トロイメライ
死にたくないと、思っていた。
幼い頃から見る夢の中で、私は何度だって死んでいた。
痛いも苦しいも分からない、そんな夢の終わりに、必ず私は『死にたくない』とそう思う。そうやって私は、悪夢から目を覚ましていた。
だから、『死にたくない』のだと思っていた。この未来への不安や、運命への呪詛の根幹にあるものは、死への恐怖なのだと思い込んでいた。だからこそ抗おうと思っていたし、幸福に生き延びたいと切望をしていた。
それが、誤りだと気付いたのは、今朝の話だ。
私は死にたくないのではなかった。ただ、殺されたくなかったのだ。殺されるからには理由がある。悪を成すから殺される。救いたいものの邪魔になるから殺される。道を踏み外したから、殺される。
私を殺す相手は、あのココだ。
どれだけの失望を重ねて、ココが私を殺すことになるのだろう。ココを失望させるにあたって、どれだけの悪事を私は働くのだろう。
いや、その量などきっと問題ではない。ココはきっと、私が道を踏み外したならば、私を止めるためにと刃を振るうことが出来る。私の死という責任を背負ってでも、友達である私の歩みを止めようとしてくれる。
けれど私は、ココを殺すことなどできないのだろう。魔女の弱点は王子なのだ。あの明るく無邪気なココに手を下す程に堕ちてしまうのならば、それはもう私ではない。ただの、『悪い魔女』なのだ。
どうして私は魔女に生まれたのだろう。何度でもくりかえしてきた問いは、やはり同じところに帰結する。
もしも私が姫だったならば。幸せな未来が、約束されていたのだろうか。
ココの語る物語を思い出す。お姫様と王子様は結ばれて、めでたしめでたし。そう終わらない話だってあるけれど、ココはそういう話が好きだった。
最後に聞かせてもらった話は何だっただろうか。ココが特別に好きな話のうちの、ひとつなのだと言っていた。
いばら姫。そうだ、いばら姫だ。
最後には、王子が姫を口付けで目覚めさせる、とてもとても、ロマンチックな物語――
視界が、やけに眩しかった。窓から入る日差しのせいだと理解する。そういえば、今日はとてもいい天気だったように思う。
「……あ」
傍らで、ココの声がした。眩しさにくらむ目でそちらを見ると、何だか泣き出しそうな顔がそこにあった。
「おはよう、キンス……っ」
感極まったようなその声に、全てのことを思い出す。ああそうだ、自分はりんごを齧ったのだ。
ミラとの勝負への最終手段にと、夜中に作り上げていた呪いのりんご。食べたものは死にはしないとそれだけを免罪符に、とても恐ろしいものを作り上げてしまった。
一生目を覚まさないのならば、死んだも同然ではないか。……おかしい。自分は確かに、死んだはずなのに。
勝負に負け、また怯えて暮らすようになるくらいならばと、自ら死を選んだはずなのに。
「……もしかして、心配を、かけたかしら」
ようやく捻り出せた言葉はそれだった。我ながら、もう少しマトモな言葉はなかったのだろうか。けれどもココは嬉しそうに微笑んで、
「ううん!起きてくれたから、もう大丈夫!」
その言葉が、全ての答えのようだった。思わず、本当に思わず、くすりとキンスは笑みを漏らす。
「ごめんなさいね。……ありがとう、ココ」
何となく全てが腑に落ちた。いや、考えなければならないこと、知らなければならないことは、今もたくさん残されている。
それでもきっと、今こうして自分が目を覚ますことが出来たのは、ココのお陰だ。それだけは何となく理解ができた。
礼を告げると、ココは嬉しそうに笑った。そしてベッドに飛び込むように、抱き着いてくる。
「もう絶対、こんなことしないでね!」
「……ええ、約束するわ」
その頭をまた撫でながら、人知れずキンスは、また薄く微笑んだ。
よく晴れた青い空から、暖かな光が降り注ぐ。満月ばかりを気にしていたけれど、晴天もまた悪いものではないと、キンスはそう感じていた。
『よう、お楽しみ中のところ悪いなァ』
「あーっ!!ほんとに起きてる……じゃない!離れなさいよ!!」
突然の声。驚いたココが飛び退いた。ベッドの上からその姿を視認して、キンスは思わず表情を引き締める。
階段を上ってきたのはウィットだ。その手にはカップがひとつ。中身が入っているようで、おっかなびっくり運んでいる。
「……騒がしいわね、早々に」
「当たり前でしょ!心配かけて!いきなり倒れてんじゃないわよ、ばか!」
かなりストレートな罵倒を受けた。返す言葉もない。寧ろあまりにも直截だったので、言葉を失ってしまった。彼女は彼女で、自分が眠っている間に心境の変化があったようだ。
「……あなたにも、心配をかけたのね」
「かけてないわよ!!」
「ウィット、今自分で……」
「ココは黙ってて!!」
気の抜けるやり取りに、肩の力も抜けた。ココが大きく笑いだし、つられてまた頬が緩みそうになる。
「な、なによぅ」
けれど、顔を赤くするウィットの他に、新たな人影が見当たらないことに気付くと、突然にその気も失せた。
「ねえ、ヴァンは?どうしたのかしら」
「あれ、ほんとだ」
きょとんと追従するココを見るに、ココも今気付いたようだ。訊ねられたウィットはというと、少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
『ヴァンなら、出てったぜェ』
ウィットの手の中のカップから、声がする。
もう少し、考えなければならないこと、知らなければならないことがある。キンスはその言葉で、またそのことを思い出した。
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