バスケットのパン
もうどれくらいの時間が経ったのだろう。真っ暗な闇の中、目を覚ました。
見上げた先に広がる暗闇の先、目が慣れてくると、木で造られた天井が見えてくる。見慣れない光景だ。けれど、初回ほどの混乱はなかった。
(…………)
もう歩けないというほどに、くたくたに疲れきった脚のだるさはかなり改善されていた。歩いたこともない森の道を、木々の隙間を、歩いて、歩いて、歩いて――何のためにこうしているのか分からなくなるくらいに心細くなった頃、このログハウスを見つけたのだ。ノックをする勇気が湧かずに気付いたら眠ってしまったので、それから後のことはよく知らないけれど。
(……そうよ。おなか、すいてたんだった)
朝食以降、何も食べずに森の中を歩き詰めだった。ここに至るまでに、空腹感を感じて泣き出しそうになったこともあった。それでも泣かずにここまで来れたのは、泣くことよりも、先に進むことの方が大切なことに思えたからだった。
しかし、今はそうはいかなかった。ようやく辿り着いた家屋だというのに、知らない人に囲まれて、変な意地を張った末に、食事もとらずに眠り込んでしまったのだ。
この調子では、明朝まで何も食べることが出来ないかもしれない。それどころか、明朝自分の分の食事の用意がある保証もなかった。
(おなか……すいたよう……)
不思議なもので、一度気が付いてしまうと、空腹感が波のように押し寄せてきた。つい先程まで眠っていた自分とは、まるで別人みたいだ。この空腹の中、本当に自分は何事もなくすやすやと眠ることができていたのだろうか?
(…………)
見知らぬ家の、見知らぬベッド。結局森の中を彷徨っていたときと変わらず、心細い思いをしている自分に気付いた。明日からどうやって過ごしていくのだろう。この家に居てもいいようなことを言っていたけれど、それは、いつまでなのだろう。
不安が押し寄せる。気が付くと身体が震えていた。布団をぎゅっと握り締める。おなかがすいた。耐えきれず、視界が潤み始めた。
森の中とは違う。どこか、誰か人がいるところにと進み続けた、目標のあった、森の中とは。今の自分には目標がなかった。泣くのを堪えて進むべき道がなかった。
「う……ぅん」
「!」
突然聞こえた声に、びくりと身を強ばらせた。眠っていると思われなければならない。泣きそうなことを悟られないようにせねばならない。声は背後、すぐ近くから聞こえたのだから。――え?
恐る恐る、身体を向ける。掛け布団が、何かの重みで軽く引っ張られていた。窓からの月明かりが微かに室内を照らす。どうやら誰かが、ベッドにうつ伏せに寄りかかる形で、眠っているようだった。
「…………」
その人物を起こさないように細心の注意を払いながら、そっと身体を起こした。ベッドの横に、椅子が2脚。そのどちらにも座らずに、子どもが1人、その身をベッドに半分預けていた。
この子は――そうだ、目を覚ましたとき、一緒にいた子どもだ。柔らかそうな金髪に、青い瞳。名前は知らないけれど、服装から判断するに男の子なのだろう。
(……あれ)
それより気になったのは、2脚の椅子の内、1脚の上に置かれた、小ぶりなバスケットだった。よく見てみると手紙が添えてある。音を立てないようにそっと手を伸ばし、手紙の内容を確認してみることにした。
『お腹が空いたら、いつでも食べてね』
手紙には、簡素にただそれだけが書かれていた。ということは、バスケットの中身はきっと食べ物なのだろう。空腹感に敗北しかけていた手前、意地を張る相手もいないので、遠慮なくバスケットを開けてみた。手紙の文面に偽りなく、その中にはいくつかのパンが入れられている。
この男の子が用意してくれたのだろうか。その寝顔とバスケットの中身とを、交互に見比べる。何故こんなところで眠っているのだろうと思ったが、もしかしてずっと、こうして傍にいてくれていたのだろうか。会ったこともない自分を心配して、隣で見ていてくれていたのだろうか。
(…………)
何故だろう。叱られたような気持ちになった。今思うと、最初に目覚めた時、あんなに警戒する必要はなかったのではないだろうか。警戒なんかしたせいで、自分はとても失礼な態度をとったのではないだろうか。
冷静に考えてみると自分自身ですらそう思うのに、それでもこの男の子は、こうして傍にいてくれていたらしい。その事実に、素直な嬉しさと、若干の面映ゆさを感じた。
自分はどうやら、そう思っていたほど孤独でもなかったみたいだ。
バスケットの中身を食べながら、確かにそう思った。
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