奇跡

 目覚めなさい――


 選ばれし者よ――


 男が目を開くと、目映い光の玉が浮かんでいた。


 さあ、起きるのです――


 頭の奥で、声が響いていた。

「だれ……だ……?」


 混沌が世界を満たそうとしています。

 さあ、その光を手に取りなさい。

 聖なる光で闇を払うのです。


 満身創痍の体を起こし、男は光りの玉に手を伸ばした――


 それは手から吸い込まれる様に男の体内へ取り込まれ、湧き上がる不思議な力が全身を巡るのを感じた。


 さあ、行きなさい。

 選らばれし光の戦士よ――



 男はハッと目を覚まし、体を起こして周囲を見回した。

 おびただしい数の食い散らされた死体……途切れること無く響く銃声と爆音。

 夜空を飛び交う曳光弾えいこうだんの光は、全ての星が流れているかのように見せた。

 ふと、幾つかの爆発が見え――火ダルマの残骸が周囲に降り注いだ。


 炎が周囲を照らし出し、奇妙な夢を見る直前の光景が頭の中を駆け巡った。

 現れた巨大な化け物――踏みつぶされる味方の車両――次々と襲いかかってくる異形の怪物――為す術無く食われてゆく部下達――

 その光景が、悲鳴が、断末魔が、頭の一番深い所まで染みこんで――


 男は頭を抱え、うずくまった。

「あ……ああ……そんな……。何故――」

 食い縛った歯は悲鳴を上げ、噴き上がる怒りは巨大な破壊衝動と化して全て支配して行く――

 ――ふと、光が瞬いた。体の奥から溢れ出した光が、全身を巡るドス黒いものを照らし、溶かしてゆく――

 光は全身を駆け巡り、湧き上がる不思議な力を感じた。


「見える……」

 遠くにいる敵が、物陰に潜む敵までも――

「感じる……」

 自分に向けられた、向かってくる殺気を――


 男は素早く飛び退き、一撃をかわすと同時に怪物を撃ち抜いた。

 白い光を帯びた弾丸が怪物を貫き、まるで石像を粉砕したかのように怪物を砕き、塵へと変えた。

 この異形の怪物達と同等――いや、それを上回る身体能力、そして先程の光を帯びた弾丸……。


 さあ、行きなさい。

 選らばれし光の戦士よ――


 男は膝をつき天を仰いだ。

「おお……神よ――」



 ――っという光景を写し出した大きな鏡の前に座り、魔王は怪しく光る球体を手に取った。

「はい。魔王ですけど。

 うん、見てる見てる。俺が想像してたのに一番近いかも。うん、うん。


 にしてもさ、相変わらず容赦ないよね。こういう時のお前らってさ、慈悲から一番遠い所にいるよね。何が何でも皆殺しィィ! って。

 ん? 奇跡とは大きな犠牲と試練の末に起こるもの? それさ、こっち魔界じゃ生贄いけにえって言うんだぜ? ホントずりーよなぁ、お前ら……。


 しかも手間掛けすぎじゃない? あのシチュエーション作るの大変だったんだぜ? 仕込み部隊からのクレームがヤバかったんだから……。


 俺ら悪魔なんてさー、箱開けちゃったとか、祭壇壊しちゃったで即復活とか呪ったりとかできんのに、なんでお前らの奇跡はそんなに手間暇かかるんだよ……。経典読んだらーとか、お祈りしたら即発動で良いじゃん。


 え? 神秘性と威厳を追及する内に、ペラペラだった経典が今や辞書なみ? でもちゃんと経典をなぞったものにしないと後々面倒……? 

 ふうん……。ま、お前らはお前らで苦労してんだな……」


 魔王は手帳をペラペラとくりながら話を続けた。

「んじゃ、とりあえずここはこれで良いのね? で、あと5――え? 4ヵ所に変更? 一人は悪魔崇拝の過去があった? そう……。じゃあさ、そいつこっちで貰って良い? ええー、なんでさー、いいじゃん――」

 

 会話を続ける魔王に一礼し、老執事は部屋を出た。

「さて……坊っちゃまをお探しせねば。一体どうやってお部屋から――」

 ふと顔を上げると、廊下歩くザッバの姿があった。

「ああ、ザッバ殿。坊っちゃまが何処へ行かれたかご存知ありませぬか?」


「坊っちゃま? お部屋にいらっしゃるのでは?」

「それがいつの間にかお部屋を抜け出されて……」

「んん? 先ほどお部屋から声が聞こえておりましたが……」

「なんと、お部屋の何処かに隠れておいでだったのでしょう。お騒がせ致しました」

 丁寧に頭を下げ、老執事は早足に立ち去った。


「……」

 彼の背を見送り、歩き出したザッバはふと足を止めた。

「……もしや」

 ぽつりと呟き、後ろに控える悪魔達へ向き直った。

「ちょっと調べてほしい事がある――」


 一方、噂の本人は――

ボン……。もうまずいですって。絶対バレますって……」

 翼の生えた目玉は、ヒラヒラと周囲を舞いながら涙を一杯に溜めて訴えた。

「もうダメです。もう限界です。そもそも一回だけって約束だったじゃないですか……!

 絶対最初に気が付くのはザッバの旦那ですぜ……想像しただけでもう吐きそう……」


「大丈夫だって」

「もしもの時は、魔王様に助命の嘆願をお願いしますよ? 絶対ですよ!? お願いしますよ!?」

「そんな事よりさ、新しいの貰ったんだぁ。ほら、パンダ!」

 目玉は、得意げに立つ愛らしいパンダをぼんやりと見つめた。


「……よく、お似合いで……。ウッ……ウッ」

「なに泣いてんのさ?」

「何でも無いです……ウッ……ウッ、ウエ」

 その時、目玉の周囲に召喚陣が浮かび上がった。


「あ、きた」

「ダメですよ! 坊! ダ――」

 ぺちんっ、と押し退けらっれた目玉は壁にぶつかり、ふぁさッっと床に横たわった。

 召喚陣と共に消えてゆくパンダの姿が、まるで自分の命のように思えてならなかった。見送る度に、着実に薄く――ふと、横向きの視界にゆっくりと開く扉が映った。


「ふむ……。調べさせるまでもなかったようですね」

 現れた禍々まがまがしい死に神は、床に転がる目玉をギロリと見下ろした。

「ザッバの旦那……」

 


 ◆



 魔王は、鳥かごに入れられた目玉を見つめた。

 目玉は微動だにせず、瞬きもしない。

あいつが飼ってたペットに似たようなのがいなかったか? もうちょっと可愛らしのが……」

 屍の如く、目玉は鳥かごの底に横たわったまま動かない。その瞳は、ここではない何処か遠くを見つめていた。


「死んでるのか?」

 魔王はザッバに視線を滑らせた。

「いえ、まだ・・生きています。走馬燈でも見ているのでしょう」

「ふうん……」

「どういう訳か……何度か召喚を受けたようで、霊格が少し上がっております。外見が変化したのはそのせいでしょう。言葉も話せるはずですが……」


「おい――」

 言いかけて、魔王は老執事とザッバに視線を滑らせた。

 首を振る二人を交互に見つめ、鳥かごに目を戻した。

「おい、目玉。あいつは何処――いや、まず経緯を話してもらおうか。理由の如何によっては、特に処罰の必要はないかもしれん」

 ふと、横たわる目玉に光が戻り、ふるふると震える瞳が魔王を見上げた。

「……お、おそれながら――」


 一方、碓氷幸子宅――

 また用もなく呼び出したご褒美――バツを受ける幸子の姿があった。

 膝の上でカレーを頬張るパンダに全神経をそばだて、乱れる鼻息を必死に誤魔化していた。

「これはうまいな。上野? で食べたのよりもうまい」

「あ、ありがとうございます。あの……上野に行ったことが……?」

「うむ。兄上のぶかと、てんし達とパンダを見にいった」


「なるほど……えっ? 天……使?」

「神様達とスカイツリーを見にいって、昼から上野にいったのだ」

「か、か、神……さま?」

「うむ」

「坊ちゃまは悪魔なんですよね……?」

「うむ」


「じゃ、どうして天使や神様と……?」

「ん? なんだ? 何がそんなにふしぎなのだ?」

 っと、点になった目をしばたく幸子を振り返り、不思議そうに尋ねた。

「だって天使ですよ!? 神様ですよ!? 悪魔の敵じゃ……」

「敵? 何をいっている。戦わせているのはおまえ達だろう?」

「えぇぇ? それはどういう……?」


「『人間の経典に神と記されれば天界の住人となり、悪魔と記されれば魔界へ移り住む。我々の魔界と天界人事権は人間が握っており、我らが戦う事を望むのも人間である。常世とこよ現世うつしよ、表裏一体のこの世界を存続させるために我々はそれに応えねばならない。

 人間に支配されているようではなはだ不本意ではあるが、逆に人間は我々に支配されていると思っているのであいこだ』


 っと、兄上が言うておった」

 そう言って最後の一口をパクリと平らげた。

「……そんな。それじゃ、今世界中で悪魔と戦っている人や……神への祈りは……一体なんの意味が……」


「サチコ、イケニエの代わりをもて」

「――え、あ、はい!」

 代わりを置いた幸子は、おもむろにスプーンを手に取った。

「ん? 何をしておる? それをわたせ」

「いえ、あの……坊ちゃまのような高貴なお方がご自分の手で食事をなさるなど……私の手をお使いいただきたく……」

「兄上とザッバは自分のことは自分でできるようになれ言っておったが……。まぁ、良い。これも無意味によびだしたバツだ。言うとおりに動かせ」


 悪魔?

「サチコ……先をもちすぎだ。これではお前のゆびも食うてしまうぞ」

 天使? 神様?

「どうぞ召し上が――か、かじってしまっても大丈夫ですよ」

 常世? 現世?

「ほれ、指にルーが付いているではないか……」

 えーなにそれーすごーい、すごーい。わたしわかーんなーい。


 碓氷幸子、29才独身。指先に感じた――吸い付くような、暖かい――ぬるりと伝った感触を脳髄に刻み込んだ。 

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