それが、魔女の願いであれば

『あなたは自分を過小評価していますね。もう少し、胸を張ったっていいんですよ』

「胸を張る?大切な妹分の命を秤にかけて、自分は安全なとこでのうのうと見てただけのやつが?サイテーだろ」


 アウルの言葉を聞いてムキになって飛び出した、己に向けた毒づきは、けれど、思わぬ返事にそれ以上を阻まれる。


「――ええ、最低ね」


 背後から聞こえたその声。聞き間違えるはずもない。背筋が凍るのを覚えた。どこから聞かれていたのだろう。振り返ることが、出来ない。


 箒で移動出来るキンスは、足音なくこの場に近付くことが出来る。人の脚と箒では、天と地ほどの速度差がある。分かっていたからこそ先を急いでいたのだが、それでも少し遅かったようだ。


「あなたがそんなに卑屈だなんて思わなかったわ、ヴァン。人のこと、言えないじゃない」

「……うるせ」


 精一杯、普段通りに返そうとしてそれだった。対するキンスが普段と変わらぬように思えるのは、そう思いたいからなのか、実際にそうなのか。今のヴァンには判断がつかない。


「所詮その程度しか、私はあなたのことを知らなかった、ってことかしら。それはそれで癪ね。あなたは私のことを、こんなにもよく理解していたというのに」


 その言葉は、まるで毒のようだった。ああ、なるほど、確かにキンスは魔女だと心から認識をする。言葉の節々に宿る、温情に似た何かが染み渡っていた。


 けれどもヴァンは顔を上げることが出来ない。前を向くことなど出来なければ、キンスに視線を遣ることも出来ない。その資格がないとまでは言わないが、その勇気は失われてしまっていた。


「お前には、知られたくなかったんだよ」


 絞り出した言葉。しかし紛うことなき真実だった。だからこそこうしてコソコソと、夜逃げのように逃げ出そうとしていたのだから。


「そう。でも私は、知ることが出来て良かったわ。今後何かが起きたとき、誰を警戒すればいいのかよく分かったことだし」

「茶化すなよ。幻滅しただろ。お前の命を勝手に賭けたんだぜ、俺は」

「ええ、聞いたわ。ココに王子の力が使えなければ、私はあのまま眠ったままだったらしいわね。そんな力がある、ってこと自体、私たちの知るところではなかったのだから、賭けにしてはかなりの大博打だったと私も思うわ」


 それだけではない。キンスが追い詰められ、呪いのりんごではなく毒入りのりんごを口にして、普通に死んでしまっていた可能性だってあった。何もかもが綱渡りなのだ。それら全てを乗り越えた今だからこそ、その危うさを再認識できる。


「けれど、賭け事の嫌いなあなたのことだもの。きちんと計算した上で、可能性の高い方に賭けていたのでしょう?それとも、そう思う私の目が節穴なのかしら」

「それは……」


 言葉を濁す。自分で口にすればただの言い訳にしかならないような、そんな話。


 死ぬことを怖がるキンスが、誰かを殺すような道具を作れるとは思えなかった。

 王子が王子である以上、魔女が魔法を使えるように、何らかの特殊な力を有している可能性は高かった。

 それが、ヴァンの見解だったのだ。


「なら、いいじゃない。あなたの大嫌いな賭け事に、あなたはしっかり勝利したのよ。アウルの言う通り、胸を張っていればいいのではないかしら」

「…………俺は……」

「……ああ、もう。鬱陶しいわね」


 そんな言葉と共に、俯く視界に鮮烈な赤が飛び込んだ。白い髪、白い肌、黒い服。明らかに色素の足りない少女の中で、とびきりに美しい色を放つ赤い瞳が、ぬっと自分を覗き込んでいた。思わず目を剥いた。たたらを踏む。


「ヴァン。あなたは私の言うことだけを聞いていればいいの」


 紅い双眸は、真っ直ぐにヴァンを射抜く。そしてその言葉もまた、確かにヴァンの胸を貫いた。


「私が助けて欲しいと言ったから、あなたはあなたの思うように私を助けた。ただそれだけのことでしょう?」


 冷たい声音は、確かに苛立っていた。抑揚の薄いキンスであったが、だからこそ、その感情の機微には敏感に気を配ってきた。

 だから、分かる。今、キンスは少し怒っている。


「その経過が気に食わないのなら、次の私のお願いを聞くときに、悔いのないようにやりなさいな。出来ないなんて、言わせないわよ」


 さあ、どうするの。冷たい瞳が真っ直ぐにこちらを見つめる。この瞳が恐れられる、そんな未来もあったのかもしれない。けれどミラに勝った今、生真面目なアウルはきっと約束を守ってくれる。

 キンスの未来は、運命は、変えられた。


「……適わねぇなあ」


 魔女に睨まれた少年の言葉では決してないだろう。けれど自分はただの少年ではない。狩人であり、魔女の願いを叶える手足でもあったのだ。


「当然ね。ヴァン風情が、たった1度私やアウルを出し抜いたからって、調子に乗るからよ。こうして2人ともに見つかって、いい気味ね」

「そこまで言うか」

『私もそう思います』

「雑に便乗してねぇかそれ!?」


 なんだろう。踏んだり蹴ったりな気がする。けれどもそうだ、自分はこういう役回りだった。ここ暫く、思う以上に気を張りつめていたらしいことを知る。

 そんなこと、こうなった今キンスたちにはバレバレだったのかもしれないが。


「さあ、帰るわよ。ココとウィットと、ミラが待ってるわ」

「それ、命令?」

「あら、心外ね。私はあなたに命令したことなんてないわ。『お願い』よ」

「意味一緒だろ、それぇ……」


 げんなりと吐いた言葉と裏腹に、心は軽い。ようやくキンスの目が覚めたことを、素直に喜ぶことができるようだ。

 己の薄汚さに怯え、真っ先に喜んでやれなかっただなんて何とも格好の悪い話ではあったのだが。


「……おかえり、キンス」

「何言ってるのよ。おかえりはあなたの方でしょう。言葉は正しく使う事ね」

「あー、はいはい。ただいま帰りました、キンスサマ」


 そう言うとジト目で睨み上げられた。おお怖いと震え上がってみせたりと、いつもの調子も完璧に取り戻す。


 帰ったら、今までとは違う『未来』が待っている。いろんな綱渡りをしたけれど、結果としてみんなで掴み取った未来だ。

 ようやくそれを実感しながら、アウルを肩に乗せ手も繋がずに、キンスとともに歩き慣れた森の道を辿って行った。


 筋書きに約束された幸せでも不幸せでもなく、何が起こるか分からない、真っ当な人としての道をようやく歩み出すことが出来たその最初の日は、やっぱり気持ちのいいほどの青空だった。

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