十七羽 彼女とランデブー

 待つんだ、俺。落ち着けって。


 CHU・CHU・CHU!

 CHU・CHU・CHU!


 もう、耳に慣れた音楽に俺も応じる。


「俺は、もういちいち動じないよ。CHUをされたから、CHUをしたから心の武士が崩れるものではない。まだ、女性を知らなくたっていいではないか」


 確かに、手も握らない関係でいて、結婚式まで待たせているのは悪いかも知れないが。俺達には俺達の流儀があるのだ。それに、今は、彼女が辛そうなのだから。


「女神ヒナギクだけに迫られて謎が多い島だね。ミコさんに懐いていただいて嬉しいよ」


 もきゅもきゅしているミコ=ネザーランドさんに話し掛けた。


 うさうさ。うさ。


 口元を動かして、可愛いなあ。でも、うさちゃん言葉は、難しいかもな。


 一時は、再び、CHUの頭を抱える日が来るとがっかりしたけれども、逆に心を毅然としなければならないだろう。真血流堕アナに絶叫して欲しかったら、救いに行かなければ。その為にもミコさんを迎えに来たのだ。


 俺って、気付くの遅いね。


 ◇◇◇


 ――ミコさん、俺にはネザーランドドワーフに想い出があるのだよ。


 彼女の家の部屋で、テレビを見ていた。なんだか、『くるみ割り人形』の人形劇版だったな。


『本城さん。私、うさぎさんが大好きなの。中学生の夏休み、英語の絵本で、ニンジンの大好きなかっわいいうさぎさんに出逢ったの。もう、本をなでなでした位よ』


『そんなに好きなら、飼ったらいいだろうよ』


 彼女のにこにこ笑顔にいつも目眩を覚える。貧血か! 自分で突っ込みを入れるのは寒い。相方が欲しくなるな。


 俺は、煙草を吸わないので、飴をよく食べる。何となく口が寂しいから。ころころと飴を転がす。今日の飴は、ハタハタ解禁かいきん神降臨かみこうりんと言う、お気に入りのファッションおさかなシリーズのものだ。


『私のおうちでは、うさぎさんと一緒に暮らせないのよ。金魚さんもダメなんですって』


『分かった。俺は、家の鍵を用意しよう。うさぎさんのお庭つきでな。平屋がいいな』


 俺もカーペットにごろごろしていないで、起き上がった。俺が自由なうさぎさんみたいだから、恥ずかしいしね。それにしても、大口を叩いたものだな。


『本城さん……。私、そんなに幸せにしていただいていいのかしら?』


『これは、キミが毎日笑顔でいて欲しいから。それだけなんだよ。気にするな』


 キミは、遠慮が過ぎるよ。甘え下手なのかな? 自立心からかな。


 俺は膝を叩いた。


『よし、今度、動物園へ行こう。ふれあい広場のあるところを探して来るよ』


 ◇◇◇


 その週の日曜日に、彼女と東京の野上のがみ動物公園を訪れた。待ち合わせの南改札口へついた。お待たせしない十時の三十分前と、俺の腹時計がスケジュール管理をしている。


『んぱっ』


 驚いて、口から何か、エクトプラズムが出そうだったよ。何と彼女も三十分前に来ていて、同じホームで会ったのだ。


『おはよう、本城くん。私達、時間、ぴったりだね』


 きゃ、きゃわいー。きゃるーんって笑顔だよ。薄化粧なのに紅を変えただけで印象が異なるのな。


『時間の感覚、俺達、シンクロしているな』


『うふふ』


 野上動物公園へは、最寄の戸川とがわ駅から、徒歩五分だ。銀杏並木を行く。そんなにうさぎさんを好きなら、もっと早く一緒に訪れてもよかったな。


『今日は、楽しみだね』


『本城さんがいらっしゃれば、どこでも楽しいですわ』


 入場したら驚いた。


『当、野上動物公園、十万人目のお客様でございます。カピバラさん温泉キャラクターグッズなどを進呈いたします』


『あああ、ありがとうございます』


 ここで、全ての運を使った気もした。彼女と俺は、目を合わせて微笑んだ。


 園内のマップを見る。ふれあい広場があって、本当は動物公園の最後にあるのだけれども、真っ先に行ったね、キミ。


『おい、転ぶなよ』


『気を付けますね』


 十一時からのふれあいタイムで、うさぎさんを布を敷いた上で抱っこさせて貰えた。なんて幸せそうな笑顔だろうと、俺は、柵の外でキミを撮ったよ。カメラにうさぎさんは、入らなかったな。俺が見たいものしかとらえなかった。


 最初に抱っこしたのは、ネザーランドドワーフと言う種類のうさぎさんだったね。体が軽くて、ちっこくて、毛並みも美しい。この子は、黒かった。これでは俺まで参ってしまう。うさぎさんは、本当に可愛らしくていいね。もふもふって、こんな感じなのかな。


 ◇◇◇


 それなのに、暫く後には、キミは怠くなったと軽食コーナーの木陰で休んでいた。悪い予感はしたんだ。


『熱はないかい? 何か飲もうか?』


『うううん、熱はないでしょう? 飲み物は、ちょっと……。全部吐いてしまいそう』


 これは! 俺は心配のあまり、強めの語調にしてしまった。


『いつから、そんなに具合が悪いのだよ!』


『ちょっと……。ちょっと前からかな』


 彼女が嘘をついていると思った。あまりにも具合が悪そうだったから。


『パスワードを……。パスワードを覚えていますか? 本城さん』


『覚えているよ。サヨウナラは赤いベルの向こうだろう? どうしたの? 今、その話を持ち出して』


 もう、息も辛そうだ。お喋りは控えた方がいいな。


『綺麗な傘をさして、雨の日に迎えに来てください』


『晴でも雨でも雷でもいつでも会いに行くよ。不安なんだろう。手だって、キミさえよければ、いつかずっと握っていたい。この手を離さないでいたい。それ以上のことは、望んでいないよ。何言っているのだろう。とにかく、無理しないでな』


 恥ずかしいから、難しいけれどもな。そこは、心の武士のがんばりどころだ。


『取り敢えず、ミネラルウォーターを買って来るよ。じっと座っているんだよ』


 俺はさっと買いに行ったつもりだったが、彼女は、もうテーブルに伏せっていないとならない程、疲れていたようだ。いや、具合が悪かったのだろうな。


『お水だよ。少しでいいから、口に含んで』


 ペットボトルのキャップを外し、口元へ持って行く。すると、自分で、受け取ろうとした。それならば、自分で飲んだ方がいいだろうと思った。


『ありが……』


 ミネラルウォーターが重すぎたのか、木陰の中に落としてしまった。だらりと腕を垂らして、尋常ではないと思った。


『しっかりしてくれ――』


 揺すっても返事もしない。おかしい。


『まだ、家の鍵も用意していないだろう? うさぎさんのお庭もまだだろう?』


 それから、彼女の意識が薄れて行った……。


 ◇◇◇


 そんな彼女との想い出が胸にじんじん来たのは、ミコ=ネザーランドさんが、可愛らしいうさぎさんになったからだ。


 あの時、俺には、弘前にいる母上様の声が聞こえた。空寒いと思ったものだ。


『行ってはなりませんよ……』


 虫の知らせだと思っていたが、ミコ=ネザーランドさんが、一時は怖い形相にもなったが、今では愛らしい、もっふもふのうさぎさん、ネザーランドドワーフラビットになっている。


 どうしよう。俺、もふもふちゃん愛しちゃう人なんだよな。できたらだよ。彼女の頭だって、もしゃあもしゃに撫でたかったのだもの。


 弘前の母上様、俺は大丈夫です。それよりも、ミコさんらレディー五人と真血流堕アナを守らないとならない。心の武士もおたけびを上げている。


「おつかれーしょん! 皆!」


「おつかれーしょん! 俺もだ!」


 うさうさ、うさ!


「おお、おつかれーしょん! かな? ミコさん」


 ナオちゃんのお風呂へひたすらに向かっている。

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