三十羽 くちづけ
「指輪は……。残念ながら、持ちあわせがないな。真血流堕さんは、あの榊原昇一ってヤツからもう貰ったのかい?」
しまった。出過ぎたことを訊いてしまった。野暮だなあ、俺って。そんな指輪、嫌がって捨てるに決まっているだろうよ。
「一度、まいたけテレビのお仕事の後で、銀座へ行ったのです。その折に、待ち合わせて、宝飾店をいくつか楽しく見させていただきました。そうしたら、考え方やお話にびっくりさせられました。昇一様は、こう仰いました」
『なんの肥やしになるのか分からない。結婚指輪は、最低ですよ。おはぐろのようなものでしょう? もう、スケジュールが詰まって来た。本日はこれで。みかみん、又、ホテルでお食事をしよう』
真血流堕さんは一つこほんとした。
「仕方がないですね。でも、普段とてもお優しいので、この件は、胸にしまっておくことにしました」
お人好し過ぎるだろうよ! ここは、きちんとしないとな。
「榊原昇一くん、酷いな。まーちーるーださん。指輪は、二人で選んで二人で買うのがよろしいかと思うよ」
俺だったら、二人で買い物だなんて、メロメロだけれどもね。まあ、かなわない夢だと思っているよ。稼ぎのない男だ。だから、どうしてもダメな時用のは用意してある。
「それに、指輪は、自分のお仕事をした分でも買えますから。私、結構、使い道が分からなくて、うさちゃんの貯金箱にも入れているのです。もう、うさちゃんが何号もいるのですよ」
くすくすと笑うのだね。笑顔で振り返られる程、時は優しかったのだ。何だかほっとしたよ。
「それって、タンス預金ならぬ、うさちゃん貯金箱にお願いしているのだね。いいね。可愛いよ」
俺は、可愛らしくて仕方がなかった。
◇◇◇
ざわざわとばかりに騒がしいオナモミの波。押し寄せる。風がどんどん強くなって行くようだ。
「お願いします。少しだけでも……」
俺は、真血流堕さんをオナモミの中で抱きしめていた。
お友達で終わってしまうのか、唯一の彼女になるのか、キワドイ立ち位置にある。
「迷っていられるのもこうしてぬくもりを感じている時間も限られているな」
段々と何故、惹かれて行くのか分かって来たのだ。それは、あまり言いたくないけれども、これだけは、はっきりとしている。
「真血流堕さんは、俺の母に似ているところがある」
「まあ。佐助先輩のお母様ですか? 確か、まいたけテレビが取材しに行ったことがありますね。あの『ブナのもり』においでで」
真血流堕さんが細く長い首を俺にゆだねてくれた。きゅんとする程に、優しい香りがする。
「つまらない話になる」
「何でも仰ってください」
うおおー。きゅんきゅん注意報が出た! 気象予報士のみかみんさん! 明日のお洗濯は乾きますか? そんな話は、サメ柄スーツの時にしよう。みかみんの好感度がぐっと上がったらしいからな。
◇◇◇
「そうだな……。祖母が、若い頃から姑にいじめられていたらしい」
そんなの言い訳にしかならないと思うがな。
「だからか、祖母の息子、つまりは俺の父の嫁となった母も、祖父母から『ほれ見たことか』、『百も承知だ』、『自業自得め』、『棚から牡丹餅だ』とことあるごとに言われたりしたものだ」
母上様、弘前はいかがですか。
「その上、味が気に入らないと、『栗が入っていれば良かったのに』とか、その土地の人しか知らない話を持ち出されて、母は、困惑していた。気分次第で、『ハエが止まっていた』と言い、ほうきで叩かれたりした」
母上様、雪は大変ですね。
真血流堕さんが、息を吞むのを感じられる。
「仏壇に向かって『忍の一文字です』と、涙声でこぼすこともあった。俺は、その背中を見て来た」
母上様――。
「まあ、暗くなるから、この辺にしようか」
同情の眼差しの真血流堕さんの背をぽんぽんとした。ほうきより、どれだけいいだろうか。
◇◇◇
「今、真血流堕さんが来てくれたなら、母は喜ぶと思う」
俺のうち。俺のうちな。にやにや。
「私が、どこへ行くのでしょうか?」
「さ、さあな」
こんぬおおお、軟弱者めが! はっきり言いなさいよ。心の武士、要らない。
「それにしても真血流堕さんのバストは、結構あるのだね」
あ、俺ってアホウだろう。セクハラでしょう。
「いやん。佐助先輩だからセクハラにしませんけれども」
のの字だってやられてしまった。そして、そっと俺にひっつくのか。
「むむむむむむ。これは!」
開眼してもいいか! 真血流堕さん、いいかな?
「え? 佐助先輩」
多分、俺の大好きCカップだね! うん、ウエストもすっきりで、これで三神家のお嬢様、いい学校出ていて、気象予報士でもあるアナウンサー、顔も可愛い! 文句のつけどころがないだろう。
「うおおおおお!」
だからって、あの榊原昇一なんてアホウに、ほいほいかかってしまったのには、憤りがあるな。許すまじ、無責任なヤツは大嫌いだ。俺に良心がなかったら、ぼこぼこにしてやりたい。いや、すべきだったかな。女の子の痛みが分からないヤツは、いや、人の痛みを知ろうとしないヤツは、最低だ。
◇◇◇
まあ、待て待て。俺は、感傷にひたろうとこの座標に来た訳ではない。
「チャペルへ行くのだったな。横道にそれてしまいました」
「うふ」
突風が巻きあげる。オナモミが揺れる。俺達が手を繋ぐと、二人が一つになった。身も心もオナモミも揺らして、どこへ行くのだろうか? 心だけは飛んでいる。ふるさとへ。ふるさとへと。
「あの蛍降るふるさとへは、いつ戻れるのだろうか? 夜ごとカエルの騒ぐ里も懐かしい」
「真血流堕は、雪景色も好きでした」
目を瞑り、ふるさとの音が聞こえやしないかと、静かに耳をすまし、黙っていた。さっき寄せ合った優しい香りがしたので、瞼を起こすと、真血流堕さんがくちびるを寄せていた。
「風に身を任せませんか?」
「この風にか」
俺の胸に真血流堕さんの丸い手が乗る。
「真血流堕は、佐助先輩を一人になんてしません。彼女の元へ帰って行っても、今だけでも、この時だけでも、私は、この風に身を任せたいと思います」
俺なんて、四十一まで何もなかったもてないヤツに用はないだろう? でも、もしかしたら、何か感じるものがあるのかな。
「真血流堕さん……」
「佐助先輩……」
本音をまごころで伝えるんだ。
「俺、理由なんてきっとないんだ。真血流堕さんをただ、ただ、愛おしいくて……。それ以上に言葉が浮かばないけれども」
恥ずかしい。俺だって、男だって、恥ずかしいんだ。二度と言わないよ。
「愛しています――」
俺は、初めての愛の蜜を知った。
体がゆらりと座標を変えられるのを感じる。これは……。
――ゴーンゴーン。
「ここは、チャペルではありませんか? 佐助先輩、チャペルに風が運んでくれたようですよ」
くちづけは、真血流堕さんの明るい笑顔で解かれた。
「やったな。ここだよ。確かにここだけれども」
ちょっと、もうちょっとだけ、甘く繋がっていたかった。
「けれども? どうされたのですか?」
「いや、恥ずかしくて。それ以上は勘弁してくださいよ」
俺は、抱いていた腕を離した。
「んんん、もう」
ほっぺたのおもちをふくらませた真血流堕さんは、とても可愛い。
CHU・CHU・CHU!
CHU・CHU・CHU!
「何か聞こえなかった? 俺は時々聞こえるんだ」
「それは危ないですね。真血流堕が払ってしんぜよう」
む。真血流堕さんのは、何となく映画で観た陰陽師風のポーズ。ああ、これは、彼女と行ったのだっけ……。
「おつかれーしょん!」
ああ、俺の邪念が払われました。すみませぬ……。
すっかり『何か』を忘れました!
うーん、何だっけ?
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