ミラ
箒に乗るほどの距離ではない。そう判断した2人が徒歩で訪れたのは、ココを連れてきた、あの湖だった。
「……んで、何の話だよ?」
その水辺に立つキンスへ問いかける。そう言えばあの日、ココが選んで座り、食事をしたのもあの辺りだったか。2人はどこか、似ているのかもしれない。
「1つ謝るわ、ヴァン」
「は?」
「『話がある』のは、あなたにじゃないの。あなたには、立ち会ってもらいたくて」
「……それって」
キンスは、湖面を見つめていた。そして、呼びかけるように、口を開く。
「――いるんでしょう、ミラ。たまには、私の呼び掛けにも応えなさい」
周囲には、キンスとヴァンの他には誰もいない。ただ呼応するように、ザワと木々が揺れるだけだ。いや、木々はただ、風に呼応しただけか。
しかし、そんな風とは明らかに、違う動きがあった。
ゆらり、と。揺らめいたのは、キンスの見つめたその湖面だ。キンスの姿と、傍らに立つヴァンの姿が映っていた。しかし、それが唐突に、掻き消える。
『……何だァ? 応えなさい、とはまた、エラく上から来たじゃねェか? なァ、キンス』
「……応えてくれて、感謝するわ」
声が聞こえる。揺らいだ湖面、本来なら映るはずだった自分たちの姿の代わりに、影としか言いようのない、何かの影が映し出される。
殆ど社交辞令に近い、キンスの謝辞に呼応するように、その影はニヤリと蠢いた。
『まあいいぜ? んで、何だ? 急に呼び出したりして、さァ』
「とぼけないで貰えるかしら。……『あの娘』、一体どういうつもりなの?」
単刀直入。思わずヴァンも冷やついた。駆け引きをしろとは言わないが、もっと他にあるだろう。こう。
『ハハッ、いや何、俺からの「プレゼント」と思ってくれればそれでいいぜ。役者は全員揃った方が面白いだろう?』
笑い声。機嫌がいいなと、そう思った。それはいいことなのか、悪いことなのか。少なからずキンスの表情を見るからに、彼女はあまり風向きが良くないと感じているようだった。
「なあ。ミラ」
見兼ねた、というわけではない。気になることがあった。口を開く。
「あんたさ、何がしてぇの? 役者が揃って、面白い、だって? 誰の味方だよ、あんた」
『俺は誰の味方でもねェさ。強いて言うなら、面白い方の味方だ』
ああ、だから、と影は続ける。
『キンス。今のお前はなかなか面白い。だから、少し協力してやるよ』
「協力?」
思わず、キンスと顔を見合わせた。キンスのその表情に、緊張の色が滲み出す。
『ああ。いや何、このままじゃ何の進展もなく、つまんねぇからな。余計な横槍が入る前に、俺様がルールを決めてやろうってわけだ』
「ルール、って、何の話よ」
『まあ落ち着け。話は最後まで聞くべきだぜ?』
くつくつと、もったいぶるような笑み。比例して、キンスの眉間のしわが濃くなった。急く気持ちは、分かる。
『ゲームをしようぜ。キンス。俺とお前の真剣勝負だ』
影は、あっさり、そう言い放つ。
『ルールは簡単、俺を詰ませたら、お前の勝ちだ。期日は、2人のどちらかが帰るまで。俺からは一切手出ししない。ただ、お前が勝てば』
もったいぶるような、一拍。そして。
『お前の運命、変えてやるよ』
「……?!」
キンスが息を呑んだのが分かる。言葉を失ったキンスの代わり、ヴァンは口を開いた。
「大盤振る舞いじゃねぇか。それで、あんたは何か得するのかよ、ミラ」
『俺が損得で動くようなつまらねェ奴だって本気で思ってんのか? ヴァン。理由なんざ簡単だよ。こうした方がが面白いからだ。ルールも持たずにだらだらと、仲良く別荘ごっこされてちゃ、おれがつまんねェだろ?』
そうだ、こいつはこういうやつだ。顔を歪めながらキンスを見る。放心しているかのようだったが、その唇が、小さく動いた。
「あなたが、詰んだら……って、どうすればいいのよ、そんなの」
『それは自分で考えな。ただ1個、分かりやすい解があるのには、もちろん気付いてんだよなァ?』
「……何だよ、それ」
キンスはまた、押し黙る。ヴァンが続きを促すと、影は、笑った。
『決まってんだろ? あの2人のどっちかが死にでもすれば、俺は非常〜〜〜に、困るんだぜ?』
「――……帰って」
びゅんと、鋭く風が唸り、影の揺れる水面を叩いた。キンスの魔法だ。湖面にはもう、影の姿はない。
『おお、怖い。魔女さまは違うねェ』
声だけが聞こえる。キンスは湖面を見つめたまま、何も応えない。
『んじゃ、俺は観客席につかせてもらうぜ。ルールだからな。手出しはしねェ。だから、まあ……』
再度、もったいぶるような間。笑う姿が、目に浮かぶようだ。
『精々、俺を楽しませてくれや』
大袈裟なほど、仰々しくそう言って、今度こそ、声は聞こえなくなった。立ち尽くすキンスの背に、ヴァンはそっと触れる。
「……帰るぞ、キンス」
「…………ええ、ありがとう」
キンスの声は震えていた。無理もない。ここは、兄貴分として、しっかり支えてやらねば。
「いいってことよ。大丈夫だって。焦らなくても。ココはもう、何かがねぇと帰んねーだろうし、ウィットはココに、べったりじゃねぇか。いくらでも、時間はあるって」
「……ええ、そうよね、ヴァン。……ありがとう」
キンスの言葉に、ヴァンは笑う。
「いいってことよ。ほら、帰るぜ」
そうしてキンスを、帰路へ、促した。
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