十三羽 チャペルの精霊
あははは。ははは。
「俺達の声が、よく響く建造物だな」
あーと声出しをしてみると、こだままであーと真似した。
「音楽堂でしょうか? オーケストラとか」
メガネを直す真血流堕アナが、綺麗に澄んだ声で歌い出す。髪が天に引かれるように背筋を伸ばす。両手を大きく広げたり、小さく抱えて、感情豊かに涙さえ散らせて調べを撫でる。ああ、聞き惚れてしまう。
これは、
「綺麗だね……。精霊が現れたようだ。真血流堕アナは、グレイス、つまりは
本当に天使のようだと思ったのだよ。
「真血流堕がグレイスですか? どんな文字ででしょうか?」
「おそれの
咄嗟に考えたものだから、ちぐはぐとしている。それでも真血流堕アナは微笑んでくれた。
「佐助先輩、ありがとうございます。いい名前ですね。聖歌隊にいそうです。どうして、真血流堕がこんな酷い名前だと訊かないのですか?」
どうもしっとりした環境のようで、真血流堕アナはメガネをよく拭くようになった。
「人には、訊いていいことと悪いことがある。それだけだよ」
当て字が酷いなんて、可哀想で訊けないだろう。
「三神のお父様にいただいた名前ではないのです。勿論、お母様でもありません。結果としては、戸籍上、両親が届けに来たことにはなっています。ほら、戸籍謄本を見れば、記載があるでしょう」
「そうなんだ。ご両親からではなかったのか。形ばかりとは、哀しいね」
うちのどなたかが届けたのだろうな。その前に愛情だよ。
「三神のお母様は、お金が余るから使うのですよと、賭け事に走ってしまいまして。家でも賭け事、出掛けては帰って来ない方でしたね」
「三神家は、お父様が俳優で、お母様が歌手なのだよね。お金はありそうだよね。でも、そんな風だと、真血流堕アナが可哀想でたまらないよ。これは、同情じゃないよ」
うちにはないものだ。弘前の家は、苦労して俺に勉学をさせてくれた。だから、賭け事があったとしても、それがパチンコであっても、行けないのだろう。ミカンを賭けたトランプ位はやっていたと思う。お子様か。
「それで、私を妊娠したときに、自由を奪ったと呪いながら妊娠していたらしいです」
「冗談じゃないよ! 世の中、子どもが欲しくても恵まれない方々いますよ!」
思わず大きな声を出してしまった。教会らしい建造物は、俺の強い声を響かせた。
「それを私に言われましても」
「それはそうだよな」
命名は自分でできない。産まれて初めての贈り物だからだ。それが、ご両親でないにしても。
「てっきり、洋画などから、マチルダと命名したかったのだと思っていたよ。それを当て字にしたのな。もっと思い遣りのある文字はなかったのかとは思っていたけれどもね」
何だか、真血流堕アナの痛みをえぐっているようだ。
「ごめん……。この話は、もう止めよう。真血流堕アナと呼び慣れているから、それも可愛いよ。みかみんでも愛らしいよ。何て呼ばれたいかな?」
「まちりゅだ」
おおう、心の武士が吹き出してしまった。それって、キノコン事件のまちりゅだじゃないか。
「え? 赤ちゃん返り?」
「まちりゅだも可愛いでちゅ」
突っ込まれたいのかな?
「バブちゃんかい!」
結構、真面目な顔をしているから、冷やかしたらいけないのかな?
「仕方ないなあ。まちりゅださんですか。二人だけの時は、それでもいいよ……」
真血流堕アナは、
「それにしても讃美歌が合いますね」
「そうだな讃美歌が合う。建物の構造がそうなのだろう」
くるりと振り向いて、こっちをじっと見つめる。か、可愛いじゃないか。あまりに近すぎる存在で、気が付かなかったってことなのか? ダメダメ! 東京の彼女に悪いものな。
「では、ここは教会の可能性がありますね。ジャングルに教会があるとは思いませんでした」
るー。
真血流堕アナの調べに参ってしまう。アナウンサーをする位だから、発声もいい。望めば歌手になれたのではないか? ああ、親の七光りと呼ばれてしまうのか。
「俺も教会があるなんて思わなかったよ」
俺は、ため息をいくつかこぼすと、真血流堕アナの方へ、教会の中央へと歩み寄った。
「俺は、この船旅にまちりゅださん……。ああ、言いにくい真血流堕アナウンサーを誘って良かったと思っている」
何、言い出しているんだ、俺。
「みかみんと呼ばれていた頃を覚えているかい?」
「それは、女子アナブームでしたからね」
マイクを持つ手もお似合いですよ。真血流堕アナ。
「その、まちりゅださん……。インタビューだと思ってくれ。一緒に病院へ行った男性と教会で式を挙げる予定だったのだろう?」
「いえ……。私、バーで何かを飲んでいたのですよね。そこまでしか覚えていなくて、気が付いたら、ベッドの上でした。寂しさを紛らわすように話し相手になってくれた人がいたのですね」
手を後ろにして、少しぬかった地を行く。足は行進して、水でも蹴っているかのように行く。
「中一の事件以来でしたから、初めてのあともなくて、お前なんか遊んでいる女だと言われました。みかみんなんて、遊んでいてよく幼稚でいられるなと。そっちの方が傷付きました」
ここで、静まりかえられると、俺も切ないだけではない気持ちになって来る。
何と言うか。
愛おしい……。
「真血流堕アナ! 真血流堕アナ!」
後ろから駆け寄って、ぎゅっと抱き締めた。俺からこんなことをするなんて、考えられないのだが。体が勝手に、頭もそれに伴って、この世に二人といない真血流堕アナを離したくなかった。
「まちりゅだですよ、まちりゅだ。真血流堕は捨てたのです」
言葉はふざけているけれども、どこかに哀しみのピエロのような無理を感じる。
「真血流堕アナは、女神ヒナギクのように迫って来ないな。俺は、尚のこと真血流堕アナを――」
向き合って、俺の口は手でふさがれてしまった。
「むごむご」
「……そこまでですよ。佐助先輩。それ以上言ったら、私達は壊れてしまう。壊れたら、堰を切ったかのようになります」
肩を震わせているのが分かる。俺が怖いのではない。きっと、俺達の未来が怖いのだ。
「メガネ取って貰ってもいいかな?」
「いいですけれども、何も見えなくなりますよ」
真血流堕アナは、ゆっくりと似合わなかったメガネを外した。
「可愛いな。真血流堕アナは。メガネも似合っていたけれどもな」
「褒めても何も出ませんよ。メガネが似合わないから、元々、コンタクトレンズ派だったのです。パラダイスに来て、メガネの便利さを再確認ですね」
本当は、俺だって、CHUしたいさ。愛おしいと思えば、生まれる感情だ。真血流堕アナ……。キミへのもどかしい想いをどうしたらいいんだ。
俺が頭を抱えている一方で、真血流堕アナが、さっぱりとさせてくれた。真血流堕アナが澄んだ声を伸ばす。
「おつかれーしょん!」
「そうか、そうだよな! これからもがんばろう。お疲れなのはお互い様だね」
あははは。ははは。
「俺達の声が、よく響く建造物だな」
俺は、ここで、キミと言う精霊に出会えたことを忘れない。
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