第48話 逃走、中断、また危険。なんでこうも災厄が続くのか。でも、やるることはやる。

 オレはその場から脱兎のごとく立ち去る。

 盗賊の生業を持つオレは他人よりもかなり足が速いのだが、今はさらにナナシの力を使っている状態だったからかなりの速度が出ていたはずだ。

 周囲の風景が凄い勢いで後方へと流れていく。

 まだ夜も明けきらないうちに、足元が確かでない場所をこんな速度で走るのは危ないのだが、今回の場合は仕方がない。

 ジガノのやつらもしばらはあの魔群が破壊した後片付けで忙しいだろうから、オレがいないことに気づいた者がいたとしても、そんなに騒ぐ余裕もないはずだった。

 オレとしてはまだジガノ全体が混乱をしているうちに、ジガノから距離を空けておきたい。

 そう、今のうちに、オレを探したり、オレの後を追いかけようなんて考えられないほど、遠くへと逃げるんだ。

 しかし、オレが実際に走っている時間はそんなに長くはなかった。

 空から災厄が降り注いだからだ。


 最初に感じたのは、音だ。

 なんというか、巨大な物体が空気を切り裂いているような、そんな鋭い異音が頭の上から響いてきた。

 オレは反射的に足を止めて、頭上を見あげた。

 まだ夜が明けるまでには間があり、暗くてほとんどなにも見えなかったが、満点の星空の中、黒い物体がいくつも落下している。

 どうやらその物体はかなり大きいらしく、オレが見ているとどんどん大きくなっていった。

 なんだ?

 と、オレは目をこらす。

 もちろん、これが異常な事態だということは理解していたが、その異常の性質を早めに見極めておかないと対処のしようもない。

 それに、その物体はいくつも、オレのほぼ全周で落下中であり、どこにも逃げ場がなかった。

 オレが守る中、その物体は次々と地面に落下し、大きな衝撃が何度も起り、地面が波打った。

 少し遅れて、その物体が落下した場所から強い突風が吹き荒れて、オレの体はそのまま、文字通り翻弄されて地面の上を転がる。

 オレはチビで体重も軽い方だったし、こんな、地震と嵐が同時に来たような異常事態でまともに立っていられるわけもない。

 しばらくごろごろと転がり続け、どうにか落ち着いた後、オレはようやく立ちあがった。

 服についた土埃を手で払いながら周囲を見渡し、あまりのことにオレは絶句してしまう。

 荒野のあちこちに、見間違いようもない巨大な物体が起立している。

 つまり、オレがジガノで倒したばかりの、あれとまったく同じ種類の魔群、巨大な、直立した二本足の昆虫が、何十という単位で地上に降り立っていた。


 オレは滅多なことでは動じない。

 これまでは、そのつもりだった。

 しかし今回は、あまりにも想定外のなりゆきにしばらく思考が停止してしまった。

「くそ!」

 そして、少し考えた末、オレは来たばかりの方向へ引き返す。

 ジガノの連中では、あの魔群には対抗できない。

 いや、時間的な余裕があれば、ユウシャたちが力を合わせてどうにか倒せるのかも知れなかったが、そうする間に犠牲は必ず出るはずだ。

 それも、一体だけではなく、これほどの数と一度に戦うとなると、これはもう絶望的としかいいようがない。

 今度こそ、ジガノの町は壊滅してしまうだろう。

 つまり、オレがこのままなにもしなければ、ということだが。

 呆れたことに、かなり広い範囲で散らばって落下した魔群は、どういうわけかオレが目指している場所へと集まりつつあるらしい。

 つまり、この魔群たちもジガノへと進んでいたわけで、たった一体の魔群を相手にしてあれだけ手こずっていたジガノの連中にしてみれば、これはもうたまったものではない。

 連中も災難だよなあ。

 と、オレは思う。

 同時に、

「オレだけでこの魔群のすべてを倒しきることができるだろうか?」

 とも、疑問に思った。

 ナナシの、まだそこが見えない力を全開にすれば、案外、問題はないようにも思えるのだが、単独の魔群を一方的に攻撃するのと、これだけの数の魔群を一度に相手にするのとでは、まるで意味が違ってくる。

 同時に複数の魔群を相手にすればとどこかに隙ができるものだし、それに体力的な問題もある。

 いかにナナシの力が強力であるといっても、それを使うオレ自身は生身の人間だ。

 そのオレが立て続けに、こんな何十もいる魔群をすべて相手にすることは、なんというか、かなり危うい行為に思えた。

 魔群の数は、オレの視界に入っているだけでも数十を超える。

 そのすべてが人間の体の十倍以上はある、見あげるほど大きな体躯を持っていた。

 そんな魔群すべてをこれから相手にしようっていうのに、まるで不安を感じないやつは相当の命知らずか単なる馬鹿か、そのどちらかだろう。

 オレは、そのどちらでもないつもりだった。

 だからこの時点で、相手尾するだけ相手にして、限界を感じたらその時点で撤退をして逃げだそうと、そう決意をしていた。

 はっきりといってしまえば、オレは別にジガノの連中に対してそこまで大きな義理を感じているわけではなく、特に自分の命と引き換えにしてまで戦うべき動機を持っていなかった。

 この時点で知らんぷりを決め込んでジガノにはとって返さず、そのままどこかに逃げてしまってもよかったのだが、それはそれで後で寝覚めが悪くなる気もする。

 一度引き返し、やるだけのことをやった上で、無理だと思ったらその場から立ち去って、改めてジガノの町から離れる。

 それが、今のオレにできるギリギリの選択だった。


 ジガノに着く前に、オレは何体かの魔群を倒した。

 ナナシの力を使ってまず一刀のもとに胴体を分断して、それから細切れにする。

 最初にこの巨大魔群を倒した時は、オレもまだナナシの力を使うのに慣れておらず、どこまでのことができるのか、自分でも判断ができなかったが、今は違う。

 最初からやれるとわかったことをやるだけだったから、ほとんど危険もなかった。

 なにしろ魔群の側は、オレの存在など気にとめている様子もなく、無警戒なまままっすぐジガノへと向かうだけだったから、その背中をめがけて短剣を振りおろすのはそんなに難しいことではない。

 それに、巨大魔群とは目的地がいっしょだったので、普通に進んでいけば自然と進路がかち合う。

 走りながら短剣を振りおろし、そのままナナシに食べて貰えばそれでよかった。

 ジガノの連中も、オレよりも先に到着をした魔群を相手に、かなり奮戦していた。

 魔法やユウシャの秘蹟を総動員して、何体かは倒しているようだ。

 オレが最初に倒した魔群はジガノの町中に降り立ったが、今度のは遠くから移動して近寄って来るので、魔群の方が自分たちの射程距離に入るまで、準備をする余裕もあったのだろう。

 ユウシャたちもあれで、決して無能ではないし、今回のように複数人で連携して動くとなると、相応の破壊力を出すことができるのだった。

 ただ今回は、一体や二体では済まず、何十体という数の魔群が押し寄せているので、オレが助力をしなければ絶望的な状況だったわけだが。

 ジガノに接近した魔群の相手は町の連中に任せて、オレは町の周囲を大きく回って移動中の魔群を相手にして、間引く作業を続けた。

 今、下手にジガノに近づいて、町の連中の攻撃に巻き込まれてもつまらない。

 いいや、それ以上に、オレとしてはどういう形であるにせよ、この事態が決着をしたらその足でジガノから離れるつもりだった。

 だからまた下手に町中に入っていくより、遠巻きして魔群の相手に専念していた方がいいのだ。

 オレは駆け、短剣を振り降ろして、また駆ける。

 そんな単調な作業を延々と続けた。

 空が白みはじめても魔群が途切れることはなく、オレも休みなく作業を続ける。

 ときおり、オレの存在に気づいたのか、ジガノからオレの方へと進路を変えて近づいてくる魔群もあったが、それもオレにしてみれば自分が移動する手間を省いてくれただけのことだった。

 それもナナシの力の一端なのか、そうしている間中、オレが疲れを感じることはなかった。

 つまり、肉体的な疲労は、ということだが。

 ただ、精神というか、集中力は徐々に途切れがちになっていくことは、自分でも感じた。

 この分だと、予想をしていた通り、最後まではつき合いきれないかも知れないな。

 と、オレはそんな風に思う。

 自分の反応が次第に鈍くなっていくのを、オレは自覚することができた。

 ナナシの力により、オレはかなり高速度で動き回っていたので、ちょいとした不注意が大惨事を引き起こすことも十分に考えられる。

 もう少し様子を見て、頃合いだと判断したら、その後にジガノがどうなろうが、この場から撤退をするべきなのだろう。


 もう何十体の魔群を倒しただろうか。

 途中で数えるのもいやになって止めたため、正確な数はわからなかったが、まだ百体まではいっていないはずだ。

 それでもオレは単独でかなりの数の魔群を倒し続け、ついに長い夜が明ける。

 オレが倒した端から魔群の遺体はすべてナナシが食べ尽くしていたため、オレが戦った痕跡はほとんど残らなかったが、それでもオレは自分にできる精一杯のことをした。

 そう断言ができる。

 オレが限界を感じたのは夜が明けた直後、また一体の魔群を倒して賭けだそうとした時、膝とかかとに力が入らず、ガクンと体が下に沈んだからだ。

 そのまま地面に転がって、オレは、自分の全身が汗まみれになっていたことに気づく。

 これは。

 と、オレは思った。

 ナナシの力があるから、かえって自覚するのが遅れてしまったが。

 どうやら今のオレは、体力を使い果たした状態であるらしい。

 まずったなあ。

 地面の上に転がり、荒い息をついたオレは、そう思う。

 まだまだんこっている魔群が、そんなオレを目指して司法から近寄っているところだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る