第32話 突然の失業、見えない展望。そして不穏な情報。
居留地とロノワ砦の間に反目感情が高まっている。
いや、理屈としてはわかるし、説明されれば納得もいくのだが、実感としてはピンと来ない。
それでもオレにそう告げた時、カガ神官長の態度は真剣な物だったし、わざわざオレを呼び出してまで注意を喚起したのだから、こちらとしても真摯に受け止めるしかなかった。
いわれなくともオレは、特に人里から離れた場所に出た時は普通に神経を尖らせて周囲を警戒していたし、これまでとたいして変わらないわけだが。
だが、警戒をする対象の中に人間自体も含まれる、という部分だけが違っているだけで、この事実と認識はオレの感情と神経を微妙に逆撫でする。
居留地の中にまともな宿屋が出来ていないのは相変わらずで、オレは半日かせいぜい一日くらいしか居留地に留まることはないのだが、その出入りの時はそれまで以上に周囲に気を配ることにした。
そうして仕事を続けてしばらくすると、ベッデルの回収作業がついに終わり、オレの配送業もそこまでになった。
見つかりやすい場所にあった吸魂管はほとんど回収し終えて、もはやベッデルでやるべきことはないという宣言が出て、しばらくそこに居着いていたユウシャたちもぞろぞろと居留地へと戻りはじめる。
すべてのユウシャが復活したわけではないのだが、あれほどの混乱時にしては復活が可能だったユウシャの人数は多かった。
吸魂管を使う間もなく、周囲の人間もろとも死亡したユウシャや、魂を保存した吸魂管自体が破損して復活不可能になったユウシャは相応に存在していたわけだが、そうした損耗はあれほどの数の魔群が押し寄せてこなくても相応にあるので、まだしも想定内の数字に収まっている、ともいえる。
それに、ベッデルではユウシャ以上にそれ以外の、普通の人間が大勢犠牲になっているわけで、そのこと自体に対して怒ったり不満をいう人間はいなかった。
いなくなった者よりも今そばにいる者をどのように遇して活用するのか、という問題に対して最大限に注力しているため、そうした犠牲となった者たちについて考えている余裕もない、という側面も否定できなかったが。
そんなわけで、しばらくベッデルで作業していた数十名のユウシャたちは一気に居留地に帰還をした。
「おそらく、察しはついていることと思うが」
カガ神官長は、早速オレを呼び出して今後の予定について告げる。
「今回、大勢のユウシャたちが帰還してきた。
この戦力を有効活用しない手はない」
ユウシャのうちの何割かはこの居留地で肉体労働に従事する予定だったが、大半のユウシャはそのままロノワ砦を中心とした探索と哨戒に移行するという。
そのこと事態は、オレも予想していた。
大規模な襲撃が起こる前に、ベッデルを起点としてやっていたことを、今度はロノワ砦を起点として行うだけのことで、これをしなかったら資源や食糧の増産も頭打ちになり、オレたち人間自体の存続も危うくなる。
そうした捜索活動は、つまりは使える物資を探し、少しでも人間にとっても活動圏を広げるための事前調査も兼ねているわけで、予習が出て来たら即座に再開しないとどうしようもないのだ。
さらにいえば、ベッデルでの回収作業がはじまった頃とは比較にならないほど、ユウシャの人数も増えている。
その全員を居留地の近辺で働かせておくのは、労働力的に考えて損失が多かった。
「ユウシャたちはそれでいいとして」
オレはカガ神官長に訊ねた。
「オレはなにをすればいいんですか?」
「それなんだがなあ」
カガ神官長は、珍しくいい淀む。
「ユウシャの魂を回収する仕事は、もうしなくていい。
玄室までの距離が近くなったし、それに、専用の回収班もなんの不都合もなく稼働できている」
なんとまあ。
オレは、心の底から驚く。
ここへ来て、まさか失業するとは。
少なくともどこかの神殿経由で、オレへの仕事が依頼されることは、当面はなくなったようだ。
「ま、なんとかなるか」
粗末な、まだできたばかりのボイネ神殿を出たオレは、誰にともなくそう口にしていた。
別に本気で嘆いたり将来を悲観しているわけではなく、まだ実感がわかなかったのだ。
それに、オレの場合はいざとなればこの居留地から離れて暮らすという選択も残されている。
いつまでも人里から離れて暮らすことは、危険といえば危険ではあった。
が、ベッデルの例を見ればわかる通り、群れて暮らしていれば完全に安心できるかというと、必ずしそうであるともいえない。
オレにしてみれば無理にこの居留地との関係を密にしている必要はどこにもなく、それまでしていた仕事がなくなって、かえって目の前が開けたような気分にもなっていた。
ここまで自分が自由であると感じられる機会も、そうそうあるものではない。
居留地に宿屋はまだなかった。
そもそも、ここに立ち寄る旅人などほとんどいないのだから、わざわざ作るわけがない。
ベッデルの宿屋も、魔群が出現する以前から宿屋として営まれていた建物をそう呼んでいただけで、実態はほとんど居酒屋だった。
宿屋には需要がなかったが居酒屋には需要があるらしく、すでにこの居留地にも何軒かの屋台に毛が生えたような店ができていた。
そのうちの一軒に、オレは立ち寄る。
報酬として貰った金もほとんど手つかずで残っていたし、それに、たまには他人が料理した物を口にしたいという気持ちもあった。
なにより、すぐにこの居留地を後にしなければならない理由もなくなってしまったので、どこかに腰を落ち着けて今後のことを考えたかった。
ちなみに、オレには酒を飲む習慣はなく、こういう場所に入っても料理だけを注文することになる。
まだ近場から十分に穀物が収穫できるほど、開拓が進んでいないせいか、ほとんどが肉の加工品だった。
オレは正体のわからない煮込みを掻き込む。
昼間のせいか、他に客がいなかった。
「見ない顔だねえ」
そのせいか、一人だけの客であるオレに主人がはなしかけてくる。
「ここへは、たまにしか来ないからな」
オレは答える。
オレは別に有名人というわけでもない。
たとえベッデル出身の人間であっても、オレの顔を知らない人間の方が多いくらいだろう。
この主人がオレに声をかけたのは、別に会話に飢えているからではなく、オレの風体を見て怪しんでいるからだった。
その証拠に、料金を多めに渡すとそれ以降、なにもいってこなくなった。
オレは別にベッデルのためとか、世のため人のために働いてきたわけではない。
ほとんどユウシャたちだって、そうだろう。
ほんの少しの報酬を得るため、そして、他の人たちの間で自分の居場所を確保したいがために働き、戦い続けているのだ。
いや、いたのだ。
オレの場合は、もうすでに過去形になるわけだが。
ダムシュの爺さんにでも弟子入りするかなあ、などと埒もないことを考える。
いや、実現不可能な思いつきに過ぎないのだが。
そもそもあの爺さんが再びオレたちの前に姿を現すのがいつのなるのか、数月後になるのか数年後になるのかさえ、誰にもわからない。
ただ、こうなってみると、居留地とかロノワ砦とか、そうした拠点のどこかに足場を置かず、自分一人だけの力量を頼りにして生きていく方法も、案外悪くないのではないか、などと思えてきた。
実際にやってみれば、それなりに厳しい面も多々ある生き方なのだろうが。
「なんだ、ユイヒじゃないか」
そんなことを考えながら、煮込みを啜っていると、背中から声をかけられた。
「なにやっているんだ、こんなところで」
「これからの身の振り方について、考えているところだ」
オレは声をかけてきた男、ユウシャのトリイにそういう。
「唐突に、仕事がなくなったんでな」
「ああ、そうか」
トリイは頷きながら、オレの隣に座る。
「そういやお前の仕事、今は新人たちが回しているもんな」
新人のユウシャたちが、という意味だ。
オレの弟子だか孫弟子たちだかは、元気にやっているらしい。
「それで、今後はどうするつもりだ?」
トリイはオレのと同じ煮込みを注文しながら、そういった。
「だから、さっっからそれを考えているんだって」
オレは説明した。
「いっそのこと、ここから遠く離れて、どうにかして一人っきりで暮らすのもいいかなとか、そんなことを思いはじめている」
「気持ちはわからんでもないが、ガキが生意気なこといってんなよ」
トリイはそういって奇妙な笑みを浮かべた。
「お前くらいの年頃のガキってのは、もう少し周囲の大人を頼るもんだ。
親御さんとかはあてにできんのか?」
「ああ」
オレは即座に頷く。
「そちらは、あてにはできない」
トリイは、どうやらオレの親についてなにも知らないようだ。
オレとしても、改めて説明をする必要は感じなかった。
「なら、仕方がないな」
オレの返答をどう解釈したのか、トリイはそういって頷いた。
「お前、しばらくおれたちといっしょに働くか?」
「……はぁ?」
トリイがいった内容を把握するのに、少し時間がかかった。
理解できなかったのではなく、その意味することがあまりにも想定外だったからだ。
「そういやトリイ、今、なにやってんの?」
「外の探索だな」
トリイはいった。
「それと、魔群と遭遇した時は、そいつらとも戦っている」
つまりは、普通のユウシャとしての仕事だった。
「戦うのなら、オレの出る幕ではないな」
オレはいった。
「オレは逃げるのが巧いだけで、別に強いわけではない」
オレとしても、なんらかの役に立つのならばともかく、お情けで雇われるのはご免だった。
矜持とかそんなご大層な物ではなく、普通にいやなだけだが。
「まあ、そういうな」
オレの返答を予期していたのか、トリイはそう続ける。
「ベッデルの件以来、魔群が荒ぶっている。
いつもギリギリの戦いを強いられているので、お前のような保険があると心強い」
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