ゴゴゴゴ

 魔王城。

 向かいに座る交渉団を前に、魔王はため息を噛み殺してザッバに囁いた。

「こんな形で魔王城に人間を入れるなど前代未聞だな……。しかも――」

 っと、改めて面々を見渡した。


「本来であらば、辿り着いたヒーロー達と最終決戦を行うはずだった場所に、己を肥え太らせる事しか頭にないクズどもを……」

「今さらながら……ほとほと呆れてしまいます……。人間の想像する悪と悪魔は、自身の悪行には遠く及ばないですな」

「全くだ」


 その時、仲介役を勤めるピクマーの声が響いた。

「それでは、今日はここまでとなります」

 それに対し、交渉団の代表が口を挟んだ。よくインタビューに答えている小太りの男だ。

「明日、お返事をいただけるという事でよろしいですかな?」

「はい」

「早く軍を進めよという声を押さえるのもなかなか骨でしてな……色よいお返事を期待しております――」



 ――玉座へどかりと腰を下ろし、魔王は深いため息をついた。

「ま、ともかくこれでピクマーと我々の面子は保たれた。まさかまだあのクズゲス先代に煩わされる事があるとは思ってもみなかったな……」

 先代の話が出ると、魔王は決まって不機嫌になる。しかし、今回はそれだけでは無さそうだ……。


「地上の約三分の一を悪魔へ譲渡、代わりに魔法の知識を提供……三分の一の国と人を生け贄に、悪魔の力を寄越せと……。本来なら我々が持ちかける話ではないか。一体どちらが悪魔か分からんな」

 生けにえのリストをペラペラとめくり、魔王は呟いた。

「フンッ、和平交渉が聞いて呆れる。流石に調子に乗らせ過ぎたか……我々を御したと思っておるようだ、脅しまでかけてきよったぞ……」


「ご命令頂ければ二秒以内に皆殺しに致します」

 っと、老執事は命令がなくともやりそうな顔で溢した。

「爺、今回ばかりは俺も呆れ返るばかりだ。俺もそうしたいのは山々だ。……我が弟の報告に期待しようではないか」



 ◆



 大展望台に、立て続けに三発の銃声が響いた。

「――!!」

 ウサギへ向けて放たれた弾丸は、割り込んだゴスロリ女の手に阻まれ、コロコロと床を転げた。

「リン!」

 ケーラーは慌てて銃を取り上げ、リンを抱えたまま柱の陰に飛び込んだ。


 その様子に、ウサギは実に機嫌が良さそうに笑った。

「ハッハッハ、良いぞニンゲン。もっと足掻いて見せよ」

 そう言うと、ウサギはゴスロリ女を振り返った。

「サチコ」

「はい」


 柱の陰に隠れるケーラーとリンの頭上に魔法陣が現れ、そこからリンのライフルとハンドガンがゴトリと落ちた。

 続けて、目玉の悪魔に蹴散らされた連中が持っていた装備品がゴロゴロと降ってきた。

「好きな物を使がよい」


 リンは自分のライフルを掴み取り、乱暴にスコープを外して歯を鳴らした。

「ナメやがって……!」

「リン! 落ち着け!」

 ケーラーの制止を無視し、柱の陰からウサギを狙い撃った。


 が、またしてもゴスロリ女の手が割り込んだ。だが、リンは構わず引き金を引き続けた――

「……ウソ……だろ」

 指の間に挟まれ、ずらりと並んだ.50BMGの弾丸を見つめ、リンの顔からみるみると血の気が失せた。


 っと――視界を手榴弾が横切り、強い力で体が引き戻された。

「聞け!」

 リンを柱の裏へ引き戻し、ケーラーはまくし立てるように続けた。

「逃げるんだ! こいつらは次元が違う! 今まで俺達が戦ってきた連中とは別物だ! すぐに離脱しろ、俺が時間を稼――」

 その時、背後に気配を感じた――


「つまらぬ事を言うでない。もっとわれを楽しませよ」

 ズイと寄せられた――幼くも邪悪な笑みが、二人の心に芽生えた恐怖を急速に膨らませた――


 受け止めた弾丸をポロポロと落とし、無表情に二人を見下ろすゴスロリ女がそれを一層掻き立てた。

 弾丸と一緒に、透明の箱に収まった手榴弾がコトリと落ち――音もなく破裂したそれは折り畳むように小さく圧縮され、コロコロとケーラーの足下に転がった。


「ほれ、どうした? 先ほどまでの威勢はどこへいった?」

 硬直した二人へ、ウサギが手を伸ばした――

「うああああああ!!」

 振り払うように、ケーラーは思わずナイフを振った――


 ――パンッ


 と、ナイフ諸共ケーラーの手が砕け散った。

「これ、サチコ。もう少し優しくしてやれ」

「申し訳御座いません。しかし、アリを潰さぬように摘まめと言われましても難しゅうございます」

「ハッハ、確かに」


 ……手首から先が無くなった腕を押さえ、うずくまっていたケーラーは――脂汗を垂らしてウサギへ向き直った。

「俺に……用があったのだろう……? 用があるのは……俺だろう? そこの女は関係ない」

 そう言って、ガチガチと震えるリンをチラリと振り返った。


「ムシの良い話だが……その女は逃がしてくれないか……?」

 それを聞き、ウサギは上機嫌に笑った。

「ハッハッハ、光の戦士とあろう者が、人類の希望たる光の戦士が! 神の先兵を気取る者が! ――悪魔に命乞いをするか?」

「そうだ。たのむ……」

「ハッハッハ! サチコ、目玉、聞いたか?」

「しかとこの耳で」

「確かに」


「ハッハッハ! ハッハッハ! ハッハッハッハッハ!!」

 っとウサギは一頻り笑うと、息を整えて二人に目を戻した。


「もう帰って良いぞ」

「……?」

 呆気にとられるケーラーを尻目に、ウサギはスタスタと離れて行った。

「ああ、忘れておった。サチコ、手を戻してやれ」

 その瞬間――ケーラーの手が再生され、目の前に骨がパラパラと落ちた。

「骨はご自分でどうぞ」


「これ、サチコ。あまり意地悪をするでない」

 空の手袋のように項垂うなだれていたケーラーの手が完全に復元され、ゴスロリ女がズイと顔を寄せた。

「次は全身の骨を抜きますので」

 最後に、一緒に粉砕されたナイフが復元され、サクリと床に突き立った。

 一連の出来事を呆然と見つめていたケーラーは、去って行くウサギとゴスロリ女の背に問いかけた。


「何の為に……俺を呼んだ……?」

「調子に乗ったニンゲン共が忌々しくてな。お前達のおかげでスッキリしたぞ。褒めてつかわす」

 呆然と座るケーラーの前に、目玉の悪魔が屈み込んだ。

「坊っちゃまの気が変わる前に、さっさとお帰んなせぇ」

 そう言うと、目玉の悪魔もウサギとゴスロリ女の後を追って歩き出した。


 去って行く悪魔達の前に魔法陣が現れ、周囲の空間を押し退けるようにぽっかりと穴が開いた。

 何処か……別世界の出来事。テレビでも見ているように、呆然と見送っていたリンは――ふと我に返った。


「……待って」

「リン……?」

「待って!!」

 悪魔達は足を止め、ゆらりと振り返った。

「なんじゃ?」

「……なんなのよ……あんた達は……」


「リン、よせ……」

「一体今まで何をしていたのよ……こんなバカげた連中、前線では一度も見てない!」

 顎を震わせ、笑う膝を抑えてリンは続けた。

「その気になれば……あんたらが出張ってくれば……!!」


「つまり……お前が言うところの、八百長やおちょうの神様について知りたい。そういう事か?」

 ウサギは腕を組み、顎に指を当てて大袈裟に考えて見せた。

「そうじゃな、われを満足させた褒美ほうびに一つだけ教えてやろう」

 ウサギの目配せを受け、ゴスロリ女が口を開いた。


「この戦いは生け贄の祭壇。全ては各国政府や財界に潜む悪魔崇拝者共が仕組んだ事である。これまでに捧げられた生贄と引き替えに、連中は悪魔と何か大きな取引を行おうとしている」

 ウサギは、顔の前でピンと指を立てた。

「半分当たりだ」

 きびすを返したウサギにリンは食い下がった。

「待って!!」


「……なんじゃ?」

 背を向けたままのウサギへ、リンは問いかけた。

「なら……もう半分も知っているんでしょ?」

「ならどうだというのだ?」

「……全てを……真実が知りたい」

 ――ほう、っと向き直ったウサギは、ニタリと悪魔らしい笑みを浮かべた。

「我は悪魔であるぞ? 悪魔に何かを願う……その意味は分かっていような?」


「……」

 俯いたリンの肩を掴み、ケーラーが前へ出た。

「真実を知れば……連中の企みを潰せるか?」

「お前次第じゃの」

「ならば、私は真実が知りたい」


 よどみなく答えたケーラーに続き、リンもキッと顔を上げた。

「私も、真実が知りたい!」

 リンとケーラーを交互に見つめ、ウサギは尋ねた。

「絶望しかないやもしれぬぞ? 少なくとも……知れば後悔する。それでも知りたいか? それでも――」


 ――我と取引を望むか?」 



 ◆



 玉座の間に現れた老執事へ、魔王は尋ねた。

「我が弟からの報告はあったか?」

「……いえ」

 俯いた老執事に続いて魔王は深いため息をついた。

「そうか……。仕方あるまい……時間切れだ。残念ながら、シナリオは現ルートを継続だ」

 魔王が玉座を立とうとした、その時――早足に歩くザッバが玉座の間へ現れた。

「魔王様。坊ちゃまからご報告が」


 ザッバの様子から、中身を察した魔王はゆらりと立ち上がった。

「天界へ通達。シナリオはBルートへ分岐する!」

「ハッ、直ちに」

 我は魔王なり。あの時以来の邪悪な笑みを浮かべ、魔王は颯爽さっそうと歩き出した。

 ツカツカと響く足音が、何処か楽しげなのは気のせいではないだろう。



「我々悪魔は、諸君らの申し出を受けることに決めた」

 和平交渉の会場へ入った魔王は、開口一番上機嫌にそう言った。

「おお、流石魔王。賢明な判断を下してただけると信じておりました」

 ニタニタと微笑む面々を見渡し、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。


「ただし、生け贄について少々注文がある」

 ざわついた会場のあちこちで、ヒソヒソと囁く声が聞こえた。

「生け贄が足りぬと?」

「いや、我は生贄よりも人間の眷属けんぞくが欲しい。お前達のように、真に悪魔へ理解のある人間をだ」

「我々を眷属に……?」


「不満か? しかし、魔法の力を欲するのであればその身に悪魔の血を宿す他ない。眷属という立場に不満があるのであれば途中でやめてもらっても構わんが……まあ、不満とあらば無理強いはせん。生け贄の中から探せば良いのだしな」


「魔王の眷属とは?」

「悪魔としての序列は、魔王様の一族の次となります。基本的に魔王様の一族を除く全ての悪魔は部下となります」

 魔王に代わり、ピクマーは淡々と返した。

「そ、それは本当か……?」

「はい」


「我は別にここに居る者達と限定はしない。真に悪魔への理解のある人間であれば誰でも歓迎する。七日後、この場にて契約の義を執り行う。我が眷属となる事を望む者は、七日後を期限にここへ集まるがよい――」

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