4日目 - 発展

オデット

 目の前に拡がる、大きな湖。ヴァンに連れられ、翌日、ココとウィットはそこに訪れていた。


「うっ……わぁーーー!!すごい!すごい、すごい!」


 年相応にはしゃぐウィット。元の素材がいいからだろうか、その姿はまるで、湖の妖精のようだった。湖面がきらきら反射する。その光を背景に、楽しそうにくるくると、その小さな身体を翻していた。


「お気に召したようなら何より」


 くつくつと喉でヴァンが笑う。その隣から、ココもニコニコと笑顔を向けるのだ。


「すごいよね。綺麗だよね。おっきいしね!」

「うん、すっごくきれい!なんか、オデットが住んでそうな、素敵なところね、ココ!」


 踊るようにはしゃぎ回るウィットだったが、ココの言葉に回転をやめ、こちらへ向き直る。遅れてふわりとスカートが揺れた。


 その言葉に、ヴァンが首を傾げる。


「オデット?」

「白鳥の湖だよ。悪魔に白鳥に変えられた女の子の名前が、オデットなんだ。夜の間だけ、人間の姿に戻れるんだよ」


 当然、ココは知っている。悲劇だから、あんまり好きではないのだけれど。


「ふうん。てことはウィットも、そういうの好きなんだな。読書とか」

「違うわよ。あたしが知ってるのは、バレエの方。そもそもバレエ音楽なのよ。白鳥の湖は」


 つんと、睨むような視線がヴァンに向く。


 昨日のキンスとの云々を経た結果、一つだけウィットには変化が生まれていた。今までは、ココの後ろに隠れて対話を行おうとしなかったウィットだったが、こうしてつっけんどんではあるものの、ヴァンと会話をしてくれるようになったのだ。

 キンスとは、今朝も会話を交わしてはいなかったけれど。


「ウィット、よく知ってるね」


 もちろんココも知っていた。白鳥の湖はバレエ作品だ。だが、実際に観覧したことはない。劇団が、国にないのだ。


「うん。……まあね」


 照れたように頷いて、ウィットはそっぽを向いた。一体どこで知ったのだろう。ココは少し不思議になったけれど、家出と思しきウィットにそのことを訊ねるのは憚られた。


「あのね。ヴァン。白鳥の湖には、すっごく綺麗な湖が出てくるんだ。白鳥が何羽も泳ぐ、ほんとに綺麗な湖で。でもその白鳥たちはみんな、悪魔の呪いで白鳥に姿を変えられた、女の子たちなんだ」

「はーん。んでその中に、オデット? がいるってわけか」

「うん。その湖のイメージに、この湖がぴったりなんだ」


 説明しながらココも、確かに、と思うのだ。目を閉じて、想像してみる。


 夜の湖。月の光を水面に映し、何人もの女の子の姿。

 夜の時間だけ、呪いは解ける。そしてその女の子達の中、一際美しい佇まいを持つ、オデット。


「……ヴァンも読んでみたらいいよ。白鳥の湖。……ただ、ぼくの童話集には、載ってないんだけど」


 仕方がない。童話ではなく、バレエなのだから。城の書庫には、蔵書されているのだが。


「おうおう、まあいつか、な」


 にかりとヴァンが笑う。さてと、とそして、周囲を見渡した。


「んじゃま、自由行動だな。俺ここに居るから。目の届くとこにいてくれよな」

「はあい!」


 返事をすると、待ちかねた、とばかりにウィットが手を引いた。


「行きましょ、ココ。あたしもう少し、湖を近くで見たいわ」

「あはは、うん、分かったよ」


 ぐいぐいと強い力で引かれれば、ココも笑顔で駆け出した。


 湖の畔。

 ゆらりと揺れる水面。

 そこに一瞬映った影は、しかし、ココとウィットが駆け寄る前に、掻き消えるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る