槻七美

 境内を歩きながら、リンは周囲の様子を眺めた。

 所狭しと店舗や住居が溢れ、悲壮感はない。ポツンと開いたスペースにテレビが置かれ、人々が群がっていた。

「まるで町ね……」

「空母を思い出すな」

 行き交う人々の間を抜い、狭い通路を進みながらケーラーが呟いた。

「ふーん?」


「空母は何でも揃っている。圧縮された人口数千人の動く町だ」

「へぇ。ところでさ、諜報活動する奴ってみんなそうなの?」

「〝そう〟とは?」

「真顔でペラペラ嘘をつく」

 一瞬の間を開け、「なるほど……」と先程の滝本とのやり取りに思い至った。

「自分を騙すつもりでやれとアドバイスをもらった事がある」

「ふーん」


 その時、前を歩いた滝本が立ち止まった。

「ここです」

 そこらにあるバラックとは一線を画したなかなか立派な建物だ。

 門に取り付けられた覗き窓がピシャリと閉じ、閂を外す音が聞こえた。

「どうぞ」

 声と同時に小さな門が開き、法被はっぴを着た男が三人を出迎えた。やたら反射する金色で、背に例の拳のマークが描かれていた。


「急拵えなんスけど、本物の大工達が作ったんでー、そのへんの小屋とは違うんスよー」

 そういうやり取りは滝本に任せ、狭く長い廊下を進んだ。滝本の向こうにチラチラと覗く例の拳のマークを見つめてリンは囁いた。

(天使っぽいけど……あんた分かる?)

(んん……。似た気配は感じるが……)


 やがて視界が開け縁側へ出た。小さいが、なかなか立派な中庭だ。

 縁側を廊下を奥まで進み、障子の前で立ち止まった。

「しつれーしまスッ! お客様をお連れしましたッ!」

 そう言うと彼はこちらに向き直り、お辞儀をして去っていった。

「どうぞ」

 障子の向こうから女性の声が聞こえ、ケーラーは一瞬リンと視線を交わして障子に手をかけた。

 滝本は心得たもので、一人廊下に残り歩哨に立った。


 障子を締め、二人は室内を見渡した。

「……」

「なんか……思ってたのと違う」

 ちゃぶ台、テレビ、ヘッドフォン、積み上げた漫画と雑誌、食べかけのスナック菓子……。

「もっとこう……、蝋燭とか線香があって、奥に御神体があってさ」


「教祖がおもむろに振り返って『来るのは知っていました』『思っていたより遅かったですね』」

「そう! それそれ」

 しかし……何処をどう見ても、ごくごく普通の居間だ。

「ザ・庶民。って感じ」

「それで……肝心の教祖様は何処だ?」

「……さあ」


 ふと、部屋の隅に置かれた屏風が動いた。

 派手な覆面を被った女が、屏風の裏からにょきりと顔を突き出した。服の方も違う意味で派手だ。全体的にピンク色で、フリル多し。コンサートを抜け出したアイドル、又は任務中の魔女っ子か……。

「……」

 暫く二人を窺い、のそのそとちゃぶ台へ戻り覆面をを脱ぎ捨てた。


「いちいちメイクするのが面倒でさ」

 腰を下ろし、スナック菓子を摘まみながら二人を見上げた。

「座れば?」

 出鼻を挫かれ、一瞬何をしに来たのかを忘れた二人は言われるがままに腰を下ろし、ちゃぶ台の向こうでポリポリと菓子を食う女を見つめた。

「食べる?」

 リンは目の前に押し出された菓子を摘まみ、ようやく切り出した。


「……えっと、槻七美さん。……で良いんだよね?」

「うん」

 頷いた七美は順に二人を指差した。

「ヘンリー・ケーラー、リン・シャオヘイ。だよね?」

 頷いた二人へ、七美は尋ねた。

「光の戦士様が一体なんの用? あたしなんか不味い事した?」

「いえ、そういうわけじゃ……」

碓氷うすい幸子さちこ

 っと、ケーラーが切り出した。


「ああ……、なるほど」

 と七美は何かを察したらしく、小刻みに頷いた。

 その時、障子の向こうに滝本とは別の人影が動いた。

「しつれーしまスッ!」

「やっば、また来た」

 七美は慌てて覆面を被り、居住まいを正した。


「七美様にお話ししたい事があると」

「はい。どうぞ」

 障子が開き、若いカップルと先程リンとケーラーを案内した法被の男が現れた。

 話があるというのは若いカップルの方のようだが……法被の男も何か言いたげに室内を窺っていた。


「どうかされましたか?」

 ケーラーの問いに、男は遠慮がちに切り出した。

「え? ああ……気のせいだと思うんスけどー、なんか悪魔の臭いがするんスよねー。どっかに入り込んでんじゃねぇかと思ってー」

「そりゃ、あたしらは悪魔の返り血を浴びまくってるからね。敏感な人には相当臭いと思うよ」

「ああ! そっか! そうッスよねー! しつれーしましッたー!」

 っと、クルリと踵を返して立ち去った。


(ウチらって悪魔臭いの……?)

(さあ……。だがその血は持っている)

(そうだけど……オリジナルの光の戦士でも見抜けないんだよ?)

(天使とも違う……何か嫌な感じだ)

(あれ……、たぶんガチのそういう能力者なんじゃない……?)


 男が去り、七美は何処かホッとしたように若いカップルへ声をかけた。

「えっと、戸田くんと、横瀬さんだよね? どうしたの?」

「はい! あの、私達……」

「結婚する事にしました!」

「マジで? おめでとう」

「それで、道場で結婚式を挙げたいんですが……」

「うん、自由に使っていいよ。ただ、他の人達との調整はきっちりやってね」


「はい! じ、じつはもう調整はついてまして、来週の日曜日に行います! 是非、七美様にも出て頂きたくて……」

「うん、楽しみにしてる」

「ありがとございます!」

 障子が閉まり……イチャイチャと去って行く影が消えたのを見届け、七美は覆面を脱いだ。


「あの法被の奴さ、こうなる前に居酒屋で会った事あるんだよね……。なんとか気付かれてないけど……マジ面倒。さっきは紐が絡まっちゃってさ、慌ててあそこに隠れたんだよね」

「あの……ここってどういう宗教なの?」

「んーと、みんなで正拳突きをする」

 っと七美は立ち上がり拳を突き出した。

「セイ! セイ! ってな具合で」


「……」

「ジッと引き籠ってむにゃむにゃお祈りしてるなんて不健康じゃん。こうやって体動かした方がいいでしょ」

 再び「セイ! セイ!」と正拳突きを繰り出し、冷蔵庫へ向かった。

「ビールかコーラかお茶か炭酸。どれがいい?」

「いえ、お構い無く」

 そう返したケーラーは、飛んできた缶ビールを慌てて受け止めた。

「新興宗教の教祖様っていうからどんな奴かと思ってたけど……」


「ガッカリした?」

 リンを振り返り、コーラを投げて寄越した。

「あんたは未成年だったよね?」

 戻ってきた七美はビールを呷り、幸せそうに息をついた。

「たしか19才」

「ええ」


「あたしさ、こんな事になってから軍隊の事とかも色々勉強したのよ」

「はあ……」

「19才で大尉なんてあり得んの?」

 チラリとケーラーへ向けた視線は、本人に聞けとでも言いたげにリンへ受け流された。


「わたしは本当の軍人じゃないから。力を貰ったから、必然的に軍属になったの。階級は動きやすいようにってあてがわれただけ。軍人としての知識や経験は二等兵以下だよ。だから、私は単独任務が基本。まあ……狙撃の才能があったってのも大きいけど」

「なるほど……」

「わたしも聞いていい?」

「なに?」


 リンは七美のファイルを取り出し、彼女前へ置いた。

「……?」

「ここから今に至る経緯。それから碓氷幸子との関係」

 七美はファイルを捲り、時折苦笑いを浮かべて「あいつも生き延びてたんだ」と関心したように呟いた。彼女が見れば、証言集はそれぞれ誰の言葉か分かるのだろう。様々に表情を変えながら目を通し、ファイルを閉じた。

 七美はビールを呷り、一息ついて新しい菓子を開けた。


「ここまでの登場人物。法被、カップル、廊下の自衛官、あんたらとあたし。誰が一番普通?」

 個別包装されたそれを配りながら尋ねた。

「カップル……かな」

「次は?」

「滝本――廊下の自衛官」


「次は?」

「……法被」

 七美はグデっとちゃぶ台に伏せ、恨めしげに二人を見上げた。

「あたしはさ、あのカップルのポストに収まる予定だったんだよ。『どうしてこうなったのか?』そんな事あたしが聞きたいよ……」

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