできないらしい。

 文句をいっても仕方がない。

 ナナシとは、そういう存在なのだ。

 ナナシ自身の意思によらず、そうできている。

 そう考えるしかない。

 できないことは、できない。

 それを前提にして、最善を尽くすしかなさそうだった。

「しばらく、跳んだり走ったりはできそうにないな」

 周囲をもう一度見渡して、オレはいった。

「この場所で、近づいてくるやつらを片っ端から倒していくか」

 それ以外に、今のオレにできることはなさそうだ。

 それでも、さらに時間が経てば、オレの体力が尽きてそれすらもできなくなり、オレはやつらに、あの魔群に殺される。

 そういう結末は容易に想像ができたが、今のこの状況では、他によりよい選択はできそうもない。

 別にオレはここで死にたいわけではなかったが、引き際を判断し損ねたオレのミスが今回の件の元凶であり、他の誰かを怨むこともできなさそうだ。

 だったらせいぜい、一体でも多くの魔群を道連れにしてやるさ。

 そう決意し、オレは短剣を持ち直す。


 それからのことは、正直にいえば思い返したくはない。

 今まで生きてきた中で、一番キツい時間だった。

 際限なく寄ってくる魔群を、片っ端から、近い順番から解体していく。

 ナナシが、それを順番に食べて消す。

 オレが短剣を振るえば魔群の血肉が周囲に飛び、切断する部位が散らばるのだが、切断した端からナナシが食べていくので、周辺はそんなに汚れなかった。

 ナナシが食わなければ魔群の死体もそこいら中に積み重なることになり、かなりの惨状を目にするはずだったが、ナナシがいるおかげでそうなってはいない。

 それはともかく、オレはその場に立ち尽くし、ときおり体の向きを変えるだけで、休みなく迫り来る魔群を順番に捌いていった。

 いくらナナシのおかげで動作が全般に高速化されているとはいえ、文字通り本当に気の休まる暇がなかった。

 ナナシは、オレに警告を発することもできないらしく、近づいてくる魔群の位置確認はオレ自身でやらなければならない。

 体力的にもキツかったが、それ以上に精神的にキツかった。

 全周囲を警戒し、魔群の動きに即応し続ける。

 そんな真似を長い時間、続ける。

 肉体と精神の両方に思い負担をかけるその時間は、拷問を受けているのにも等しい。

 それがはじまる時点でオレはかなりの疲労を感じていたわけだが、そんなオレの状態には関わりなく魔群は次々と集まってくる。

 オレの体力が尽きるのが先か、それとも魔群の全滅するのが先か。

 そんな感じだったが、順当に考えればオレが殺される方が先だろう。

 ナナシのおかげであれほど大きな魔群も、一体ならばいくらもしないで倒せるようになっていたが、その数に際限がないとなると話は別だ。

 倒しても倒しても倒しても、やつらは次々とやってくる。

 それも、地上を移動するだけではなく、空を飛んで頭上から襲ってくるやつもボチボチ出て来た。

 どうやらやつらは、この場に立ち尽くしているオレを自分の天敵として認めたらしい。

 やつらの包囲網のさらに外、ジガノの様子がどうなっているのか、確認する余裕はなかったが、オレに向かってくる魔群の数は、時間が経過するごとに着実に増えていた。

 今、外からオレの周辺をみたら、オレに向かって集まっては解体されていく様子を認めることができたはずだ。

 どんどん数が増えていく魔群に比べて、オレの方は次第に反応が鈍くなっている。

 そう、自覚していた。

 オレは何度も目の中に入る汗を袖口で拭いながら、休みなく短剣を振るい続ける。

 足は体の向きを変えるだけよろける有様だったし、腕だって、もうかなり重い。

 気力を振り絞って、どうにか動かしているような状況だった。

 いよいよオレも、お終いかな。

 荒い息をつきながら、ぼんやりとそんなことを考えた時。

 異変が、起こった。


「おらよ!」

 そんなかけ声とともに、オレを取り囲んでいた魔群の一角が、唐突に吹き飛んだ。

「おい、ユイヒ!

 そこいらにいるんだろ!」

 その魔群を殴り飛ばしたのは、魔群よりも一回り大きな全裸の男、トリイだ。

「カドタのおっさんが、お前がここにいるっていってたぞ!」

 カドタとは、遠見の秘蹟を授かったユウシャの名だ。

 あまり親しくはないが、オレも面識がある。

「トリイ!」

 オレは、大声で叫ぶ。

「お前、こんなところでなにしてんだ!」

「それはこっちの台詞だ!」

 巨大化したトリイは、周囲の魔群を殴り、手足を引きちぎりながら叫んだ。

「ユウシャと違って、お前は死んだらそれで終わりなんだぞ!

 こんな真似はおれにまかせとけ!」

「今では、トリイだって同じだろ!」

 オレは叫び返す。

「吸魂管はもう作っていないんだぞ!」

 オレたちがジガノに到着してからこっち、新しい吸魂管を作るような余裕はなかったはずだ。

 今ここで死んだら、トリイたちユウシャでも、次に生き返るのがいつになるのかわからない。

 いや、今のジガノ状況を考えると、ユウシャを生き返らせるような余裕もなく、そのまま放置される可能性も大きい。

 この状況では、たとえユウシャでも生き返ることができる保証などないのだ。

「そんなの関係ねえ!」

 次々と手当たり次第、近くの魔群を素手で解体しながら、トリイは叫ぶ。

「仮にもオレたちゃ召喚されたユシャだぞ!

 お前みたいなガキひとりを見殺しにしたら、ユウシャやっている甲斐がないんだよ!」

「なんだよ、それ!」

 オレは叫んだ。

「そんなこと頼んでないぞ!

 ジガノの連中とか、もっと守り甲斐のある物を守れよ!」

「お前は少しやり過ぎたらしいな!」

 トリイがいった。

「ジガノを襲っていたやつも含めて、近くの魔群はみんなここを目指している!

 どうやらやつらにとって、ジガノなんかよりもお前の存在の方がよっぽど目障りらしい!

 おれだけではなく、他のユウシャもこっちに駆けつけているぞ!」

「馬鹿じゃないか、お前ら!」

 オレは大きな声でそういった。

「なんで自分から進んで、死にに来るんだよ!」

「だから、ユウシャだからだよ!」

 トリイは即答をした。

「おれたちは、お前らを救うためにわざわざ召喚されたんだ!」

 こいつらは。

 と、オレは確信した。

 極めつけの、馬鹿だ。

 ナナシの能力を持ってしても、この魔群はすぐには殲滅できないのだ。

 たとえユウシャが束になってかかったとしても、それだけでどうにかできる相手とも思えない。

 よくて互角、いいや、率直いえば、ユウシャたちの側が全滅して終わる可能性の方が大きい。

 たかだかオレ一人を救うために、そこまでする価値があるのだろうか?


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