赤く、とても魅力に満ちた

 ぞわりとした。その名で呼ばれるのは、お城の中だけでの事だったから。


「スノウ、ホワイト……。何であんたが、その名前を知ってんのよ」


 雪のように白く。胎内に宿る我が子に尚早にもそんな名付けをした母親は、姫を産むとすぐに命を落とした。生まれた姫の肌は浅黒く、お世辞にも『雪のよう』だなんて形容できるものではなかったのだけれど、その名だけは形見として残ってしまった。

 だからウィットは、その名前をどう扱えばいいのか、分からなかった。


「SNOW “WHIT”E。すぐに分かったわ。皮肉な話ね。その名を冠するに相応しいのは、まるで私の方のよう」


 淡々と抑揚なく告げられた言葉に、思わず噛みつきそうになる。けれど事実だ。雪のように白い肌。白い髪。この世のものとは思えないほどの美しいこの魔女が、その名を冠していたならば、果たしてどれほど様になっていたことだろう。


「質問に答えなさいよ。ねえ、何であんたがその名前を知ってるの」


 思い切り睨めつけたのは、この得体の知れない状況への解が早く欲しかったからだ。このログハウスに来て、ウィットは誰にも本名を名乗ったことがない。ココにすら、名乗っていないのだ。


「そう。そうやって周りを警戒することしか出来ない。哀れな子。だけれどあなたは運がいいわ。だってあなたは、『姫』として生まれたんだもの」

「なに、何言ってんの?」

「……何を知らずにいても、幸せが約束されているんだもの」


 てんで話が噛み合わない。やはりキンスの様子はどこかおかしかった。1歩、歩み寄る。不安もあったが、少しずつ、キンスを心配してこの場を訪れたのだという状況を思い出し始めたのだ。

 キンスは様子がおかしくなったのは、今朝の話からだ。


「ど、どうしたのよ、キンス。大丈夫?」

「……どうもしていないわ。ずっと思っていたことよ。あなたが私を嫌っていたように」

「あたしは……」


 ココに好かれるキンス。そのくせココの相手をしないキンス。

 確かに嫌いだ。大嫌いだった。それは今更覆せない。


「安心なさいな。あなたは正常よ」


 まるでこちらの心を読むように、キンスはそう言った。バツが悪くなったウィットは唇を噛む。

 自分がそれだけ敵意を露わにしてきた事実が、ただただ浮き彫りにされた気がした。


「魔女は、嫌われ者なのよ。姫に災いをもたらし、王子に倒される。そういうものなのだから」


 全てを諦めたような声。抑揚なく冷たいいつものキンスのものに違いはなかったが、何故かそういう印象を受けた。


 もしかしたら、普段の彼女もそうだったのかもしれない。他人を拒絶していたのではなく、好かれるはずがないと諦めていたのかもしれない。そう、感じさせた。


「そ、そんなの物語の中だけじゃない」

「……あら。じゃあ、試してみるかしら」


 形のいい唇でそう嘯くと、キンスの手にはいつの間にか赤い果実が握られている。艶のある、新鮮そうなりんごだ。懐に忍ばせていたらしい。それを、差し出すように、こちらに伸ばす。



 まるで魔法の言葉のようだ。怪訝に思う自分はいるというのに、受け取らないという選択肢を感じさせない。

 あのりんごはきっととても美味しい。朝食を済ませて程ないというのに、口にしたくて仕方がない。果たして自分はそんなに、りんごが好きだっただろうか?


「――ああ、けれど」


 1歩。りんごを受け取ろうとウィットが歩を進めたその刹那。


「おすすめは、しないわ」


 やけに冷たく、その言葉が響いて。

 キンスはりんごを差し出すのをやめ、そのまま、その果肉に齧り付いた。


 どさり。


 そうして、ウィットには何が起きたか何一つわからぬまま、7つのベッドが並ぶその寝室に、キンスは倒れ伏す。

 ころりと、その手から、僅かに欠けたりんごが転がり落ちた。

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