境
あの日を境に、世の中は目に見えておかしくなった。
伝説や物語に登場する悪魔や怪物が各地に姿を現し、世界は恐怖と混乱に飲み込まれた。
群れを成した悪魔や怪物達と軍が激突し、世界中で異世界からの侵略との戦争が始まった。
それは、ここ日本も例外ではない……。
『先程、政府が会見を開き、自衛隊へ防衛出動を命じたと発表しました』
「もうダメかな……」
朝食の納豆をこねながら、七美はぼやいた。
主役の座を追われた人類は、滅びるしかないのだろう……。ならば、消えるべき存在なのなら、このまま滅びを受け入れるのが『普通』なのではないだろうか……。
乗せ忘れた海苔を噛りながら、そんな事を思った。
◆
「おはようございます……」
「おはよ」
戸惑う幸子に挨拶を返し、七美はビールを呷った。
「ノンアルコール……ですよね?」
「普通のビールだよ」
デスクに座り、七美は堂々とビールを呷った。
「ちょっ――仕事中ですよ!」
「だからだよ」
七美は二缶目の封を切り、グビグビと喉を鳴らした。
「所謂、世紀末とか、終末なんて言われる時が来たんだよ。なら、死ぬ前にパ~っとやりたい放題やってからくってくたばるのが『普通』っしょ」
「……」
「あとね、社長と役員の殆どが行方不明だから、この会社ももう終わるよ。今月の給与も出るかわかんないよ」
ぐるりとオフィスを見渡すと、随分と人の数が減っている。来てはいるが、一日の殆どをネットやテレビを見て過ごしている者も多い。
「日本でもちらほら暴徒が出てきてるみたいだし、気をつけなよ」
七美はクーラーボックスからビールを取り出し、幸子へ突き出した。
「飲む?」
「――ぷはっ」っと二人の声が重なった。
いつもの美味しさに加え――イケナイ事をしているドキドキと高揚感に快感を覚えた。
「ハハッ、いい顔してるよ」
「まさか、自分がこんな事をする日がくるなんて……」
「いっぱいあるから、好きなだけどうぞ」
七美はビールに加え、社長室から取ってきたという高そうな菓子や酒瓶を並べた。
――酒を片手に、二人は仕事に取りかかった。無論、真面目にやるつもりはない。
「これさ、テキトーに入力してみたかったんだよね」
言いながら、七美はキーボードを叩いた。
「私も、メール未読で全部消すってとかやってみたかったんですよねー」
思い思いの仕事? をこなしながら、幸子はぼんやりと今後の事を考えていた。
間もなく、
七美はどうするのだろうか……?
「……」
彼女はもう全てを諦めているようだが……幸子は知っている。この事態は、七美が思っているような結末にはならないと。
全人類の中で、幸子だけがこの事態が迎える顛末を知っている。
伝えるべきか否か……。
「……」
伝えたところで、十中八九信じてはもらえないだろう。だが……。
「……」
ここ数週間、七美との仲はは急速に深まった。毎日一緒に昼食を取り、帰りに何処か寄り道をするということも増えた。
世の中がこうなっていなくても……いつか、何かのきっかけで七美とは友達なっていたかもしれない。
「……」
◆
「おはよ」
「おはようございます」
「昨日、また悪魔騒ぎで電車止まってさぁ……。ホントいい加減にしてほしいよねぇ」
「これからもっと増えますよ」
七美は「ふーん」と聞き流し、疎らなオフィスを見渡した。
「世の中凄いことになってんのに、コイツら何しにきてんだろうね……」
オフィスは空席の方が多く、出社してきても一日中テレビやネットのニュースを見ているだけという者が殆どだ。
少なくとも、この会社はもう滅ぼされたと言っても良いだろう……。
「ま、ウチらも
「逃げてるんですよ。現実から」
「……そうだね。ホント、逃げ出したいよ」
経営陣も殆どが行方不明らしい……。漏れ聞こえる話では「逃げた」そうだ。
世界中何処へ行っても同じだというのに……一体何処へ逃げるつもりなのか……。
とは言え、例外地域があることも事実だ。
「……栃木」
「え?」
「一番近い所なら栃木が比較的安全」
「なんで?」
「これから悪魔の出現はどんどん増えて、人類と悪魔との戦争になる。でも、栃木は戦場にならないそうです。悪魔の出現も少ない」
「……なんで分かんの?」
「聞いたんです」
「誰に?」
「悪魔」
「……ふ~ん」
互いに目を向ける事なく、カタカタと指を動かしながら淡々と続けた。
「逃げるつもりなら、来月の末までに逃げた方がいいですよ」
「何で?」
「
「何で?」
「蝕が進むと、各国の首都に魔王の支城や
「……ふ~ん。あんた何時もそんな妄想してたの? いい年こいてゴスロリ趣味は伊達じゃないって?」
「なんで知ってるんですか……」
「聞いた」
「誰に?」
「酔っ払ったあんた」
「……」
「つーかさ、蝕って何?」
「数千年に一度、
「……」
「別に信じなくてもいいですよ」
「……まぁ、世界を滅ぼすって言ってたし、妄想でもないのかねぇ……。
じゃあ、私は男紹介するよ。軽いけど顔はいいよ。あんたみたいな地味っ娘が好きらしいから、死ぬ前に思い出作ってきたら?
どうせこれっぽっちも花の無い人生送ってきたんでしょ? とりあえず22才って事にしとくから、そこは自分でどうにかしてね」
「間に合ってます」
「……ゴメンよく聞こえなかった」
「間に合ってます」
「はぁぁぁ!?」
っと同時に、キツツキのような頭突きと大音声が幸子を襲った。
「おぉぉい! もしもしもしもしもしもーし!! 聞こえますかー!? もしもーし!! この期に及んで見栄張ってんじゃねぇぞ!? おぉぉい! あぁ!?」
「ち、近い……」
グリグリと押し付けられる額を押し退け、サチコは付け加えた。
「ちなみに人類は生き残るので、貯金使い切ったりしたらダメですよ」
「あぁ? 何でわかんだよ!?」
「だって、この戦いは――」
◆
「……茶番」
空になった冷蔵庫を閉じ、最後のビール手に荷造り中のトランクケースの元へ戻った。
封を切り、吹き出した泡を啜りながら幸子の話を思い出した。
『これは、神と悪魔による壮大な茶番劇なんです。
人間の記憶に常世と――そこに住む神や悪魔の存在を刻みつける。悪魔に脅え、神に祈る。次の蝕が訪れるその時まで消えない深い記憶を刻み付ける為の茶番なんです』
グビグビと喉を鳴らし、ビールを流し込んだ。
『人間は、圧倒的な力を行使する悪魔と果敢に戦う。そして大きな傷を負いながらも、最後は神の威光と奇跡により魔を退け、強い信仰を取り戻す。
そういうシナリオなんです。数ヶ月、安全な所に避難していれば終息します』
缶を逆さに振るい、最後の一滴まで流し込んだ。
『間もなく、東京は異界に飲み込まれます。だから、置いてゆく物は二度と戻らないと思って下さい。失いたくないものは今の内に安全な場所に移して、七美さんも避難して下さい。
栃木じゃなくても、安全な場所は実は沢山あります。古くからある神社や仏閣の周辺はだいたい安全です。歴史があり、由来がはっきりしている所だと完璧です』
クシャリと潰した缶を放り、携帯を手に取った。
『もしもし、お母さん? うん、あのさ、栃木のお婆ちゃん。うん。住所教えてほしいんだけど。うん。うん――』
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