第6話

 こちらのお宅は高い塀に囲まれており、入り口には由緒正しそうな門が設えてある。それだけならば古風なお金持ちの家ととることもできるだろうが、どこもかしこも監視カメラが取り付けられていて異様な光景となっている。それによく見てみたら、高い塀の上には有刺鉄線があり、侵入者を断固として許さない体制がありありと伝わってきた。




 ザ・ヤクザって感じだな……。




 そんなところへ、ド派手なクソデカトラックの俺とヤクザ御用達なデザインの黒塗り高級車が現れたもんだから、見張り役と思しき男はずっと怒り狂っている。




「邪魔なんじゃああデコトラ野郎があああ!!」




『あ。中田さんだ!』




『顔見知りなのか?』




『うん。いい人だよ。お父さんが忙しいときは代わりに私の病室まで来てお花を持ってきてくれたんだ。普段はお花屋さんで働いてるんだって』




 あのルックスで花屋? それだとお客も寄り付かないんじゃなかろうか……。しかし、一部の葬儀屋や花屋はヤクザと蜜月の関係となっているという噂もあるしなあ。ネットで得た知識なんで、本当かどうかは曖昧だが。




『中田さん、怒ってるなあ。なんでだろ? それに、前に会ったときは後ろのほうだけ髪があったけど、イメチェンかな』




 それはね、たぶん残りの薄ら寒い髪の毛に見切りをつけて全部切っちゃったんだよ。ヤクザ屋さん的にも、中途半端ハゲよりもオールハゲのほうがカッコもつくからね。




「おんどれら何しに来とんじゃ!? ぶっ千切るぞッ! 羊の毛刈りみてえに髪の毛まるごとむしり取られてえのか!」




 頭髪への攻撃オンリーかよ。私怨丸出しじゃねえか。あと切るのなら枝の剪定だけにして下さい!




 しかし俺も蜜柑ちゃんもこんな身体だ。意思表示なんて出来るはずもない。それに相手はヤクザ、こちらが無人で動くクルマと知れたら、どう出てくるか予想もつかない。蜜柑ちゃんには悪いが、ここはとっとと退却したほうが良さそうだ。




 と、そんな最中。見張り役の中田さんに声をかける人が現れた。




「うるせえな。どうしたんだ、何かあったのか」




『あっ、お父さんだ!』


『え。あの人が?』




 見た感じ、清潔感のある渋いおじさまといった雰囲気だ。スーツ姿でメガネをかけており、サラリーマンにも見えなくもない。しかし常人離れした目つきの鋭さが垣間見えるのでやっぱり怖い。昔ながらのヤクザというよりもインテリヤクザっぽい人だと思った。




「兄貴ぃ! おかしなクルマが目の前にいるんですよ!」


「見りゃ分かるよ。それで? 向こうは何かしてきたのか」


「いえ、それは……」


「じゃあ黙ってろ。問題あるか?」


「いっ、いえ!」


「分かったらこの場は俺に任せろ。何とかしておくから、お前は引っ込んでな」




 睨みをきかせると、中田さんは身をすくめてどこかへ行ってしまった。




 蜜柑ちゃんのお父さんは俺たちを一瞥した後、急にタバコを吸い出した。今すぐどうこうするつもりもないなら、とっとと逃げ出すか? しかし、肝心の蜜柑ちゃんが付いてきてくれるか心配だ。




 そんなことを考えているうちに、お父さんは一服を終えてしまった。ちなみに吸い殻はきちんと携帯灰皿に仕舞っている。模範的な愛煙家だった。




 それから、何かを気にするように辺りを見回している。周囲に誰もいないことを確認したお父さんは、塀に寄りかかったまま俺を睨めつけた。




「おい」




 低音の声が響き渡る。それは明らかに、俺に対して発せられていた。




「ここはカメラの死角だ。誰もいないうちに、とっととやってくれ」




 ……おい。まさか。




「頼む。俺を轢き殺してくれ」














 蜜柑ちゃんのお父さんはこう続けた。




「お前みたいな無人のトラックに轢かれて死ねば、生まれ変われるんだろ? 来世も選び放題って話じゃねえか」




 こんなヤクザの人にまで、あの都市伝説が蔓延していたのか……。




「もう娘は……蜜柑は、居ない。だからとっとと死んで、次は蜜柑が死なない世界で第二の人生を歩む」




 独白を続けるお父さん。それを見てか、蜜柑ちゃんも口を挟もうとはしなかった。




「あの子は死んだ女房の忘れ形見なんだ。俺に多くのものを与えてくれた。けれど、俺は何も、もう何も……ッ!! 生きていたってどうしようもないんだッ!!」




 『生きていたってどうしようもない』。引きこもりの俺が出した結論と同じ言葉が、こんな人の口から出るなんて。




『お父さん……。ごめんね、ごめんね……』




 蜜柑ちゃんから漏れ出た言葉は、謝罪だった。優しい子だと思う。けれどその言葉は、お父さんに伝わることはない。互いの言葉は一方通行で、決して重なることはなかった。




 それに俺としても、このままお父さんを轢いてしまうのは躊躇われる。




 引きこもりのニートだった俺が、他人様をどうこう言うのはおこがましいかもしれない。何せ相手は極道の人間。俺とは目線が何もかも違うんだ。




 決して交わることのない目線か……。




 思い出す。親戚のおじさんが俺の首根っこを掴んで罵声を浴びせた、あの日。




『もういい! とにかく外へ出ろ! 引きこもってちゃ、何も始まらんだろうが!』




 おじさんはそう言って、嫌がる俺を無理矢理に外へ連れ出したが、結果何も変わることはなかった。むしろ、余計に外が怖くなった。俺は何も変わっちゃいないのに、周囲の風景はすっかり様変わりしているのを見たから。その揺るぎない事実を突きつけられて、ただただ死にたくなった……。




 あの日のことは鮮明に覚えているし、思い出すたびに腹が立って仕方がない。




 相手の気持ちを汲まずに、ただ自身の感情をぶつけるのは害毒でしかない。物知り顔で説教をする方は善行をした気分にはなるだろうが、された側はとんだ被害者だ。




 だから……物理的にも精神的にも意志の疎通がかなわない今の状況も、悪くはないのかもしれない。少なくとも、知った風な口を利いて相手の心を踏みにじることは無いのだから。




 しかし、そこまで分かっていても。




 俺は、蜜柑ちゃんのお父さんに伝えたかった。




 生きて、生き延びてくれ、と……!




 そばにいる蜜柑ちゃんは、お父さんが早死にすることを望んじゃいない。辛くても、元気に毎日を過ごしてほしいと思っているはずなんだから。




「おい、お前……。それ、怒っているのか?」




 蜜柑ちゃんのお父さんは妙なことを言い出した。怒っている? 俺が?




「毘沙門天サマのお怒り、か。なるほどな」




 そうか。そういうことか!




 このデコトラには、憤怒の形相を浮かべる毘沙門天と、穏やかな表情をした弁才天が描かれている。




 俺が意識的にか無意識的にか、毘沙門天が描かれた側の電飾を光らせていたんだ。それが、お父さんには「怒っている」ように見えたんだろう。




「死ぬなんてバカなこと考えるな、と。まさか、お前はそう言いたいのか?」




 これは、いけるかもしれない……!




 俺は毘沙門天の電飾を消し、今度は弁財天を光らせる。




「おいおい、次は弁才天サマかよ! まさかこのデコトラ、俺の言葉に我慢ならねえって言うつもりか?」




 よし、通じたぞ! 乏しい手立てではあるが、他人との意思疎通の方法が見いだせた。




「んだよ……。言いたいことがあるなら車から降りて自分で言えや! いや、こいつは都市伝説に名高い『桃源郷行きの無人トラック』なんだったか? 未だに信じらんねえが」




 デコトラの運転席に誰も乗っていないことを確認するお父さん。そのまま、ドアを開けようとする。




「どうなってんのか中を拝見……っと、さすがにロックはかけてるか」




 さすがに中にまで入られるのは怖いからな。ずっとロックはかけたままだ。極力素性を知られないよう扉は閉めたままで……。




 がちゃり、と近くでドアの開く音がした。




「お? なんだ、デコトラのツレが話を聞かせてくれるってか。ちょっと失礼させてもらうぜ。」




 お父さんがセンチュリーに乗ったとたん、扉が閉まった。そしてその場を走り去ってしまった。




 蜜柑ちゃん、どういうつもりだ!?

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