十六羽 もきゅっとな

 悪霊がいていたかのように、ミコ=ネザーランドさんの口が裂けんばかりだったし、支離滅裂な会話も散見した。俺に何かできることはないかと思って、咄嗟に叫んだのが、ヒーリング効果もあると言われるキメ台詞だ。


「おつかれーしょん!」


 俺の声ある限り、俺の気持ちを俺の魂をミコ=ネザーランドさんの額にある朱印に目がけて叫ぶ。両手を高く大きく広げる。


 ぱんっと、掌を合わせて、俺の信じる神さまを思い浮かべて願った。


「いざ、神なる力よ。ミコ=ネザーランドの真の御魂みたまへ届き給え。元のあるべき姿へ。元のあるべき姿へ戻し給え」


 先程の手ごたえを感じて、再び唱える。


「――おつかれーしょん!」


 灯台から伸びる光から、さっきまでの大きな顔が消えた。どこだ? どうなったのだ、ミコさんは。


 びゅごうおお……。どずずす。


 何か、シンデレラが見えそうな辺りから、奇怪な音が聞こえた。振り向いて、俺は驚愕した。


『本城佐助殿……』


 空中に浮かぶ女性は、精霊と見まごう程に美しい。どこか、俺の東京にいる彼女に似ている。清らかで、カスミソウが似合う美しい彼女。


「元気でいたのか。俺は、ずっとずっと心配していたぞ」


『わらわは、ミコ=ネザーランドであり、そなたの彼女ではない』


 それもそうだよな。彼女を押し切って、海洋冒険家として、海原に出たのだから。彼女がこのガラパパパ諸島に来ている訳はない。


『だが、おぬしの彼女の声を伝えても構わない』


「え? そんなことができるのか? 俺の彼女が元気でいるか、それだけでいいから知りたい」


 素直に思っていることを話してしまった。


『ただし、対価は必要だ。今、裁かれている三神真血流堕殿のことを忘れるのだ』


 ミコさんの人差し指をゆるりと向けられた。


「何だって? そんなことできる訳がない。一体どういう条件なのだ」


 俺は、信号が青になったり赤になったりするように忙しかった。俺らしくもない。東京の彼女のことばかりを考えているはずなのに、結局は、傍にいる真血流堕アナを気に掛けている現状を打破できていないからか。図星が痛かった。


『対価と言うからには、それ相応のものでなければならない』


 俺は、考えざるを得なかった。うええ? これってフタマタみたいではないか! 彼女を取るか、真血流堕アナを取るか。うむむむ。何て難しい問題なのだ。心の武士が清らかな精霊の前でめっためたに斬られている。痛いではないか。


 とても長い時間、考えていたらしい。


『決まらぬのなら、わらわは消えるが、よろしいか』


「おーい。突っ込みを入れないでくれ」


 俺は大きく手を振って、ミコさんのいるあたりを見た。


 シンデレラが……!


 俺の船、シンデレラが波にもまれて、痛々しい姿になっている! なんてことだ。あそこには、大切なものもあるのに。いずれ取りに行こうと考えていたのは、甘かったな。


 そうだ。俺は、東京を出る時、彼女の為と想い、真血流堕アナと出て来たのだった。シンデレラは、女性の為につけた船の名前。船の代名詞は彼女であったりするからな。それにもあやかった。


「長く考えてしまって、すまない。精霊のようなミコさん。こちらに来られないか? 俺と一緒に、女神ヒナギクらがいるナオちゃんのお風呂へ向かって欲しい。キミがいないとダメなのだ」


『わらわが? わらわが求められているのか? このように醜くなってしまっても』


 俺は、大きな笑顔で迎えた。


「どこが醜いのか俺にはちっとも分からないよ。むしろ、美しい。こんなに、身も心も美しい方は、そうそういないよ」


『……本城佐助殿』


 今までの俺は、自分の意志がしっかりしていなかった。今、フタマタをしたろう? 女神ヒナギクを断り切れなかったろう? そんなやり方では、過酷な島で生きて行けない。


 がんばらないとならないな。


 半死半生のミコさんに清らかな魂が返って欲しいと思う。


 ◇◇◇


 ミコ=ネザーランドさんの精霊バージョンがふよふよと浮きながら俺について来る。あの問答の末、OKをいただいたのだ。


 ケケー鳥の代わりに、夜の生き物と思える鳥の気配がした。


「うぐはうおうお!」


 どさーっと。


 ゆるゆらとうごめく大きな影の正体は、サモトラケのニケの像のようだ。ふくよかなバストのニケ像は、首から上こそないが、美しくまとった衣服のドレープと大きな翼が目にとまる。船の船首となっている説からして、俺には勝利の女神だ。バストを見る目も変な意味ではない。ストレートにカッコイイと思える。


「おい、ミコさん。サモトラケのニケのような影が落ちているぞ。こんなに暗い中」


「それは……。お分かりですか?」


 精霊のような軽さをまとったミコさんは、小柄でぺったんなのが、幼く見え、可愛らしく感じられた。むぎゅー。なでなでしたいよ。だが、今は、それよりもニケの影だ。


「何かの動物だろうな。巨大な鳥? とある放射線を浴びてとか」


「大樹様です」


 俺は、はっとして上を向いた。そう言えば、大樹様は植物界しょくぶつかいのものともと言い切れない感じだ。


「何だって? 確かにそんな気もするな。これだけの大きさがある。それに、徒長枝とちょうしが、痛い程に俺を殴って来る。自らの意志があるかのようだ。地面に影を落としているので、様子も分かる」


 ざささささあー。


 くっ。真血流堕アナが裁かれる前に辿りつかなければ。


「ミコさん、未来の瞳はどうなんだ? 何か見える力なのではないか?」


「私にあった朱印は、今、閉ざされています」


「い、いいいい、いいかい? 見させてください」


 俺からミコさんの額の髪を優しく分けて朱印を探した。たったこれだけのことに、俺の心臓が、ばくばくする。


 脈拍よ、静まれ!


 ダ、ダメだっ。俺の鼓動が、額に伝わってしまう。どうしよう、よく目を凝らして見られない。朱印の確認だけなのに。


「ちょっと、デリケートなの……」


「ど、どうしたー! ミコさんの言葉遣いが変わってますよ。わらわとかはどうなさったのかな?」


 俺は、愚かにもおでこに触れたままだ。目も開けられねー。


「あの、ミコはね。私のことをミコと呼ぶことにしたの」


 もきゅ。


 ん? もきゅとは何の音だ? 大樹様からの攻撃か? いやいや、被害妄想はいけないよ。


 もきゅもきゅ。


 目を瞑っていて、分からない。恥ずかしがっていないで、目を開けるべきか。いや、恥ずかしいよ。俺の顔が赤くないか、訊いてみようかな。ああ、それってドツボだ。


 もきゅ、もきゅ、もきゅ。


「ミコさん、先へ行きましょう。俺の腹羅針盤では、お風呂までのルートは、正しいはずだ」


 ミコさんが静かになった。恥ずかしいのかな?


 ◇◇◇


 暫くおでこに触れた状態で歩んで行った。


 ――うさうさっぽん!


 掌をおでこにつけたまま、何かがおかしいと感じた。ふわふわのもふもふ感がたまらずに、俺は瞼を起こす。


 俺は、その変わりようを見てしまった。ミコさんは、愛らしいうさぎさんになっているではないか。いつ、入れ替わったのだろうか? 入れ替わったのではない。これは、ミコさんのあるべき姿なのかも知れない……!


 ん? でもうさぎさんなのに、浮いて進んでいるが、これこそエトランゼ、異邦人だ。誰がかって? 俺の方ではないの?


 ◇◇◇


 CHU・CHU・CHU!

 CHU・CHU・CHU!


「何だ?」


 リアルなこの音楽で、俺は目が覚めたよ。再び、頭を抱える日が来るのだな。つーんとした空気が胸を射た。


 ハローワークに行きたい。真血流堕アナに絶叫して欲しいよ。

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