半人半魔

 膝に座るパンダの肩へ、幸子の髪がサラサラと流れた。

 砕けたはずの体は再生し、メガネは必要無くなった。不満があるとすれば――

「どうせなら全部白くなれば良かったのに……」

 まだらに白くなった髪を手に取り、幸子は呟いた。


「われはそっちの方がすきじゃ。それにほら、お揃いだ」

 こちらを見上げるパンダを思わず抱き締め、頬を押し付けた。

「ンンンッ! 坊っちゃまぁ~!」

 グリグリと頬擦りをされるパンダは、まんざらでも無さそうだ。


「カーッ!!」

 ザッバの目が赤く光り、カタカタと顎を鳴らした。

「聞いているのか!!」

 針金のような胸毛を引き千切り、巨大な赤鬼は身を乗りだした。

「す、すみません……つい」

「つい!? ついィィ!?」

「カーッ!!」

 赤鬼の鼻息に煽られ、幸子の髪がたなびいた……。


「二人とも一体どうしたのだ? サチコが脅えておるではないか……」

「『どうした?』とはこちらの台詞でございます坊ちゃま!! 先程のあれは一体なんでございますか!?」

 噴き出した鼻息がフードを捲り、巻き添えを食った目玉が壁に当たりずるずると滑り落ちた。


「あれは……その……」

「貴様にも聞いているのだぞ!! 人間!!」

「そ、その……ちょっと盛り上がってしまいまして……」

「寝床に転がり汗みどろでもつれ合うとは、何がどう盛り上がったのですかなぁぁ!? ハッキリと申されよ!!」

「カーッッッ!!」


「二人ともしつこいぞ! なんでもないと言っておるだろう! それと、いつまでもサチコをニンゲン扱い・・・・・・するでない!」

「では質問を変えましょう! モザイク無しでは見れぬ目玉のあの惨状……本人が堅く口を閉ざしております故、一部始終をご覧になっていたであろう坊ちゃまにお尋ね致します!! 自己修復が可能であるから良いような――」


 流石に簡単には引き下がらない老執事とザッバにどう言い訳したものかと考えつつ、幸子は先程感じた違和感の正体を探っていた。

「ニンゲン扱い……ん?」

 思わず、幸子は目をしばたいた。



 ◆



「半人半魔」

 未だ収まりのつかぬ様子の老執事に続き、ザッバが答えた。

「サチコ殿の場合、魔の方が多いがな。人は三分の一あるか……といったところだろう。物理的にもな」

「はぁ……」


「ともかく貴様……サチコ殿は、坊ちゃまの眷属けんぞくとしての自覚をお持ち下さいますよう、くれぐれも、振る舞いには――」

「爺! くどい……」

 端々にネチネチと嫌みを織り込む老執事に、辟易へきえきとした様子でパンダが割り込んだ。

「それから、サチコは我が部屋にすまわせる。よいな」


「なんと――!?」

 赤鬼へと変身しかけた老執事の肩を掴み、ザッバが割り込んだ。

「少し落ち着かれよ! らしくないですぞ?」

 荒々しく鼻息を噴き出し、老執事は居住まいを正した。

「失礼……。少し外の空気を吸って参ります」

 部屋出る老執事を見送り、ザッバは二人に向き直った。


「では、サチコ殿。これより半人半魔となった貴方が注意すべき事をお話致します。お聞き漏らしなきよう……」

「……はい」

「サチコ殿。貴方は人間では無くなった。しかし、悪魔でもない。言い方が悪いが――とても半端なものとなっている。何をするにも、それを念頭にお考え下さい」

「はぁ……」


「お守りや縁起物えんぎものなどは側に置きませぬように。あれらはもう災いしかもたらしません。特に、現世うつしよにおいて神や天使の類い、また、それらと縁のある場所へも近づかぬようにご注意を。下手をすると消滅しかねません。

 しかしながら、基本的に現世での出来事は我々とっては夢のようなもの……現世で絶命しようと問題ありません。夢から覚めるだけだとお考え頂いて差し支えありません」


「しかし!」っと同時に、これまで淡々と話していたザッバの目に力がこもった。

しょくの間は別です。これより、蝕はピークを迎えます。現世の時間にしておよそ三ヶ月。この間、現世での死は本当の死となります」

「……」

「正確には日に一度、逢魔時おうまがとき……。この間、現世での死は真の死となります。努々ゆめゆめ、お忘れ無きよう……」

「……はい」


「ここまでで何か質問はありますかな?」

「特に……」っと言いかけて、幸子は思い出した。

「あれ……以前、坊っちゃまは神様や天使と観光に行ったと……」

「最初に言った事をお忘れか?」

「……半端な……もの?」


「坊っちゃまは純血の悪魔。現世のことわりになど縛られません。しかし、人を残す貴方は別。現世の――人の作りし理の影響を色濃く受ける」

「じゃあ、こっち常世でも……?」

「それは心配召されるな。そこに関してはサチコ殿は特別だ」

「うむ。わが血を受けたのだからな」

 っと、パンダが得意気に割り込んだ。


「魔界において魔王様は絶対の者。理その物と言って過言ではありません。その魔王が血族で有らせられる坊っちゃまの血をたまわったのだ。人間風情がな……天界のいう奇跡よりも遥かに奇跡的な事だ」

「……魔王が血族? 魔王って……あの魔王ですか?」


「様を付けぬかぁぁぁ!!」

 一瞬にして死神の姿となったザッバは雄叫びを上げるが如く叫んだ。


「ヒッ――」

「魔界の絶対者たる魔王様を、半人半魔ごときがァァァ!! 如何に坊っちゃまの眷属といえど分をわきまえぬかぁぁ!! あまつさえ! 貴様は魔王様のご慈悲で生きながらえたのだぞ!! 魔界の絶対者であり、最早貴様の創造主と言っても過言ではないない御方だ!!」


「す、すみません! すみません!」

「分を弁えよ!!」

「は、はい! 申し訳ございません!!」

「カーッッ!!」

 目を光らせ、ザッバはカタカタと顎を鳴らした。


 その時、背後から伸びた手がザッバ肩を掴んだ。

「少し落ち着かれよ、ザッバ殿。らしくありませんぞ?」

 っと、老執事は静かに囁いた。

「失礼……少々取り乱してしまいました。……少し外の空気を吸って参ります」

 部屋を出るザッバを見送り、老執事が二人に向き直った。


「あ、あの……坊っちゃまは魔王様のご子息で……?」

「わが兄上じゃ」

「貴様そんな事も――いや、知った上でよりは……」

 老執事は顎に指を置いて何やらブツブツと呟いていた。

「お父様ではなく……?」

「うむ。兄上じゃ。父上は千年前に死んだ」


「亡くなって……知らぬ事とはいえ申し訳――」

「兄上が食った」

「――え?」

「髪の一本残さず食らい尽くした。だから兄上はれきだい三本のゆびに入る力をおもちなのだ!」

 っと、仁王立ちになったパンダは得意気に答えた。


「ともあれ、ご自分の状態はご理解い頂けましたかな?」

「はい……」

「よろしい。では、眷属としての振る舞を――」

「わが最初の眷属」

 パンダはポフッと幸子の胸に倒れ込み、体を押し付けて幸子を見上げた。

「はじめての眷属じゃ」

「ぼ、坊っちゃ――」

 パンダにむしゃぶりつこうとして――幸子は殺気を感じ踏み止まった。


 プシューっと、頭上を生暖かい風が通り過ぎた。

「では、もうサチコ殿のお加減はよろしいようですので、お荷物の整理をして頂きましょう」

「荷物?」

「そうじゃ。言ったであろう? サチコはわが眷属となったのだ。これからはこの部屋で共に暮らすのだ」


 そう言って心地良さそうに頬を擦り付けるパンダを瞳に写し――飛び去ろうとする理性の尻尾に噛み付いて何とか踏み止まった。

 頭上に感じる生暖かい空気をやり過ごし、辛うじてつくろった顔を上げた。

「で、では、荷物を取りに行きたいのですが……どうやって自宅へ行けばよろしいのでしょうか……?」


「その必要はありません。丸ごとこちらにあります」

「丸ごと……?」

「はい。ザッバ殿が貴方を運んだ際、貴方の部屋とその周辺ごと転移させましたので」

 そう言うと、老執事はくるりと踵を返して幸子を振り返った。

「こちらへ。案内致します――」



 ◆



「威厳だの神秘性だの言ってる場合か!? 自分らの解釈が間違ってたんだーっと思わせてハードルを下げろ!

 は? 違う違う! もっと分かりやすい奇跡を起こせ! 選ばれた者だのっていうんじゃなくもっと身近なやつだ! そうだ! 奇跡はもっと単純に、お手軽に起きるものだと錯覚させろ!!

 こっちだってこれ以上手を抜いたら流石にバレる! 変な深読みをされて、ありもしない作戦を看破かんぱされて面倒なことになるぞ!!」


 球をテーブルに放り、ドカリと腰を下ろした。

 眉間みけんにシワを寄せ、テーブルに浮かぶホログラムのような状況図を忙しなく更新する悪魔達をぼんやりと見つめた。

「……で、あの二人は何処に行ったんだ?」

 呟いた声に、不機嫌が滲んでいた。


「魔王様。失礼します」

「ん? どうした?」

 クラゲの様な悪魔がフワフワと魔王の前に頭を突き出した。

「この件について天界から問い合わせがきております」

 ツルリと光を弾くクラゲの頭に、何やら映像が映し出された。

「ん……? これは人間の――テレビ番組? か?」


 二階の一室がスッパリと丸く切り取られたアパートが映し出され、

『なお、この部屋に住んでいた女性は悪魔を召喚していたとの噂もあり――』

 テロップにチラリと『碓氷幸子(29)』という文字が見えた。

『おかしいと思ってたのよ……毎週金曜日の夜にカップケーキを、二個、買ってたのよ』

『雨の日も雪の日も黒い靴をはいてたねぇ……変だと思ったんだよ』

『少し前まで決まって唐揚げを、二パック、買ってたのよ。きっとアレよ生贄いけにえっていうの――』

「……」


『私、毎朝同じ電車に乗ってたんだけど……あの娘、毎日毎日、必ず同じ席に座ってたのよ。変だと思ったわぁ。きっと悪魔を呼ぶ儀式だったのよ』

『そうそう、眼鏡、度が合ってないのに使ってたんですよ。きっと悪魔を呼ぶ――』

『携帯は何時も左手に持ってましたね。きっと悪魔を呼ぶ――』

『傘も必ず左手で持ってました! きっと悪魔――』

『コップを持つと小指が立――』


 魔王はテーブルに転がした球を拾い上げた。

「魔王ですけど……。さっきは……、うん。ちょっと勢いに任せて……。

 ごめん……猿の方がマシかもしれん。お前等も苦労してたんだな……。

 うん。シナリオを書き直そう。もう一度集まって書き直そう。うん、うん、それじゃ、はい」

 コトリと球を置き、魔王は深い溜め息をついた。

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