十二羽 拓けみかみん

 ルージュを変えたみかみんは、まいたけテレビでも特に気付かれていないようだった。それよりも、周りも仕事に追われていて、構っていられなかったのかな。


 俺は、心の武士が泣いている感覚があった。女の人が心機一転、髪を切るのと同じで、出逢いと別れの中、ルージュも変えて生きて行くのかなと思うからだ。


 これを機に、未来が壊れて行った。


 案の定、俺の勘は当たっていた。当たって欲しくなかったよ。


 新宿の有名なホテル・サカキバラのラウンジで、午前十時に待ち合わせをしていた。深いローズカラーとシャンパンゴールドで統一された空間は、少なくとも俺には不似合いだ。


『本城佐助先輩、こちらは、榊原昇一さかきばら しょういち様です』


『こちらの方は、本城佐助先輩です。おじさんだけれども、中身は永遠の二十四歳なのですよ』


 この日は、三神さんが結婚を前提にお付き合いをしている彼氏を連れて来た。俺に会わせてくれなくてもいいよ。それってプライベートだし。


『本城くんか? 俺は、これから仕事があるので、ぜひともみかみんと一緒に行って来てくれ』


 すっげー。こんな態度が悪いのって、漫画で読んで以来だよ。王様か女王様かって感じだな。


『ええ? 佐助先輩は違うと思うよ。昇一様』


『二人とも、榊原グループは、忙しいんだよ。こうしている時間がもったいない』


 さっきから、とんでもなく高そうな、いや、高いのでしょうが、腕時計をちらつかせている。要らぬ仕草だよ。俺だって、精巧な腹時計もある。


『もったいないのは、時間ではないでしょう? 愛しているって言ったでしょう?』


『みかみんは、見ためがいいよねって言っただけだよ』


 愛していると見ためがいいは大分違うと思う。それにしても、三神さんはこんな彼にお熱なのだろうか?


『はあ。それでも愛してくれているのよね』


 曇った表情の三神さんに同情するよ。


『そうだよ。もう一万回言った』


『だったら、一緒に行きましょう。楽しいですよ。昇一様』


 うーん、もしかしたら、アレだな。


『何だか知らないが、俺はお邪魔虫だよな。三神さん、これで失礼しますよ。榊原くんもがんばって』


 俺は、滅多にいただけない美味しいコーヒーをゆっくりいただいていた。


『キミにも責任がある。本城』


 榊原くんは、コーヒーの味も香りも無視して飲み干す。


『何の?』


『みかみんの友達ならついてやってくれ』


 ◇◇◇


 結局、三人で行ったよ。


 どこって、俺が大人になって初めて来た大学病院の産科だよ! 白とピンクが基調となって、妊婦さんに優しいカラーだ。しかし、榊原くんが浮いている。俺なんて所帯持っていないのに、ちょっと馴染んでいる気がする。


『みかみんー。ここは女だけが来ればいいんだよ。俺、帰るから』


『えー。愛しているって言ったじゃない』


 どこがいいのか、くねくねした榊原くんにべたべたして。何となくムカついて来た。理不尽な感じもするし。俺がここにいる必要がないね。


『帰る。仕事をしないとヤバいんだよ』


『みかみんだって、お仕事の合間を縫って来ているの』


 三神さんが、よしよしなんて甘やかしている。なんなの?


『あ、俺、しんじゃったー。みかみーん』


『分かりました。昇一様、お休みしていてもいいですよ』


 俺は、榊原くんがごねたので、一緒に付き添ってやっただけなのに。どんなショックを受けてんだよ。榊原くん。看護師さんがみえたぞ。


『どうされましたか? 男性の方で、感極まる方もおいでです。こちらでお休みください』


 三神さんの榊原くんが、ネクタイをゆるめてソファーにだらしなく座った。これは、寝たに近いな。


『人間ってすばらしいなあ……! おーう! 一夜限りの恋で、こんな世界に!』


 ああ、できてしまったのね。榊原くん。もう直ぐパーパよ。


『ばんざーい!』


『男は黙って待っていな』


 俺には、つける薬がない榊原くんにそう言うしかなかったよ。


 ◇◇◇


 ――それから、哀しい思いをする。


『もしもし。佐助先輩……』


 俺は、自宅の布団の中から電話を受けた。向こう側の声色で、俺は嫌な予感がしたんだ。


『何も言わなくてもいいよ。何も言わない方が傷付かない時もある』


 ここに、三神さんがいたら、頭を撫でられたのに。


『佐助先輩……!』


 もう一度、三神さんが心情を発露した。


『……先輩。あー! ああー』


 聞いて晴らせるのなら、俺でよければ力になるが。そんな気持ちじゃないよな。俺しかいないのだろう。


『あああ、赤ちゃんが……。妊娠十一週で流れてしまいました。掻爬そうはして来ました……』


 嗚咽も止まらないよな。哀しみは寄せる波のようにやって来るものだ。


『妊娠しているのに、昇一様が車で実家へ行けと言うので、相模さがみまで同行してしまったのです。それがいけなかったのでしょう。真血流堕ママがバカでした……』


『自分のせいにしない方がいいよ』


『病院へは、一人で行って来ました。佐助先輩には悪いと思って。遠慮していたら、今頃、今頃になって、さっきからずっと思い出していました……!』


 嗚咽が続く電話越しに、男の無力さを感じる。何て声を掛けたらいいのか。


『バカなママを許さないでください。一生、あなたのことは忘れません。男の子か女の子か、まだ、分からなかったけれども。私は、緑色のおくるみなどを作って待っていましょう。きっとあなたは帰って来る。私のお腹に帰って来る。……それしか、信じられるものってないでしょう?』


 俺は、三神さんは、もう独身を通す決意を表していると思った。


 榊原昇一くん、もう近寄ってくれるなよ……。それしか救いがないんだよ。本当は、キミが父親だろう? 頼りなさ過ぎだ!


 俺は拳を握り過ぎて、爪で掌に血を流した。


 ◇◇◇


 ――そんなみかみんこと三神アナウンサーの痛々しい過去を振り返りながら、二人っきりの建物探検を続ける。


「来たー。滝ですよ。佐助先輩」


「怖いなあ。建物の横に、滝があるのな」


 パワースポットではないね。


「随分立派な木造建築だな」


「そうですね」


 上を大きく見上げる。


「何か、見たことのある様式の建造物なのだけれども。喉から出て来ないね」


「あるあるですね」


「そそ。あるある」


 ははは。ははは。二人で笑い合うと、辛いことも乗り越えられる気がする。


 ◇◇◇


 ――あの電話の後、東京の居酒屋に誘った。


 いつもの居酒屋。酒の肴は、魚料理が旨い。賑わいも程々で、寂しさを消し去ってくれる。


 真血流堕アナは、もう結婚を考えないだろう。だから、俺は距離を取らなければならない。だが、それでも、気に掛かる。


 俺は、お酒の勢いではなく、結構、真面目に船旅を口説いていた。手にしていた酒も忘れて。


『三神さん……。俺と航海にでないか? ガラパパパ諸島へ! もう、榊原家も三神家も関係ないよ』


『佐助先輩! 佐助先輩! みかみんをお嫁に貰ったと思って、真血流堕と呼んでください』


 おーう。ノリノリだい。


『真血流堕はちょっと恥ずかしいから、真血流堕アナね。俺の冒険をナレーションしておくれ』


『……はい! 実況、絶叫、おつかれーしょん!』


 グラスを一気に傾けたりして。元気になったか? 俺なんかでよかったら、明るさを取り戻せるように手伝うよ。


 真血流堕アナ、あの居酒屋での笑顔を忘れないよ……。

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