立花 葵

魔界転生編

オープニング

「我は魔王なり」


 それは、突然だった。

 世界中のあらゆる通信に、眠る者の夢に、魔王を名乗る男が現れた。

「これより、現世と魔界は重なり一つとなる」


 その日を境に、世界は歪み始めた。

 伝説や物語に登場する怪物達が各地に姿を現し、世界に恐怖と不安を振りまいた。


「精々あらがうが良い。我を楽しませてみせよ」

 それは日を追う毎に数を増し、魔王の存在を、終末が迫っている事を、世界は身をもって思い知った――


「我は魔王なり。世界を滅ぼす者なり」



 ◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆



 魔王城、玉座の間。

 髭を蓄えた老執事がうやうやしく頭を垂れた。

「素晴らしい演説でございました。魔王様」

「そ、そうか」

 玉座に座る男――魔王を名乗った男は少し照れくさそうに頬を掻いた。


「滅ぼす者……より、主とか――王とかの方が良かったんじゃ――」

「いいえ、そんな事はありませんぞ。若」

 魔王の言葉を遮り、脇に控えた精悍せいかんな男が答えた。

「言葉の選び、見下すような薄ら笑い。素晴らしい出来でしたぞ」

「ありがとうザッバ」

 玉座に座る魔王は、心地が悪そうに尻をモゾモゾと動かした。


「――で、勇者は来るかな?」

「必ずや、現れるものかと」

 そう言って、老執事は再びこうべを垂れた。

「じゃあ、やっぱあそこかな……あの国が送り込んでくるんじゃないか? アメリカ? だったか? 人類最強の軍隊を保有しているそうじゃないか」


「無理難題を強引にねじ込んでしまえる力と影響力を持っているようですし……可能性は高いかと。ただ、自国の人間を使うかはわかりかねますな」

「他にやらせて上手く行ったら自分の手柄……そういう手合いか?」

「そういった可能性もあるかと」

「時に人間は悪魔よりも狡猾こうかつな……変わらないものでございますな」

 と、老執事は溜め息を洩らした。


「祖父の時は、武芸の達人と魔術師の混成パーティーが来たようだが……。現代いまの勇者とはどんな連中が来ると思う?」

「人間は魔法を捨て、代わりに科学を育てたとか……恥ずかしながら、この老いぼれには皆目見当がつきません」


 首を振る老執事の隣で「おそれながら……」とザッバが口を挟んだ。

「今は勇者ではなく、ヒーローという呼称が適当かと……」

「ああ、あれか。映画やコミックに描かれていた連中だな?」

「はい。現代の人間達が思い描く勇者――ヒーローとは、ああいった者達かと」


「ふうん……ま、現実的には暗視ゴーグルにフェイスペイントのパーティーが送り込まれてくるんじゃないか?」

「いえ、それよりも……魔王城に核とやらを撃ち込んでくるのでは?」


「ああ……そうだな。最終手段はそれだろうな……。でもその前に数パーティーは送り込んでくるだろう。天界も奇跡の準備をしてるって言ってたし、何らかの力に目覚めた勇――ヒーローが現れるだろう」

「仰る通り。先々代の防衛マニュアルも確認しておきましょう」


「ところで――現代はどんな報酬を受けとるのだろうな? 祖父の時は、勇者は何処かの国の姫をめとって王位を継いだらしい。パーティーメンバーの一部もその国に仕官したとか……。現代の勇者――ヒーローだったな。は何を受けとるのだろうな?」


「今の人間社会の様子をかんがみますと……」

「やっぱ――金、か」

「名誉というものは、昔ほど珍重ちんちょうされていないようですし……そうなるかと」

 それを聞き、老執事は言葉の代わりにため息を洩らした。


「そういえば……祖父の軍勢を打ち破った勇者は、最後は隣国の工作員に毒殺されたそうだ。パーティーメンバー達もロクな死に方をしていない。まともな寿命を迎えたのはたったの二人だけ。他は暗殺に獄死……自分達が救ったものにことごとく殺されてしまったそうだ」


「人間とはそういうものでございます。狡猾で浅ましく、卑しい……」

「まぁ、そう言うな――」と、顔をしかめる老執事をなだめるように、魔王は言葉を続けた。


「世界を滅亡寸前まで追い込んだ軍勢を、たかだか十数名で退けた。そんな奴が隣に住んでると思うとどうだ? 

 まして人間は、元々富や領土を巡って戦争ばかりやっていたんだ。共通の敵を退けた後、めでたしめでたしでその後も仲良くやっていけると思うか?」


 それを聞き、ザッバは顎に指を当てて呟いた。

「なるほど……個の力を限界まで抑制した――魔法を封じ、科学を育てたのは、突出した者を排除しようとする人間の無意識の総意だったのでしょう。個の能力を平たくならしてしまえば、そのような争い――いえ、他者に脅えなくて良い」

「だが結局のところ、単位が個から国家に変わっただけのようだがな……」


 その時、ふと扉が開き、ウサギの着ぐるみに身を包んだ一人の男児が玉座の間へ滑り込んだ。

 見た目は五歳児に届くだろうか? とてとてと走る彼の動きに合わせ、被ったフードの上でウサギの耳がピョコピョコと揺れていた。クリクリとよく動く瞳を輝かせ、魔王に飛びついた。


「あーにーうーえ~!」

「これ、坊っちゃま! 魔王様は今――」

「良い良い」

 魔王は老執事を宥め、大きなウサギを膝の上で抱きとめた。

「どうした? 我が弟よ」

「神様からです!」

 そう言って、怪しく光る球体を差し出した。


「名前は聞いたか?」

「えっと、えーっと、えっと……えっと……」

「良い良い」

 オロオロと目を潤ませたウサギを撫で、魔王は球体を受け取った。

「代わりました。魔王ですけど――」


 会話を始めた魔王の膝から、老執事がひょいとウサギを持ち上げた。

「さ、坊っちゃまはお部屋へ――」

 しかし、ウサギはすぽん脱皮してその手を逃れた。

 ウサギを脱ぎ捨て、四つ這いで着地した虎ネコは「シャー!!」と毛を逆立てた。


「今度はネコでございますか、それも良くお似合いで」

 目尻を下げるザッパの足に纏わり付き、虎ネコは頭をこすり付けた。

「さ、坊ちゃま。今度こそお部屋に――」

「シャー!!」

「これ、坊ちゃま! 玉座の間で走って――」


 一方魔王は――

「ああ。それは、ほら、えーと……お前の兄嫁の弟と――そうそう、うん。じゃ、そういう事で。

 え? ああ、そっち天界もさ、こっちみたいに一人に絞ったら? お前等数が多すぎてさ、メモ見ながらでも分からなくなるわ……。ん? 一人でも信者が居たら認めなきゃいけない? ああ、そう――」


 話し込む魔王の脇で、老執事が「シャー!」っと飛びかかった虎ネコをひらりと躱して両脇を掴んだ。

「さ、坊ちゃま。今度こそお部屋へ参りますぞ」

 頬を膨らまして暴れる虎ネコを脇に抱え、老執事は部屋を出た――


 彼が玉座の間へ戻ると、ちょうど魔王も話を終えたところだった。

「爺、本格的な攻撃の前に奇跡を起こしたいんだって。お膳立てを頼む。早速ヒーローのお出ましのようだ」

「畏まりました。ところで――」


「分かってるよ……。甘いって言いたいんだろ? 自分でも甘いと思うよ。わかってるさ。

 でも……こうも年が離れてるとさぁ、なんだか自分の子供みたいに思えてさぁー、あいつの笑顔を見てると――ムフッ、ムフフ」

 っと、言葉を発するほどに、魔王の目尻はニヘリと下がり続けた……。



 ◆



 その頃――

 東京、とある安アパートの一室。


 地味を絵に描いたようなメガネ女が、怪しく光る魔法陣を見つめていた。

「なにか用か? ニンゲン」

 ひょこりと頭を突き出した虎ネコの瞳が鋭く光った。


「わ、私の事は幸子さちこと……」

「なんの用だ? サチコ」

「は、はい! あ、あ、あの、特に用がある訳では……ちょ、ちょっとお顔を拝見したく……」

「用もなく悪魔をよび出すとは……きさまは何を考えているのだ? 食ってしまうぞ」

 っと、虎ネコは「シャー!」毛を逆立てた。


「は、はい!! どうぞ召し上がり――も、申し訳ありません!」

 サチコは上気した顔を隠すように額突ぬかずき、モゾモゾと魔法陣を這い出す虎ネコの様子を窺った。

「じつは爺やに閉じ込められてな。ちょうど良いしょうかんだったぞ。――とはいえ、イケニエを貰わないわけにはゆかん」


 虎ネコは腕を組み顎に指を当てた。

「そうだな……このあいだの菓子がいい」

「は、はい! 只今お持ち致します!」


 程なく――

「用もなく悪魔をよびだしたバツだ。わが尻にしかれよ」

 碓氷幸子うすいさちこは、膝に座りカップケーキを頬張る愛らしい生き物に全神経をそばだて、乱れる呼吸を整えた。

 鼻腔を香で満たし、後ろから抱きすくめてむしゃぶりつきたい衝動を必死に抑えた。


「あ、あの……新しい着ぐるみを作ったのですが……」

「うむ。後で着てみる」

「お、お、お着替えは私めにお任せいただき……たく……」

「うむ。任せる」

「は、は、は、はいィィ!!」


 碓氷幸子、29才独身。至福の一時を過ごす――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る