三十六羽 おつかれーしょん

 俺は、ダメ人間くんとなり、実りのない日々を送っていた。


「あー、心に空が流れている。窓を見ると、空は四角いのだと知ったよ。雛菊さんも、その景色ばかりで、寂しかったろう」


 ごろごろ。


「おいで、ヒナギクちゃん」


 もふもふっと毛玉が寄って来る。どこから見ても茶色のホーランドロップイヤーラビットだ。


「ヒーナちゃんの体操、第一体操。ヒナちゃん!」


 ヒナギクちゃんの脇腹を撫でて、ひっくり返す。ころんころんとして、可愛い。


「ズズチャチャ、ズズチャ。ズズチャチャ、ズズチャ」


 こちゅこちゅちゅとお腹を搔くと、踊ってくれる。


「ヒナちゃーん」


 これ、第二体操まであるんだ。カップラーメンとヒナギクちゃんのお世話で一日が暮れる。うさぎさんから、癒しを得ていた。


 家に帰ったらうさぎさんがいるのだもの。


「ヒナギクちゃんよ。弘前から、お米とリンゴが届いたよ」


 はやる気持ちも分かるが、走り回っても直ぐには食べられないぞ。


 ◇◇◇


 涼しくなって来たある木曜日、支払い伝票が皆無であることに気が付いた。どうしてアパートのリバーサイドなかがわを追い出されないか分かった。誰かが、家賃などを支払ってくれている。


 真血流堕さんに違いない。


 居ても立っても居られなくなり、新宿にいじゅくのまいたけテレビへと向かった。一緒に『まいたけん』で働いていた大岸おおきしくんをつかまえる。


「ああ、露出の多い仕事は控えているらしいよ。今は、経理に回っている」


「何で? 気象予報士なのに」


 それでも、真血流堕さんは、ここで働いているのか。よかった。


「欠勤したからだろう。まだ、みかみんだから、ましな方だ。このことは誰にも言うなよ」


 俺の責任だ。飲みの席で、海洋冒険家になりたいと言った俺が悪い。一言でいい、謝りたい。一目でいい、会いたい。


 経理のフロアへ行くと、コーヒーコーナーで、一人、自販で飲んでいる真血流堕さんを見つけた。何やら、ノートパソコンで打っている。タイピング全日本チャンピオン級の速さだ。


「みーつけた」


 後ろから、目隠しをしたが、真血流堕さんの手は休まない。


「何、やっているのかい?」


 後ろから抱きついた。愛おしくて、既にきゅんきゅんしている。再会が嬉しくてたまらない。


「ガラパパパ諸島で、佐助先輩が調べた特異的な生態系についてです」


「ああ、真血流堕さんとも話したね。浜に貝がないとか、不思議な植物とか。何だって、そんなことを?」


 赤いメガネの真血流堕さんは、冴え渡っている。今日は、ピンクのスーツだ。サメ柄と印象が変わるものだな。どちらも好きだが、どちらかと言えば、今度は俺が、うさぎさん柄のワンピースを作ってあげたい。


「佐助先輩は、ドクター論文を書きたかったのでしょう? 英語は得意ですから、任せてください。ただ、固有名詞が難しいですね」


「もう、ドクターへ拘ることをやめたよ。ドクターがなくてもノーベル賞がとれる時代なんだ。それより、働かないと。弘前の祖母が、『男は働いてなんぼ』と、口を酸っぱくして言うからな」


 俺が、ひっついていたが、真血流堕さんは立ち上がる。うお、べたべたは、お嫌いかな。


「一番、やりたいことって、何ですか? 私は、お手伝いできますか? そのために、三神家を正式に出て来ました」


 コーヒーを買おうとしてくれたのを断った。今、言うしかないからだ。がんばれ、自分。


「何で、ここにいるの?」


「お仕事大好きですし」


 疑問の残ることを訊いている。失敗した。俺はにっこりと笑顔で、がんばれ自分をする。


「今度も白玉クリームあんみつ二つ?」


「ふんふん?」


 真血流堕さんが、小首を傾げる。とんちんかんなことを言ってしまった。そんな大昔の話。


「何でも覚えてくださっているのですね。白玉クリームあんみつには、白玉が欲しいです」


 お、覚えてくれていたんだ!


「お、お亡くなりになった、藤雛菊さんのことを許す気持ちはあるかい? 俺は、ダメ人間ロード一直線だしな」


 真血流堕さんが、言い訳の連呼を一言で丸める。


「全て存じておりますよ」


 ダメだろう。もう、ダメ人間を卒業しなくては。今度は、俺が幸せにするから。



 ……真血流堕さんが望むものは。


「まちりゅださんと呼んでいいかな?」


「素敵なお名前です……!」


 じいーっと見つめ合いすぎて、やはり、俺の気持ちに素直になるべきだと思った。



「まちりゅださんの笑顔を咲かせたい……!」



 抱き上げて、頬にくちづけをする。


「望みはそれだけだ――!」



 ここは、まるでオナモミの寄せる波。


 まんまるお月さまが二人を照らす。



 黄色い新世界だ――。




 頭の中に音楽が流れる。


 CHU・CHU・CHU……。




「二人でいる限り、パラダイスですよ!」



 しゃしゅけ先輩と甘い声で囁かれちゃって。




 うさぎさんみたいに懐こい彼女にCHUってね。



 ずうっと営業CHUですよ。




 うん。まちりゅださん。



 ――うさちゃん彼女♡営業CHU、だね。




 ◇◇◇


 ――後の話となる。


 三神真血流堕さんは、氏名を変えた。真血流堕は、文字が酷いということで、家庭裁判所を通じ、優美ゆみにした。まちりゅだは、内緒のお名前とする。


 親権者は、子供が成長して誇りに思える名をつけるべきとのお言葉をいただいた。俺達はそうならないように、今からでも考えておくかと道中話すかな。


「弘前への準備はいいかい?」


「OK、OK」


 車のドアをバンと閉め、運転席に乗る。もちろん、ヒナギクちゃんも一緒だ。


「おい、俺の真似をするなよ」


「OK、OK」


 弘前へと、ドライブをする。目指すは、青森あおもり県、弘前ひろさき市役所だ。


 そして、苗字は、とうとう本城に。本城優美さんだ。なあんて、素敵な生まれ変わりでしょう!


「よかったな、まちりゅださん」


「早速、お間違いですか? まちりゅだは、うさちゃん彼女時代の乙女でした。今や妻ですよ」


 品を作って俺をつっつく。


「でも、まあ、いいです」


 その足で、弘前の実家へと挨拶した。母上様が出すお茶に、優美さんもキッチンへのお手伝いを申し出る。


 ばあさんが、俺なら優美さんへプレゼントするだろう物をきっちり揃えてあった。図星過ぎて気持ちが悪いよ。それに、着物やなにかも嬉しそうに肩に掛けている。


「これは、いただけません。おばあ様のお金もなくなってしまいます。何と申せばいいものか……」


「まるで、結納か!」


 そんな突っ込みもなきにしもあらず。でも、ばあさんが、涙する程に喜ぶとは思わなかった。


「ははは、俺もしっかり働くからな」


「なして? 佐助や」


 俺は、頭を掻きまくりだ。


「えーと、弘前の大学に講師の口があって、そこへ行くよ……。担当は、生態系についてで、向いていそうだ」


「こっちさ、住むのけ?」


「まあ、そうなるな。ばあさん、やっと俺も落ち着くよ」


 何だか、ばあさんがやたらと泣くので、おつかれーしょんハンカチの大盤振る舞いだった。


 俺は、苦労を掛けるだろう。



 それでも、笑顔をたやさない新生まちりゅださん、本城優美さんを愛しています……。妻としても。




 







 二人でお空に愛を誓ったら、優美さんの中に新しい命がやどってくれた。



「おへそにCHUしていい?」


「だ、だんめ」


 おでこを押すな。


「脇腹でもいいよ」


「ダ、ダメダメだって。皆、見ているから……」



「誰もいないよ?」


 優美さんは、真っ赤な顔を手でおおった。



「よし、野球チーム作ろう!」


「はい、ねんねちまちょーねー」


 くうう。渾身のギャグがヒットしなかった。





 五つの傘と五羽のうさぎさん達。



 この傘が、お空にいる藤雛菊さんへ届いていると思う。


 彼女の生まれ変わりはないだろう。


「だが、俺達は、サッカーチームも作れる」


 手を握ったら、ぼっこぼこに叩かれたー。



「まちりゅださーん」


「優美よ」


「ごめんちょ」


 CHU・CHU・CHU!

 CHU・CHU・CHU!




 CHU!


 もう、見ちゃダメよ。




 これからも、よろしくね。


 せーの!


『おちゅかれーしょん!』











 ◇◇◇


 国立弘南こうなん病院で。お産をすることになった。


「赤ちゃんの名前は澄美すみに決めていいのかな?」


「二人で考えた愛の贈り物です。いいと思いますよ」


本城澄美ほんじょうすみか。いい名前だ。健やかに育って欲しい。優美に似るといいよ。性格美人だからな」


「どうしましょう。どうしましょう」


 六月十一日は、澄美のお誕生から一週間だ。この日の為にチャイルドシートをしっかりと固定してある。母子共に無事、退院だ。


「では、出発しよう」



 大学病院を抜けるとき、俺はルームミラーから見えた。


 朱色の地に赤い円は、ミコさんの真心を思い出させられる。

 白地にサバのような青い模様は、ユウキくんの元気な気配りだ。

 薄茶色に白い円は、ナオちゃんの楽しそうな番台が胸に焼き付いている。

 淡い橙色に赤い線は、ドクターマシロのきりっとした感じが表れているな。



 傘をくるくると回しながら、南野みなみのデパートへでも行くのだろうか?


 それにしては、際遇だ。




 小さなルームミラーに、『パラダイス』の面々のもつ傘がくるくると、はじけていた。



 夢……?







 ――簡単に夢と呼んではいけないのかも知れない。
















Fin.

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