伏線
翌朝――
目覚めたリンは大きな欠伸と共に首をほぐし、室内を見渡した。
「……」
ちゃぶ台の向こうで、毛布に包まった七美が寝息を立てている。
筋肉目玉は本来の姿に戻りちゃぶ台の下に転がっていた。
という事は、抜け殻になった毛布の主はケーラーのようだ。
「……」
そろりと障子を開け、廊下に出た。
背伸びをして、微かに聞こえる音を頼りに廊下を進み炊事場へ出た。
この家はなかなかの人数が暮らしているらしく、数名の信者が朝食の準備をしていた。
「おはようございます」
一人の女性がリンに声をかけた。
「七美様のお客様ですよね?」
「うん……」
「後ほどお食事をお持ち致しますので、お部屋でお待ちになっていて下さい」
「ありがとう」
会釈をして立ち去ろうとする彼女を呼び止めた。
「あのさ、私のツレを見てない?」
――道場へ入ると、上だけ道着を纏ったケーラーの姿があった。
道場の真ん中で、格闘の講義をしているらしい。イガラ集らしき面々が熱心に話を聞いていた。
ふと顔を上げたケーラーと目が合った。
「リン。お前もどうだ?」
「パス。それより話があるんだけど」
「そうか……」
一瞬残念そうな顔をしたが、すぐに気を取り直した。
「それでは、皆くれぐれも無茶をするんじゃないぞ」
上着を返し、「オスッ!!」という気合を背に、リンの元へ向かった。
「自家にいる気分」
「自家?」
「ウチも道場なの」
「なるほど……。それで、話とは?」
「単独行動されると何かあった時に困るでしょ。あたしら九割ウソで出来てんだから……」
「……」
――部屋に戻ると、七美と筋肉目玉が朝食を取っていた。
「あんたさ、その姿で食う必要あるわけ?」
「こっちじゃないと沢山食えねぇんでさ」
「だから聞いてんのよ……」
「食うことに関しては、人間も悪魔も同じなんでさ。食事は至福の一時……それが美味い物であれば尚の事。少しでも長く、多く味わいたいんでさ」
「ふーん……」
納豆をこねていた七美は、戻ってきた二人に気が付いて顔を上げた。
「おはよ。ちゃんと眠れた?」
「基地のテントに比べたら天国だったよ」
「どんな場所でもぐっすり眠れる。軍人に求められる重要な要素だ」
「じゃああたしは向かないね、布団で寝ないと体中痛くて寝た気がしない」
七美は肩を竦めて見せ、二人を促した。
「ほら、突っ立ってないであんたらも食べて」
「あんたちょっとは遠慮して食べなさいよ。ウチらのせいで食料を確保すんのも大変なんだから……。そもそも味とか分かるの?」
リンはガツガツと飯を食らう筋肉目玉へクギを刺しつつ隣に腰を下ろした。
「たしかに、あっしは何でも食います。石や金属以外なら何でも食えます。ですがね、何でも食うと好き嫌いが無いってのは別物ですぜ」
「あっそ」
そんなやり取りをよそに、七美は二人の食事をよそいつつ尋ねた。
「おさらい。昨日は一晩何をしてたんだっけ?」
「夜通しウノをやったじゃねぇですか。合計二十勝であっしの――」
ザクリと、七美は箸を突き立てた。
「ギャァァ!!」と悲鳴を吹き出す彼の喉に、リンが素早く台拭きを詰め、ケーラーが答えた。
「魔王城攻略に関する密談を」
「帰りの演出は可能な限りど派手に」
と、リンが続いた。
続けて、七美はちゃぶ台に置かれた球体をつついた。
「幸子、そっちはどう?」
『こっちも大丈夫です! もう準備に入ってます』
『兄上の許可ももらったぞ! 後は天界の返事待ちじゃ』
「上手く行きそう?」
『大丈夫じゃ、我に任せておけ』
「そう。何とかなりそうね」
乗せ忘れていた海苔を齧り、ホッと息をついた。
『……あの、七美さん。本当に良いんですか……?』
「やっぱり止めた。って言ったらあんたは諦められんの?」
『そ、それは……』
七美は笑みを浮かべ、サチコを映す球体をつついた。
「あたしがこうして生きてられんのはあんたのお陰なんだから、このぐらいは返させてよ。
まあたしかに、私が追い求めてものとは違うけど……、人生ってそういうもんでしょ」
◆
外へ出ると、一帯がざわついていた。
上空を旋回するニ機の戦闘機が爆音を降らせ、低空で通過するヘリの一団を多くの者が指差した。
囁き合う野次馬たちをイガラ集が押しのけ、七美に続いてリンとケーラーが門を出た。
同時にざわめきが増し、空に向けられていた視線が二人に注いだ。
二人が居る事と関連付ける囁きがそこかしこから聞こえ、直接尋ねようとする者もあった。
近づこうとする者をイガラ集が押し返し、七美を先頭に境内をゆっくりと歩いた。
ゾロゾロと野次馬を従え、タップリと時間をかけてゲートへと向かった。
やがて……ゲートの向こうに展開した部隊と、護衛を従えたヘリが着陸する様子が見えた。
「……」
足を止めた七美に、リンが囁いた。
(派手すぎてビビった?)
ギロリと睨み返し、七美はノシノシと歩を進めた。
時間と共に野次馬は増え続け――一行がゲートを潜る頃には境内を埋め尽くし、一歩間違えば大惨事という様相であった。
ゲートを出た二人が七美へ敬礼をする様子を、野次馬達がザワザワと眺めた。
ヘリ向かいながら、ケーラーは物々しい迎えをぐるりと見回して横目でリンを窺った。
「ちょっとやり過ぎたんじゃないか……? さすがに派手すぎだろう……」
「自分を騙すつもりでやれってアドバイスをもらったのよ」
「……」
ニヤリと微笑み、リンはヘリ乗り込んだ。
ローターの回転が上がり、護衛に続きリンとケーラーを載せたヘリが浮き上がった。駆け抜ける風を受け、七美は目を細めて飛び立つヘリを見送った――
やがて……地上に展開していた部隊が撤収を始め、七美も踵を返した。覆面に隠された彼女の表情を読み取る事はできないが、堂々とした歩みに圧され、自然と人垣が割れ道が開いた。
ヒソヒソと交わされる憶測を背で聞き流し、家へ戻った。
自室へ戻り、覆面を脱ぎ捨ててズルリとちゃぶ台に突っ伏した。
「はぁ……疲れた……」
全身の力を抜き、そのまま液状化しようとする彼女を呼び止める者があった。
「あの……」
「あん? ああ、そういやアンタまだ居たんだっけ……」
部屋の隅で正座する筋肉目玉を振り返った。
「あっしはどうすれば……?」
「とりあえず……ちっちゃくなってこの中にでも入ってて」
食べ終えたスナック菓子の袋を投げた。
「……」
「何?」
「いえ……その、もっちょっと……」
舌打ちを洩らし、七美は戸棚を漁り適当な空き箱を投げた。
「あんたさ、死ねば自動的に向こうに帰れるんだよね?」
「勘弁してくだせぇ……。たしかに復活はしますがね、痛くねぇってわけじゃねぇんですぜ……」
「ふーん」
「天界の許可が下り次第姐さんが転移してくれやすんで、それまで何とか……。今はとてもデリケートな時期でして、何をするにも天界へ通達してからなんでさ」
七美は肘をつき、小箱に寝床らしきものを拵える筋肉目玉を怠そうに眺めた。
「つーかさ、何で連れてってもらえなかったの?」
「あっしは、荷物に入れくれって何度もお願いしたんですよ?」
「ふーん」
「……」
「何したの?」
「……」
◆
「へー、触手巻き付けて、アレをしごかせた」
「ええと、まあ……要約するとそんな感じで」
「あのさ、これから上司になるかもしれない相手によくそんな事できたね」
「そりゃー事が上手く運んで、この二人がぼっちゃまの眷族になったら仕返しされるんだろうな。って事ぐらい分かってましたさ」
「じゃあなんで?」
「あっしは、姐さんやあの二人は違って生粋の悪魔なんですぜ? 人の悲鳴や怒り、苦痛や蔑み、そういうものが大好物なんでさ」
「……」
「そういう目とかも……もし姐さんのご友人でなかったら……」
息を荒らげて血走って行く頭――目玉を見つめる七美の瞳は、まるでゴミを映しているかのようであった。
「……」
その時――
「しつれーしまッス!」
声と同時に障子が引き開けられた。
七美はそちらへ目を動かすよりも早く、血走った目玉を横なぎに蹴り倒した――
悲痛な呻きを上げ、小箱もろともちゃぶ台へ叩きつけられた筋肉目玉へさらなる一撃を見舞い、部屋の外へ蹴り出した。
「ああッ!! やっぱ居やがったんだな!!」
ゴロゴロと転げ出てきた筋肉目玉へ、間髪入れず法被の男が襲い掛かった。
「オラァッ!!」
っと拳が振り抜かれる度、不気味な呻きと共によくわからない汁が飛び散った。
徐々に形を失って行く筋肉目玉を眺めつつ、七美は覆面を被り部屋を出た。
「七美様大丈夫ッスか!?」
「うん。あの二人をつけてたみたい」
どちゃりと倒れ、モザイクに包まれた筋肉目玉はブスブスと蒸発するように小さくなった。
「光の戦士も気が付けなかったのに……七美様さすがッス! 他にも居るんスか!?」
「コイツだけよ。ドサクサで紛れ込んだものの、ここのパワーに縛られて身動きできなくなってたみたい」
「なるほど……」
「あと、みんなには内緒にしててね。ここに悪魔が入り込んだって聞いたらパニックになるから」
「わかりましたッ!」
「で……何か用事があったんじゃないの?」
「あ、晩飯のリクエストを伺いに来ましたッ!」
「あたしは何でもいいよ。アンタが食べたい物にしちゃいな」
「あ、ありがとうございますッ!」
「どころでさ、返事を待ってから開けるようにって言ったよね?」
「すいませーんッ!! ついうっかり!」
「今度から気を付けてね。あと、す
「はい! すいませーんッ!!」
「……」
言いかけた言葉を飲み込み、七美は部屋へ戻った。
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