ヒソヒソ

 ――


 ――大尉たいい


「ケーラー大尉」

 ハッと目を覚ました彼は、脇に置いた銃へ素早く手を伸ばした。

 ――が、銃を掴むより早く、自身の居る状況を思い出した。


 多国籍軍キャンプに止められた指揮車の一つ。ある連中を監視している。

 時計に目を向けると、午前二時を回ったところだった。

「動きがあったか?」

 その問に、彼を起こした若い兵士が力強く頷いた。


 ケーラーは素早く身を起こし、片耳にヘッドフォンを当てた。

「録音は?」

「残さず」

 そう答えた若い兵士へ頷き、傍受ぼうじゅした会話に耳を傾けた。

 ――その足下で、息を潜める小さな影があった。

 時折姿を見せるこの影の向こうから、こちらを覗き見る者がいるなどとは……この時は夢にも思っていなかった。


 同じ頃――

 とあるビルの屋上。スコープ越しに魔王城を見つめる一人の兵士の姿があった。


「さっさと始めようぜ……。もう目の前まで来てるってのにさ」

 ぼやいた女性兵士はヘルメットとゴーグルを脱ぎ、ごろりと横たわった。

 短く刈り込んだ黒髪と――まだ少女の面影を残す顔立ちが、中性的な独特の美を形成している。

 彼女が小柄なせいか、脇に投げ出された大口径のライフルが異様に大きく見えてしまう。


「シャオ、真面目にやれ」

 耳のレシーバーから声が聞こえた。

 目を凝らすと、星に混じり一機のドローンが飛んでいる。

「覗いてんじゃねぇよ、変態」

 その瞬間――素早い動きで抜かれたナイフが、木箱を這う黒い小さな影めがけてダーツのように飛んだ――


 チッ、っと舌打ちを洩らした彼女の耳元で、再び声が聞こえた。

「どうした?」

「なんでここ東京はこんなにゴキブリが多いんだよ。鬱陶うっとうしい」

「さぁな、そいつらも住み処を追われたんだろ」

「……」

「そんな事より、早く配置に戻れ」

「そんなに気負わなくても大丈夫だよ」

「気を抜き過ぎだ」


「大丈夫だって、たぶん結果は決まってるからさ……。ここで何をどうしようと、どうなろうと……多分あたしら人類の勝ち。いや、勝たせてくれるよ」

「ま、それもそうだな、我々には神がついているからな」

「……そうだね」

 呟いた彼女は、聞き取れない微かな声で付け加えた。

八百長やおちょうの神様がね……」


 次の瞬間――素早く銃を抜き、壁を這う小さな影を撃ち抜いた。

 微かに残骸が残る弾痕は、うっすらと白い光を帯びていた。

「ヘンッ、ザマー見ろ」



 ◆



「――ハッ!!」

 っと、ウノを捲っていた筋肉目玉は動きを止めた。

 戦利品の山から出てきたウノが何なのかを説明した後、そのまま勝負となっていた。


「あと三枚じゃ。はやくしろ」

 向かいに座るアマガエルは冷ややかに見つめた。

「ん? 目玉さんどうかしたんですか?」

「今……あたしの眷属けんぞくが光の戦士に……」

「やられたんですか……?」


「射殺されました……」

「でも、すぐこっち魔界で蘇るんですよね?」

「いえ……あれは現世の住人ですので……蘇ることは……」

「そんな……」

 二人のやり取りに、アマガエルはジトッと眠たげな目を向けた。

「ゴキブリの事などどうでも良い。はやくしろ」


「ゴキブリ!?」

「こやつは現世のゴキブリとかいう虫を眷属として大量に従えておるのだ」

 振り返った幸子は、筋肉目玉から然り気無く距離を取った。

「まだ魔王様からこの体を賜る前に、姐さんの部屋に大量に住んでたあいつらを――ん? 姐さんどうかしやしたか?」

「アタ、アタ……アタ、シノ、タイリョウ……ヘヤニ、スンデ……?」


「ええ。冷蔵庫の裏なんてパラダイスでしたぜ? 夜になるとそりゃぁ賑やかで――姐さんが寝たあと、部屋中飛び回って駆け回って……楽しかったですなぁ」

 思い出に浸る彼の向かいで、ゆらりと幸子が立ち上がった。

「ちょっと部屋を見てきます……」

 ふと幸子を見上げたアマガエルは――彼女の虚ろな瞳の奥に、確かな殺意と荒ぶる破壊のオーラを見た。


「あたしが全部連れて行きましたんで、もう姐さんの部屋にはいませんぜ。あ、欲しいんでしたら……ほら、ここに一匹。繁殖も順調で、このぐらいに育ったら順次眷属にしてるんですよ。こいつはまだなんで、良かったら差し上げ――」


 一瞬――筋肉目玉は差し出した手が吹き飛ぶ幻覚を見た。手のひらに乗せた一匹と共に、木っ端微塵に砕け散った。確かな痛みもあった。

「ギャァァァ――ぁぁああ?」

 しかし、よく見ると手には傷一つ無い。

「あれ? 見間違……気のせい……?」

 だが、そこに乗せたはずの彼の姿はなかった。それと……。


「あれ? 親指と小指が入れ替わっ……ん? 中指は何処へ……?」

「私から見ると逆なんですよね」

 幸子がポツリと呟いた。

「破壊して、シュンジに再構築。サチコもなかなか魔法を使いこなせるようになってきたな」

 っと腕を組んだアマガエルは満足げに頷いた。

蜘蛛くもとかムカデとか平気になってたんで、大丈夫かなと一瞬期待したんですけど……」


 抑揚のない声でボソボソと呟いていた幸子の瞳に、どす黒い物が渦巻いた。

「私の前に、二度とそれを出さないで下さい」

 床に積った小さな灰の山が圧縮され、何処かへ弾き飛ばされた――

「ああ、あと中指は多分裏側に付いてます」

「へ、へい……」



 そしてゲームは続き……。 

「またわれの勝ちじゃ」

 アマガエルは声を弾ませた。

「坊っちゃまが強すぎるんですよ」

「ええ。姐さんの仰る通り」

「ハハッ、二人とも相手にならんのだ」

 アマガエルは腕を組み、上機嫌にそう言うと幸子へ命じた。


「サチコ、負けたバツじゃ。わが尻に敷かれよ」

「はいッ、坊っちゃま」

 っと今度は幸子の声が弾んだ。

 二人を横目にカードを片付けていた筋肉目玉は、拾い上げた幸子の手札を見て呟いた。

「またわざと負けて……」

 そして心の奥で、ニヤリとほくそえんだ。


「これは保管すべき品だな。次やる時は兄上達も呼ぼう」

 っと、満足した様子で寛ぐアマガエルは、ふと尋ねた。

「して――目玉。チョウサの方はどうなっておる」

「へい、一通り光の戦士達を調べましたところ……二名ほど」

「ハッハ、二人もおったか。これは重畳じゅうじょう、重畳」


「ヘンリー・ケーラーとリン・シャオヘイ。この二人は可能性がありそうです。特にヘンリー・ケーラーは可能性が高いかと。なにやら企んでいる様子で、連日コソコソと味方を探っています。

 リン・シャオヘイの方は……シナリオには気が付いています。しかし、これと言った動きは見せていません。

 ただ、乗り気では無い様子で……。多少の可能性はあるかと」


「ふむ」

 アマガエルは腕を組み、大袈裟に唸って幸子を振り返った。

「サチコ。なにか意見があればきかせよ」

「そうですね……ヘンリー・ケーラーは落とせるとして――彼にリン・シャオヘイを口説いてもらうというのはどうでしょう?」

「ふむ……」


「我々が動くより成功率は上がるでしょう。しかし、失敗した場合はかなり面倒な事に……」

 続けて目玉が口を挟んだ。

「失敗した場合を考えると……やはり魔王様へ言上し、正式な許可を受けてから……」

「兄上がきょかを出すと思うか?」


「正直なところ……現状では難しいかと……。ただ、もっと判断材料を揃えれば……」

「何れにせよ、魔王様のところにピクマーさんの報告が上がって、会談が終了するまでの数日間が勝負ですね……」

 アマガエルは暫く考え、大仰な身振りで指示を出した。

「一先ずヘンリー・ケーラーに絞る。至急、奴の企みの中身を明らかにせい」



 ◆



 魔王城、玉座の間――

 這いつくばる様に跪いたピクマーを見つめ、魔王はため息をついた。

「申し訳御座いません……」

「いや、すまん。別に失態を犯した訳ではないのだ。気にするな。このため息はあのカス先代に向けてだ」


「しかし……如何いかが致しましょう?」

 流石のザッバも困惑した様子で尋ねた。

「もしかして……コレが現代流の戦争の進め方なのか?」

 っと魔王は再びため息をついた。

「何れにせよシナリオの修正が必要です。至急天界との調整の場を設けます」

 っと、老執事は事務的な声を挟んだ。

「頼む。コレを最優先に、他はキャンセルしていい」


 ピクマーは一体何を報告したのか……?

 少し前、コソコソと何かの召喚を試みていた怪しげな連中を覚えておいでだろうか? そう、召喚されたのはピクマーである。

 先代魔王が適当に作った魔導書のせいで彼は召喚されてしまった。そして適当に作られた制約に従いある約束を結ばされたのであった。


 召喚に成功した場合、魔王と取引する権利を得る。

 そしてピクマーがその仲介を務めるというものだ。


「蝕も大詰めだというのに……ったく、あのクズ先代は死んでいても鬱陶し奴だな」

 魔王は再び深いため息をついた。

「……ともかく一度は会うしかあるまい。向こうは魔導書を一言一句違わず実行してきたのだ、無視してはピクマーの……いや、全悪魔の、魔王の面子に関わる」

「では、魔導書にある通り五日後に場を設けましょう」

「分かった」

 魔王は玉座に深く背をもたせ、一際大きなため息をついた。

「事が済んだら、大至急魔導書ゴミを処分せよ」



 ◆



 数日後――

 ヘンリー・ケーラーは、何時もの如く指揮車へ乗り込み、各所に仕掛けた盗聴機が拾う会話を聞いていた。

 ふと、後ろで若い兵士が机を叩いた。

「どうした?」

「ホントに……ここ東京はゴキブリが多いです」

 そう言って、丸めた雑誌を手に若い兵士は肩を竦めて見せた。

「……逃がしました」


 それを見たケーラーは、皮肉っぽい笑みを浮かべて返した。

「我々が張っているゴキブリさえ逃がさなければ問題ない」

 そう言って顔を戻し、彼は動きを止めた――

 机の真ん中に、先ほど仕留め損ねたと思われるゴキブリが一匹……。

 そろりとナイフに手を伸ばした――その時、不意にゴキブリが立ち上がった。


「ヘンリー・ケーラー殿」

「――!?」

 思わずケーラーも立ち上がった。

「突然の訪問をお許しいただきたい」

「……」

 幻覚でも見ているのかと後ろを振り返ると、若い兵士は目を丸くして喋るゴキブリを凝視していた。


 ハッと気が付いたように顔を戻し、ケーラーはナイフを抜いて身構えた。

「魔の者の……誰の使いだ?」

「名は明かせませぬが、我が主が貴殿との会談を望んでおります。明後日の夜、東京タワー大展望台にてお待ちしております」

「ハッ、行くと思うか?」

 ナイフを握る手に力を込めた。


「あなた方の企てを公に致しますがよろしいか?」

「ハッタリだ」

「信じる信じないも貴方の――」

 不意に別の声が割り込んだ。


『ちょっとぉ~、目玉さんさっきから何してるんですか?』

『ちょっ、姐さん今はダメですって! 大事なところなんです!』

『あれれ~? さっきまでの口調はどうしたんですかぁ~? どうせまた何とかゴッコしてたんでしょ?


 知ってるんですよー。一時保管室からこっそりフィギアを持ち出してるの。大丈夫ですよ、誰にも言いませんって。ほら、ほら、後ろに何を隠してるんですか?

 今度は何を持って行ったのかなぁ~?』


 ふと、我に返った若い兵士が呟いた。

「ゴキブリが喋っているわけでは……通信機のような物でしょうか……?」

「そのようだな……」

『ん? 何ですか今の声?』

『だから姐さんダメですって!!』


「……」

 ケーラーはナイフを下ろして投げやりに尋ねた。

「明後日の夜、東京タワー大展望台だな? 時間は?」

『あれ? この声……ヘンリー・ケーラー? 目玉さ――あ……ごめんなさい……早く言ってよ、もう……』

「……聞いてるのか?」


 暫くして……。わざとらしい咳払いが聞こえた。

「午前二時きっかり。尚、そちらに危害を加える気は御座いませんのでご安心下さい。身の安全は保証致します」

「……いいだろう」

「それでは、失礼致します」

 っと去りかけたゴキブリは、ふと立ち止まってケーラーに向き直った。


「そうそう、お節介やもしれませぬが……リン・シャオヘイは貴方の企てに協力してくれると思いますよ?」

 それでは。っと、ゴキブリは扉の隙間へ姿を消した。 

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