5日目 B - 本当に望んだもの

鏡の妖精

 ヴァンとアウルが駆けつけたとき、真っ先に目に入ったのは、立ち尽くすウィットの背中だった。その小さな背中が脳裏に焼き付いているのは、それだけ重いものを背負ってしまったからなのだろうか。


「キンス!!キンス、起きて!!キンス!!」


 ココが大きな声で呼びかけていた。その傍らには白髪の、黒衣の魔女が倒れ込んでいる。印象的な瞳の赤は瞼に覆われ、代わりに傍には真っ赤なりんごが転がっていた。


「……ココ。落ち着け」

「だってっ……!!」


 ウィットの隣をすり抜けて、ココの背を抱く。強い狼狽と今にも泣き出しそうな声音。聡い子だ。きっとキンスがただ眠っているわけじゃないことには気付いている。キンスの胸は上下せず、その唇からも吐息が漏れることはなかったのだから。


「いいから。……取り敢えず、一度ベッドに運ぶ。それでいいな?」

「…………」


 押し黙ったココを横目にキンスを抱き上げる。お世辞にも重いとは言い難い体躯を、7つ並んだベッドの1番奥、窓際の定位置へと運んだ。途中で白梟の金の視線を感じたが、いっそ清々しく無視してみせた。


 そうして、無事キンスをベッドに寝かせ、方々がようやく落ち着き始めた頃、久方振りにキッチンに立ったヴァンは、トレイに全部で3つのカップを載せて、寝室へと戻ってきた。


「ほら、ココ。飲むか?ホットミルクだ」


 ウィットの姿はそこにない。1階の隅で縮こまっていたのを確認したので、同じくミルクを渡しておいた。けれどココだけは、キンスの傍を離れようとしなかったのだ。

 ウィットがこの家を訪れた時と似ているなと思った。違うことがあるとすれば、ベッドの上の少女が呼吸を止めてしまっていること程度だ。


「……ありがと、ヴァン」


 ココはだいぶ落ち着いたようだった。その傍らには白い梟が鎮座している。ココのことを宥めてくれたのか、それともココが自力で落ち着きを取り戻したのか、定かではなかったけれど。


「それ、ヴァンとアウルの分?」

「ああいや、確かに1つは俺のだが、もう1つは違うぜ。『鏡の妖精さん』を呼ぼうと思ってな」

「妖精さん?」


 温かいカップを手にしたまま、ココは首を傾げる。アウルの方は、まるで置物にでもなったかのように、キンスのことを見つめていた。


「そ。妖精さん。少し口は悪いけどな。なあ、ミラ」


 呼びかけると、残されたカップ――中には水が入っている――の中身が僅かに揺れた。影のようなものが映り込み、言葉を放つ。


『口が悪ぃは余計だぜ、ヴァン』

「…………」


 ココは少し驚いた様子だった。トレイの上のカップの中を覗き込み、何度か瞳を瞬かせる。


「……鏡の妖精さんだから、ミラ?」

『おい、やめろ。名付け親はキンスだぜ。名付けのセンスがねェんだ、あいつには』


 まるで気に入っていないかのような物言いに、肩を竦める。何だかんだで気に入っているということを、ヴァンは知っているからだ。


「アウルと同じ、森の管理人みてぇなやつだ。まあ、何だ。こんなときにアレなんだけど、仲良くしてやってくれ」

「うん、分かった。よろしくね、ミラ。ぼくはココだよ」


 そう言ってココは笑うが、どこか力なかった。まあそりゃそうかと他人事のように考える。そこでようやく、アウルが口を開いた。


『悠長なものですね、狩人。あなたは今の状態が理解出来ているのでしょうか』


 だいぶ手厳しめな言葉だ。意図せずはは、と苦笑が漏れる。


「それがあんまり。だからあんたら2人に揃ってもらったんだぜ、アウル、ミラ。俺やココにも分かるように、説明をしてくれねぇか?」

『ふん、お前にしちゃァ殊勝じゃあねェか、ヴァン。いいぜ。俺が説明してやろう』


 こんな状況だというのに、ミラの声音は楽しそうだ。こういうところがキンスの神経を逆撫でするのだと、ヴァンはしみじみそう思った。

 けれども、今は口を挟むべき場所ではない。何より余計なことを言って気分を害された方が面倒だ。黙っておくことにする。


『キンスは呪いのりんごを食ったんだ。死んじゃいねェが生きてるとも言えねェ。呪いを解けば目ェ覚ますこともあるだろうが、まあ放っておいて起きることはァねェだろうな』

「呪いの……りんご……」


 ココの視線がキンスに落ちる。死んではいない、という事実に少しほっとしているように見えた。


『驚いたぜ。こいつは死にたくねェと思ってると思ってたからな』

「……死にたくないんじゃなくて、んだろ」

『ほう。おもしれェことを言うな、ヴァン。そこんとこ、もう少し詳しく――』

『ミラ。おやめなさい』


 苛立ったようなアウルの声が飛んだ。当然だ。間違いなく今ミラは、『誰に』殺されるのかの話でもうひと悶着起こして楽しもうとしていた。

 俺はいつもおもしろい方の味方だ。それは、ミラの口癖ではあったけれど、些か悪趣味であるのも確かだった。


「……あれ、ヴァン、どこか行くの?」

「ウィットの様子を見てくる。ココはキンスの傍にいてやってくれ」


 立ち上がり、下階へと向かう。結局自分のホットミルクもほとんど口にしなかった。

 何だかんだ、現状が堪えていることを知る。意外な話だと自ら肩を竦めた。

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