コソコソ

 コツコツと廊下に足音が響いた。

 隣を歩く若い兵士がさり気なく見張りに立ち、ケーラーは素早く扉を潜った。

「遅かったな」

 暗がりから声が聞こえ、滲み出すように目出し帽の男が現れた。

「すまない。監視を撒くのに手間取ってな」

 そう返すケーラーの前に、男は指先に挟んだSDカードを突き出した。


「ありがとう。手間をかけたな」

 カードを受けると、男は闇へ溶け込むように姿を消した。

 男の気配が消えると、ケーラーは独りごちた。

「……証拠は順調に集まっている。しかし……具体的にはどう動けば良いのか……」

 カードを握る拳に目を落とし、深いため息をついた。

「一人でいい……もう一人居ないだろうか――」



 ◆



「プラズマテレビ?」

「ええ、一時期あったんですよ。昔、買おうか悩んだんですけどね……。薄いけど重くて、結局液晶に淘汰されてしまいました」

「へぇ、名前は強そうなんですがね……」


 あれから数日、幸子は一日の殆どを例の巨大な部屋――戦利品一時保管室で過ごしていた。

 主の方は連日兄と共に指令室に籠っている。

 連日指令室の窓に大量の結露を残しながら、幸子はここに通い仕分け作業を続けていた。


「確かに、姐さんの部屋にあるのより重いですね」

 筋肉目玉はテレビを置き、トンっと手を添えるとテレビが点いた。

「それどうやるんです? 坊ちゃまは手も触れてませんでしたけど……」

「姐さんも出来るはずでぜ? 点けようと思えば点きます」

 筋肉目玉はテレビを消し、幸子を促した。

「どうぞ」


「点けようと思えば……?」

 っと幸子がテレビに目を向けるとパチリと電源が入った。

「あ……。なんだろう……今の感じ……。テレビを点ける動作――いや、テレビが点く。それそのものが私の意識下にあったような……」

「その感覚を忘れずに。大抵の家電はそれで動きます。まあ、つまるところそれが魔法です」

「はぁ……」


「同じ感じで大抵の事は出来ますんで。手も触れずに物を持ち上げたりとか、あたしをミンチにしたりとか」

「……」

『ご覧下さい! 各国の精鋭部隊が次々と集結しています!』

 ふとテレビの映し出す映像に二人は目を向けた。


『世界中で展開された首都奪還作戦は成功し、いよいよ東京の奪還、魔王城への総攻撃の準備が整いつつあります! ――あ! あそこご覧下さい! 各地で戦っていた光の戦士達も続々と合流しています!』


「こんな堂々と写してペラペラと……舐められたもんで」

「でも、予定通りなんじゃないんですか?」

『間もなく、魔王は我々の世界に侵攻した事を後悔する時が来るだろう――』

「そりゃそうなんですがね……なんか腹立ちません?」

「ん~……」


『――と神の加護の元、我々は必ずや魔王を打ち倒す』

 制服を着た小肥りの男が得意気にインタビューに答えていた。

「これが三文芝居だと知ったら、この人達はどんな顔をするのかな~、ぐらいには……」

「そうだ! スッキリせんのだ!」

 ぎょっと振り返った二人の声が重なった。


「ぼ、坊っちゃま!」

「われもそう思っておったのだ。シナリオが大事なのはわかっておる。しかしだ、しかしだ! その気になれば、赤子の手をひねるが如くたたき潰せる相手に良いようにいわれ、やられ続けるのはガマンならんのじゃ!」


「坊ちゃま……お気持ちは分かりますが……」

「何をいまさら! つい今しがた腹が立つと言うておったではないか!」

 プリプリと歩くペンギンは、幸子の膝にどかりと腰を下ろした。

「やはりイライラする時はここに座るのが一番じゃ」

 幸子の胸に頭を預け、ペンギンは心地よさそうに呟いた。


「あの……坊ちゃま……」

 ちゃっかり手を回し、ペンギンをホールドしながら幸子が囁いた。

「新しいお召し物を作るのに後でまた採寸を……」

「うむ。部屋に戻ったらたのむ。……どうした? 息が荒いぞ? 疲れておるのか?」


「い、いえ、疲れなど今し方消し飛びました。ハァ、ハァ――」

 筋肉目玉はおもむろに拾い上げた目覚まし時計の針を回した。

「ハァ、ハァ、か、代わりに別のものが……」

 非常ベルのような音が鳴り響き、ワサワサとペンギンのフードを捲りかけていた幸子の手がビクリと止まった。


「姐さん。あの二人にあたしも絞られるんですからね。ミンチになったあたしを本当に哀れと、悪い事をしたと思って頂けたんでしたら、自重して下さいよ……」

「な、何を仰っているのか……。私は、な、なにも……」

 モゴモゴと目を逸らす幸子の膝の上で、再びペンギンが不満げに吠えた。


「なんの話をしているのだ? そんな事より、ニンゲンどもに痛い目を見せたいのだ! おのれの立場を思い知らせたいのだ!」

「じゃあ、攻撃が始まる前に打って出るんですか?」

「流石に坊ちゃまといえどそれはまずいっすよ……。これは常世と現世の全てに関わることですからね……魔王様に大目玉を食らうっていうようなレベルじゃないですぜ?」


 ふと、ペンギンはニタリと悪魔らしい笑みを浮かべた。

「実はちょっと面白いじょうほうを手に入れてな……」



 ◆



 幸子の部屋。

「現世シナリオ実行部隊司令を仰せつかっております、ピクマーと申します」

 幅広の短いクチバシにフードの奥で光る赤い目。兎のような足と異様に太いクマのような腕。四肢の先には鋭い爪が光っていた。

 幸子の描いた召喚陣から這い出した彼は、素早い動きでペンギンに額突ぬかずいた。


「うむ」

 幸子の膝の上で、ペンギンは大仰に頷いた。

眷属けんぞく様にはお初にお目に掛かります。挨拶が遅れましたこと誠に――」

「そんな事はどうでも良い。あの話をしろ」

「ハッ。それでは――」

 っとにじり寄りったピクマーは、何やらヒソヒソと話を始めた――


 

「……あの、くれぐれもご内密に……」

「わかっておる。サチコ」

「あ、はい」

 幸子が描いた送還陣へ入り、ピクマーはペンギンへ跪いた。

「それでは、失礼致します」

 続いて幸子へ向き直った。


「眷属様、後日改めてご挨拶に上がりたく……」

「いえいえそんな、お気遣いなく。お疲れ様でした」

 ピクリと身を震わせ、俯いたピクマーが送還陣へ吸い込まれ――姿が消えると同時にペンギンは不満げな顔で幸子を振り返った。

「サチコ」

「はい?」


「われはお前が気に入っておる」

「ぼ、坊ちゃま……」

「とても気に入っておる……お、おまえの事は……す……好き、じゃ」

「ボ、ボ、ぼ、ぼ、坊っちゃまァァ!!」

 リミッターが弾け飛んだ幸子を正面に捉え、ペンギンは照れながらも険しい顔で言い放った。


「じゃが、一つ気に入らん事がある!」

 ピン立てた指先で幸子の鼻を押し、補食せんと迫る彼女の顔を押し戻した。

「お前はわが眷属であるぞ! わが第一眷属じゃ! もっと堂々と振る舞え!」


「挨拶に来てえってんですから、受けてあげねぇと。今頃ピクマーは姐さんの機嫌を損ねたと思って戦々恐々としてますぜ?

 デーンと構えて、ちょっと無茶な手土産の一つも要求すりゃ良いんですよ」


「そんな……。そんな言われましても……新参の私なんかが……」

「姐さん。姐さんは坊ちゃまの第一眷属。今後坊ちゃまが他に眷属をお作りになられた場合、姐さんがその方々を仕切るんですぜ?」

「……え?」


「以前にも言いましたが、姐さんの序列は、魔王様、坊っちゃま、ザッバの旦那、執事の爺さんその次が姐さんです。正確に言えば、執事の爺さんとはほぼ同格なんですぜ。ちなみにあたしは坊ちゃまのしもべであり、姐さんの部下でもあるんです。

 逆に言うと、姐さんは先に上げた四人以外に畏まる必要は無いんです」


 ふと、別の声が割り込んだ。

「しかし、中には序列に従わぬ者も居ります。力の強い者は特にその傾向にあります。そういった輩をねじ伏せ、躾る事も上に立つ者の役目……」

 振り返ると、いつの間にか戸口に老執事が立っていた。


「サチコ殿。もしそこの目玉が生意気な口を利いた場合――いえ、既に利いておりますな。如何なさいますか?」

「如何と言われましても……目玉さんは――」

 突如――片腕だけ赤鬼へと変化させ、老執事は筋肉目玉の体を鷲掴み掴んだ。


 ギリギリと締め付けられ――瞬く間に血走った瞳が赤く染まり、喉の辺りからはブクブクと泡を吐き出した。

「こうするのです」

「ちょっと! 何するんですか!?」

「こうして、二度と生意気な口を利かぬように躾るのですよ」

「目玉さん何もしてないじゃないですか!?  止めて下さい!」


 老執事は幸子の制止など意に介さずギリギリと力を込め、筋肉目玉の体からよく分からない汁が滲み出した。

 その瞬間――幸子の目がつり上がり、赤鬼の指があらぬ方向へねじ曲がった――


 筋肉目玉がドチャリと床へ落ち、老執事は部屋の扉もろとも廊下に弾き飛ばされた。

 廊下の壁が崩れ落ち、埋もれた老執事が瓦礫がれきを押し退けてのそりと立ち上がった。

「どういうつもりですか!?」


 憤る幸子を冷ややかに見つめ、老執事は静かに呟いた。

「部下を守るのも上に立つ者の役目。これに関しては認めましょう」

 埃を払い、身なりを整えて何事もなかったようにスタスタと立ち去った。


「なんなんですか!? あのクソジジイ!!」

「おい、目玉。生きておるか?」

 床に転がった筋肉目玉は、あらぬ方向に曲がった手足がグリンと戻り、覗き込むペンギンを見上げた。

「へい、あたしはミンチになっても死にゃしません。お気遣い痛み入りやす……」


「目玉さん大丈夫ですか……?」

「そんな事より姐さん。執事の爺さんが言わんとした事を理解していただけやしたか?」

「……」

「坊っちゃまの第一眷属。重荷というのであれば――悪いことは言いません、身に受けた血を坊ちゃまにお返し下さい」


「おい!! 目玉!! 貴様――」

 珍しく怒りを剥き出し、声を荒げたペンギンを制して俯いた幸子へヒソヒソと囁いた。

「ちなみに、先々代様の奥方は第一眷属でして……。見事な手腕で部下達を取りまとめ、先々代様の寵愛ちょうあいを一身に受け、それはそれは末永く幸せにイチャコラと過ごされたそうな……。


 坊ちゃまの期待に応え、坊ちゃまの心をガッチリと掴んでしまえば……妃の座も夢ではない――いや、きっと姐さんを妻として迎えて下さるはず……。

 外野がクチャクチャ口を挟もうとも、坊ちゃまが姐さんを嫁にすると決めてしまえば誰も逆らえません……。唯一覆せる力をお持ちのあのお方は決して坊ちゃまのなさることに口を出したりはしません……全ては姐さんの胸一つ」


 幸子を中心に――竜巻のように渦巻く異様な気配を感じつつ、目玉は心の奥で呟いた。

 あたしだって悪魔の端くれ……企み事の一つや二つありまさぁ……。

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