第24話 全滅、壊滅、脱出。どう転んでも気が重い。
慌ただしく出発の準備が整えられ、準備が終わった者からベッデルを発つことになった。
道先案内人役を務めるオレは、自然とその先頭に立つことになる。
「行き先は?」
オレはタマキ神官長に訊ねた。
「ロノワ砦」
タマキ神官長は即答をする。
「他にあてがないし」
そんなところだろうな、と、オレも思う。
逃げ場として最適、というわけではなく、他にいくあてがないから自然とそうなる。
いわば、消去法で確定した行き先だった。
以前、そのロノワ砦を奪還した時と比べると、今回は人数が格段に多い。
それに臨月に近い妊婦もそれなりの割合で混ざっていたから、持ち出せるだけの荷車をベッデル中からかき集めてそこに人や荷物を載せて出発した。
もちろん、食糧その他の物資もかき集められるだけかき集めて荷車に載せる。
急ぎのことでもあり、十分な量を集められたとも思えないのだが。
人だけではなく、羊も何十頭か連れている。
羊のような家畜は、今のオレたちにとっては重要な資産だった。
少なくとも羊は自分の足で歩いてくれるし、いざという時には食糧としても使える。
荷車の数も足りなかったから、歩ける妊婦には歩いてできるだけ貰い、途中で交替で荷車に乗って休んで貰う、という形になる。
準備に使える時間はごく短く、また夜中に出発したということもあり、そうして出発した人間たちの表情は不安に押しつぶされそうな具合で、決して明るくはなかった。
盗賊の生業を持つオレはなまじ夜目が利いたので、そいつらの表情もかなり克明に観察することだできる。
オレを含めて、こうしてベッデルを発った連中の中で未来は明るい、などと脳天気な希望を持っていた人間は一人もいなかったはずだ。
それでも命には変えられないわけで、オレたち脱出組は重い足取りでベッデルを後にした。
そして、ベッデルから離れていくらもしないうちに、ベッデルの方角から重たい轟音が何度も響きはじめた。
「はじまったな」
オレは、誰にともなく小さく呟く。
まだ夜が明けていないからほとんどの者は不安を増大させるだけだったが、オレの目には遠くでベッデルの連中と魔群とか戦っている様子がどうにか判別できた。
巨大な影同士が取っ組みあっているのは、巨大化したトリイと巨大な魔。
空を埋め尽くさんばかりの飛行型がばたばたと落ちているのは、オイネ神殿のスズキ神官長が秘蹟により毒気を無尽蔵に振りまいている場所だろう。
その他にも、高速で移動しながら魔群を倒し続ける人影が何十という単位で確認でき、これはおそらくベッデルに残ったユウシャたち。
若干名、護衛としてこちらの脱出組に同行しているユウシャたちもいたのだが、ほとんどのユウシャはベッデルに残って魔群を迎え撃つことになっていた。
彼らとて、本気で今回の魔群を全滅させ、ベッデルを守り切れると信じていたわけではなく、どちらかというとオレたち脱出組を無事に逃がすための時間を稼ぐ、いわば囮としてあの場に残ったはずだった。
なにしろ、今ベッデルを包囲している魔群の数は膨大であり、一騎当千のユウシャたちが束になって挑んだとしても、そのすべてを殲滅させることは不可能だったろう。
ユウシャたちの中には数千、数万という単位で魔群を倒すことができる実力者も少なくはなかったが、そのユウシャたちが総力を結集しても倒しきれないほどの多種多様な魔群が、今、ベッデルに襲いかかっている。
それほど、今回ベッデルを襲った魔群の数は膨大だった。
いずれ、無事に生き延びて、ベッデルを再訪する機会があったら。
と、オレは心の中でそう誓った。
お前たちの吸魂管は必ず回収して復活させてやるからな。
今回の魔群は、ユウシャでさえ対抗できないほどの大群だったから、ユウシャではない普通の人間はひとたまりもない。
それこそ、最初の遭遇戦でほとんどの人間は魔群に倒されたはずだった。
そして、普通の人間はユウシャとは違って、一度死んだらそれまで。
復活することは、不可能だった。
非情なようだったが、運が悪かったというしかない。
ユウシャもユウシャではない人間も、少しでも生き延びる人間を増やし、その時間を長らえようと普段から尽力してきた。
これまで、ベッデルが無事だったのはこれくらい大規模な魔群の襲撃を受けてこなかったから、という偶然に助けられていたからで、おそらくは、そうしたオレたちの努力はその偶然の前には極めて無力だった。
宿屋の女将さんをはじめとして、あのベッデルにはオレの顔見知りが何人も残っていたはずだったが、そうした人々がこの災禍から生き残っている可能性はほとんどないも同然といえた。
それでも。
と、オレは思う。
オレたちは、足を止めるわけにはいかない。
今夜ベッデルを脱出したオレたちは、今となっては貴重な人類の生き残りだった。
ロノワ砦にも、その他の地域にも、生き残っている人々は点在しているようだったが、この脱出行の集団はその中でもかなり人数が多いはずである。
この集団を生き延びさせることが、人類という種を再生するための大きな足がかりになることも、十分に考えられる。
犠牲を悼むことよりも、自分たちが生き延びることために力を尽くすのが、今のオレたちの仕事だった。
夜が明ける頃になると、ベッデルでの騒音、そのほとんどが建物が倒壊する音がほとんど聞こえなくなった。
そのかわり、ベッデルの方角から盛んに煙があがっているのが誰の目にも見えるようになる。
遠目からでもこれだけの煙が確認できるのだから、ベッデルのほぼ全域が焼けているのではないか。
まだ生きて交戦している者も残っているのかも知れないが、町としてのベッデルは事実上、壊滅したと思ってよさそうだった。
オレたちは無言で前へと進む。
一刻も早くベッデルから、つまり今回ベッデルを襲った魔群から離れ、魔群の生き残りから襲われる可能性を少なくする必要があるからだ。
ベッデルの人間がどれほどの魔群と差し違えたのか、この時点のオレたちが知る方法はなかった。
どほほどの魔群があそこの衝突から生き残り、どこへ向かっているのかもわからない以上、オレたちにはベッデルからできるだけ離れていくという選択しか残されていない。
荷車には、妊婦以外にも年端もいかない子どもたちが大勢乗せられていて、荷台の上で寝息をたてている。
すべての子どもを逃がすことはできなかったが、ベッデルに残っていても足手まといにしかならないという判断で、アイネ神殿近くに住んでいた子どもたちが急ぎかき集められて来たのだ。
神聖娼婦の本拠地であるアイネ神殿には、かなりの数の子どもが居住していた。
今回、荷物として同行している子どもたちにしても、そのほとんどはアイネ神殿で生まれ育った子どもたちだろう。
オレたちの輸送能力には限りがあり、つまりは、誰を助けるべきか、選り好みをするような余裕はなかった。
手近にいた者から、助けやすい人間から順番に、荷車に放り込んでベッデルを出ることしか、オレたちにはできなかった。
結果として生死を分ける選択をしたことになるが、これは別に子どもたちだけに限ったことではなく、それ以外のベッデルの住民を大半、そのまま見捨てて見殺しにしたことになる。
そこには作為も悪意も存在しなかったが、オレたちがそうした選択をしたという事実は、これからも生き続ける限り意識していかなくてはならない。
いや、より厳密にいうのならば、忘れようとしても忘れることはできないだろう。
それが、この大地の上で生き残っていく、生き続けるということだった。
オレたち脱出組はそれからものろのろと前進を続けた。
妊婦や子どもがほとんどの人員構成で、高速で移動できるわけもなく、かなり鈍い足取りだった。
さらにいえば、全員、気分が沈んでもいた。
ベッデルを脱出した状況を考えれば、当然だったが。
オレが心配していたようにベッデルからオレたちを追撃に来た魔群なく、そのことだけはかなりの幸運に思えた。
途中、遭遇する魔群がまったくいないでもなかったが、その頻度や規模は普段、オレがそこいらを歩いているときとさほど変わらず、護衛としてついてきたユウシャたちに任せておけばすぐに始末をして貰えた。
ベッデルを脱出してから何日か、そうした変化のない日々が過ぎて、脱出組の内部から不平や不満が出はじめる。
配られる食料が少ない。
もっと休憩が欲しい。
もうベッデルに戻ってもいいのではないか?
などなど。
そうした不平不満が出てくるのは、脱出組の人間が落ち着きを取り戻した証拠でもあるのが、いちいちまともに取り合う必要もない愚痴がほとんどだった。
本当にベッデルが無事であるのならば、こちらまで使者が送られて引き返すように告げているはずである。
そのような使者がまだ着いていないということは、今のベッデルの状況はオレたち脱出組に構っているような余裕がないか、それとも完全に全滅したかのどちらかで、オレとしては後者である可能性の方がよほど大きいと思ってた。
常識的な判断に従えば、そう結論するしかないのだ。
脱出組の人間が公然とそうした愚痴をいいはじめたのは、現在の悲惨な状況から目を逸らすための逃避であり、一種の心理的なガス抜きでもあると思ったので、そうした不平不満をいいに来た者は、すべてそのままタマキ神官長の元へ行くように誘導している。
正論をぶつけて相手の精神的な平衡を奪うよりは、その方がよかった。
なにしろタマキ神官長にこの脱出組の責任者であるし、その責任者にもたまには責任者らしい仕事をして貰う機会があるべきだった。
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