ザワザワ

 多国籍軍キャンプ。

 朝食を取る林小黒リン・シャオヘイの前に男が立った。


「……」

「リン・シャオヘイだな?」

 彼女はいかにも面倒臭そうに男を見上げた。

「……だったら?」

「ヘンリー・ケーラーだ」

「あっそ」

 話はもう終わったとでも言いたげに、彼女はかき回したシリアルを口に運んだ。


「話がある」

「……なに?」

「座っても?」

 うんざりとした様子で頷いたのを見届け、ケーラーは席に着いた――っと、彼女はいきなり銃を突き付けた。

「あたしは女だ。あと犬とか言ったらコロスからね」


「了解した」

 眉一つ動かさずに返すケーラーに、顔にこそ出さなかったが彼女の方が少々面食らった。

「で、話って?」

「時間が惜しい、単刀直入にゆく。この戦いに何か感じている事はあるか?」

「……」


「違和感や、疑問を感じた事はないか?」

「……そういうあんたはどうなのさ?」

「開戦当初、奴らはこんなに甘くなかった」

「……」

「ある時から、八百長やおちょう試合へと変わった。お前もそう感じているんじゃないか?」

 彼女はり気無く周囲に視線を走らせ、身を乗り出した。

「……だったら?」

「少し付き合ってくれ――」



 ◆



「これって……」

 ヘッドフォンをつけたリンが呟いた。

「人類への背信の記録だ」

 暫くの間、彼女はヘッドフォンから聞こえる会話を呆然と聞き続けた。

「ウソでしょ……。世界中に……参謀本部まで……」

 乱暴にヘッドフォンを外し、どかりと椅子に背を持たせて天を仰いだ。


「こいつら……悪魔と取引するつもり……?」

「いや、もう既に行っている」

 リンはハッとケーラーを振り返った。

「八百長試合……この戦いそのものが……」

「そうだ。試合は終わり、後は賞品を受け取るだけだ。東京に来て何日になる? なぜ仕掛けない?」


「そんな……。だとしたら……そうだとしたら! あたし達が授かったこの力は何!? 神は……神様は……」

「混沌が世界を満たそうとしている……。悪魔の事を言っているのだとばかり思っていた」

 うつむいたケーラーの横顔に、濃い無念が貼り付いていた。

「……我々は、メッセージを読み違えたのだ」

「そんな……」


「だが、まだ出来る事はある」

「何をすればいい?」

 ケーラーは一瞬躊躇ためらいを見せたが、リンを真っ直ぐに見据えた。

「私も悪魔と取引をする」

「どういうこと……?」

 にわかに警戒を滲ませ、リンはゆっくりと身構えた。


「最近、周囲にゴキブリが増えなかったか?」

「……まさか」

「昨夜、立ち上がって喋り出した。応じ無ければ私のやっている事を公にすると脅してきた。

 残念ながら……私が集めた証拠は、まだ世間を納得させるには弱い……。今ここで連中に尻尾を隠させるわけには行かない」


「ハッタリだよ」

「私もそう思った。だが……実は、君ならば信用出来ると言ったのもそいつなんだ。信じた訳では無かったんだが……」

 ケーラーは言葉を切り、リンに向き直った。

「後を君に任せたい」

「任せるって……」


「何れにせよ、私は行くしかない。私が戻らなかった場合、更なる証拠集めと、連中の告発を頼みたい。頼む。今頼めるのは君しかいないんだ」

「ダメよ。悪魔の声に耳を貸すなんて」

 険しい顔でそう言うリンを見つめ、ケーラーはふと調子を変えて尋ねた。


「なぜ私に接触を図ったと思う? わざわざ私と君を引き合わせたり、こんな手間を……」

 リンは無意識に、首にかかったヘッドフォンに手を伸ばした。

「……取引が成立すると都合が悪い奴がいる? 私達と同じように……向こうにも」

「その可能性に賭けたい。取引の妨害が目的なのであれば、それほどリスクのある事ではないはずだ」


「……じゃあ。私が行くわ」

「ダメだ!」

「どうして? それが最適でしょ? 私は貴方みたいに立ち回れない。これは最後まで貴方がやるべきよ」

 そう言ってリンはヘッドフォンをケーラーに手渡した。


「場所と時間を教えて」

「ダメだ! 私が行く」

「貴方が行って、戻ってこなかったらそれまでよ。後を引き継ぐなんて私にはムリ」

 暫くの間……苛立たしげなケーラーと、淡々と返すリンの声が指揮車のハッチから微かに溢れた。



 ◆



 微かに見える東京タワーを見つめ、ケーラーは運転する若い兵士へ声をかけた。

「ここでいい」

「もう少し寄れますよ」

「いや、これ以上は止めておけ」


 ケーラーは停車した車から降り、運転席へ回って声を掛けた。

「戻らなかった場合、リンと上手くやってくれ」

「……はい。お気を付けて」

 戻って行くハンビーを見送り、ケーラーは近くのビルへ飛び乗った。双眼鏡を取り出し、東京タワーの向こうにそびえる魔王城を見つめた。


 魔王城が出現したお台場を中心に、東京は悪魔の闊歩かっぽする異界となった。レインボーブリッジは、今や魔王城への道と化している。

「……」

 ビル群の間には巨大な蜘蛛くもが巣を張り、空には人よりも大きなハチが警戒するように飛んでいる。


 蜘蛛や蜂といっても我々の知るそれではない。人体を継ぎ接ぎしたような、何ともおぞましい姿をしている。

 あらぬ方向へ曲がる間接や、形ばかり人を模したようなパーツは、見ているだけで精神に異常をきたしそうになる。

 双眼鏡を下ろし、時計を見た。

「日がある内に距離を稼ぐとするか……」

 ヒラリと舞い降り、ケーラーは異界へと踏み込んだ――



 ◆



 午前一時。東京タワー大展望台。

 現れた魔法陣から、ニョキリと巨大な目玉が突き出した。

 ぐるりと周囲を見回し、筋肉目玉は魔法陣を這い出した。


 ブレザーのリボンを直し、長めのスカートをパタパタとはたいた。

「ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なな、や、ここ、とう。ちゅう、ちゅう、たこ、かい、な……おや、まだ居るので」 

 ――っと筋肉目玉は後ろに飛び退き、残った残像に一斉に銃弾が撃ち込まれた。


「こりゃ賑やかな歓迎で……お気遣い痛み入りやす」

 っと足下に踏みつけていた兵士を蹴り飛ばした。

 蹴り飛ばされた兵士は、数名を巻き込み窓を突き破って外へ飛び出した。


 続いて頭――目玉を傾け、背後から突き出されたナイフをかわして腕を掴んだ。

 まるでバットのように振り回し、周囲の兵士達を次々と弾き飛ばした。

 振り回され、ぐったりと伸びた兵士を持ち上げて呟いた。

「量産型とはいえさすが光の戦士。丈夫なこって」


 グルグルと大きく振り回し、ボウリングのつもりかなのか……床を転がすように投げ飛ばした。

 周囲に転がっていた兵士達を道ずれに大展望台を飛び出し、真っ逆さまに落ちていった。

 その直後――誤射の恐れが無くなり、一斉に始まった遠慮のない銃撃が周囲を昼間のように明るく照らした。


 ――銃声が止み……ドチャリと崩れ落ちた筋肉目玉へ、数名の兵士が歩み寄った。

 死亡を確かめようと、兵士の一人が爪先でコツコツと蹴った――その足が掴まれた。

「――ッ!!」

 引き金を引くよりも早く、大きく振り回され、近づいた兵士達もろとも外へ弾き飛ばされた。


 穴だらけになり、ずり落ちたブレザーを見て筋肉目玉はぼやいた。

「せっかく姐さんに見立てていただいたのに……」

 コロコロと銃弾を吐き出し、瞬く間に塞がってゆく銃創に――取り囲む兵士達は思わず声を洩らした。

「バ、バカな……」


「これでもあっしは坊っちゃまのしもべ。そしてこの肉体は、メイド・イン・魔王様。その辺の雑魚と一緒にされては困りますぜ」

 そう言うと、筋肉目玉は残った兵士達へ襲いかかった。



 一方、東京タワーを目指すケーラーは――

 大展望台から溢れる発火炎を認め、全速力で駆けつけた。

 ――硝煙が立ち込め、大量の薬莢やっきょうが散らばったそこに、頭の代わりに巨大な目玉の乗った人型の悪魔が立っていた。

 上半身は人のようだが……下半身は股から下は馬のような足がついている。……真ん中にぶら下がる宝刀も馬並みだ。


「おや旦那。来て頂けたんですね。約束の時間まで間があります。どうぞ好きに寛いでお待ち下さい」

 そう言うと、身構えたままのケーラーを見つめ、目玉の悪魔はゆったりと両手を広げた。

「それとも……旦那も試してみますかい?」


 動く――っと思われたその時、ふと構えを解いた悪魔は一歩下がった――

 そこへ合わせるように、スレスレを一発の弾丸が走り抜けた。

「そこに居りやしたか」

 

 ――スコープの向こうで、目玉の悪魔がくるりとこちらを向いた。


「――ッ!!」

 リンは咄嗟とっさに引き金を引いたが――既に姿はなかった。

 こっちへ来る。それは直ぐに分かった。

 しかし、あそこからこのビルの一室まで五百メートルはある。


 舌打ちを洩らし、ライフルを投げ出すと同時に跳ね起きて銃を抜いた。部屋を移動しようとした、その時、

「コンバンワ」

 耳の後ろで声が聞こえた――


 咄嗟に前へ飛び、振り向きながら感を頼りに弾丸をバラまいた。

 片手に銃を片手にナイフを握り、壁を背に気配を探った。

「何処に……」

 次の瞬間、鼻先に巨大な目玉が現れた――


 振り抜いたナイフに手応えを感じつつ、横に飛び退いて銃を構えた。

 ――っが、引き金を引くより早く、天井から飛び降りた目玉の蹴りがリンの手から銃を弾き飛ばした。


「流石オリジナル。量産型とは比べものになりませんな」

 ナイフの一撃を防いだ手から煙りを上らせ、目玉の悪魔はのしのしと歩み寄った。

「ですが……あっしの敵ではありやせん」

 突き出されたナイフをヒラリとかわし、脇を抜けながら筋肉目玉は身構えた……。


 魔界が長にたまりし一尺六寸――

 大きく腰を捻り、一息に振り抜いた。

「チェェェーーストォォォーーッ!!」

 ぶにょんと一閃、伸びた宝刀がリンの腹部へめり込んだ。


「――ッ!!」

 背まで巻き付く一撃に、リンは息を詰まらせて膝をついた。

「クソッ……」

「エヘヘ、こんなじゃじゃ馬は精神からやらないとねぇ」

 そう言うと、痛みに呻きながらも悪態をつくリンへ何かの触手を巻き付け、両手を宝刀の先に括り付けた。

「それじゃ、行きやしょか――」



 ケーラーの前に魔法陣が現れ――押し出されるように、先程の目玉の悪魔と触手巻きのリンが現れた。

「リン! どうして君が……」

 モゴモゴとうめくリンの両手は宝刀の先を握るように触手が巻き付き、もがく彼女の動きに合わせて目玉の悪魔がピクンと身を震わせていた。


「ちょっと……そんなに引っ張らないで下さいな。何か出ちまいますぜ?」

 下から睨み付けるリンを見つめ、目玉の悪魔はポンと手を打った。

「そうだ、いっその事出しちまいましょう。あっしのは量も臭いもトラウマもんですぜ。ほれほれ、もっと引っ張って下さいな」

 その時――頭上に魔法陣が現れ、別の声が聞こえた。


「目玉、そのぐらいにしておけ」

「ハッ」

 魔法陣から、ウサギの着ぐるみを着た男児と、その後ろに立つゴスロリ女が現れゆっくりと地面に降り立った。

 それに合わせ、目玉の悪魔がひざまずいた為宝刀がリンの鼻先に迫った。

「――ッ!!」


 ウサギは跪いた目玉の悪魔へ歩み寄り、下に敷かれているリンを覗き込んだ。

 何か臭気が漂っているのだろうか? 反発する磁石のように、首を振って宝刀から顔を背けるリンを見つめ、ニヤリと笑みを浮かべた。

「離してやれ」


 立ち上がった目玉の悪魔はリンを掴み上げ、ケーラーめがけて投げ飛ばした。

「大丈夫か?」

 受け止めたケーラーが口から触手を引き抜き、手足を縛るそれを切った――と同時に、リンは彼の腰から銃を奪い目玉の悪魔へ向けた。


「その意気や良し」

 ハッハと笑うウサギに狙いを変え、立て続けに引き金を引いた――

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