湖と梟

 そうして暫く歓談を続けながら森を進んだ頃、不意に道が少し開けた。


「よし。ココ、着いたぜ。目的地だ」


 ヴァンに指され、その背中越しに前方を見つめる。わあ、と思わず感嘆の声が漏れた。


 ログハウスのある場所より、更に広く拓けた土地だった。今までの道のりが薄暗かった分、広がる空から落ちる日差しが明るく感じる。暖かに落ちる日光を受けきらきらと輝く『それ』に、ココの瞳もより一層輝いた。


 そこは、まるで、物語に登場するような、広く澄んだ湖だった。鮮やかな木々の緑と、空の青。それらを映す湖面は静かに煌めきながら揺らめいている。


「言ったろ、『とっておきの場所』だって」

「うん……、すごいや……。すっごく、すっごく綺麗……!」


 ほう、と息を漏らす。そんなココに、ヴァンは満足そうに頷く。


「よし、んじゃ、今日はここで昼飯な。ちょっと、好きなとこで弁当広げててくれねぇか?」

「うん。ヴァン、どこか行くの?」

「仕事仕事。罠の確認くらいはしておかねぇとな」


 ひらひらと手を振って、森の木々の狭間に消えていく。そんなヴァンを見送って、ひとりきりになったココは、座れる場所を求めて湖へと歩みを進めた。

 近付けば近付くほど、湖面は澄んでその底を透かす。思ったより深くはなさそうだ。ここで水遊びをするのも楽しそうだと薄らと思った。


 湖面の傍にバスケットを置き、自らもその隣に腰を下ろす。湖の表面を撫で、やや冷気を帯びた風が、ココの柔らかな髪を揺らした。遅れて、木々の揺れる音と微かな小鳥の鳴き声が聞こえてくる。


 音もなく、白い影がココの傍を横切ったのは、ちょうどそんな時だった。


『湖は、お気に召しましたか?』


 その白い影に話しかけられたのだと、ココが認識をするまでに数秒を要した。影はバスケットの柄に脚を載せ、視線の高さを合わせてココの顔を覗き込んでくる。


「ふくろう、さん?」

『ああ、すみません。驚かせてしまいましたか』


 美しい、真っ白な梟だった。金の眼をきょろりとさせて、そのくちばしが僅かに動くと声が聞こえる。どうやら本当に、この梟に話しかけられたらしい。


『その様子ですと、しゃべる梟は初めてですね?』

「え、えっと……、うん。しゃべらない梟さんも、見たことないんだ」

『そうだったのですね。それはいっそう、お驚きのことでしょう。私はアウル。この森の、主のようなものです』

「アウル、だね。ぼくはココだよ」


 主であることがしゃべれることと関係あるのだろうか。城では誰も、外の世界に言葉を理解し話す動物がいるだなんて、教えてくれなかった。そんないろんな思考が、ぐるぐると頭の中を支配している。


『ええ、ココ。存じていますよ。魔女に連れられ、この森を訪れたのですね』

「うん。……キンスのこと、知ってるの?」

『それはもう。この森のことは、何でも知っていますから』


 しかし、その声音の穏やかさは、未だ混乱をするココにすら、安心感を与えるものだった。ココが知らなかっただけで、お城の外には物語のような不思議なものがたくさんあるのかもしれない。そんな心の余裕も出始める。


「森の主……って言ってたよね。森のこと、守ってるの?」

『守ってる……というと少し語弊があります。見守っている、が語感としては正しいでしょうね』


 幼いココにも、その2つの違いは何となく分かった。そっか、と頷く。同時にいいことを思いついた。


「あのね、これからヴァンとお昼ご飯なんだ。アウルも一緒にどう?」


 お弁当のバスケットの中身は、サンドイッチだとキンスが言っていた。梟が食べられるようなものはないかもしれないが、それでも一緒に話をするくらいなら出来ると思ったのだ。


『……ごめんなさい、ココ』


 しかし返ってきたのは、少し暗い声音の、謝罪の言葉だった。


『私は、あなた以外の人間と顔を合わせることは出来ません。……特に、あの、魔女と狩人とは』

「……え?」

『あなたのお友達ですし、悪く言うつもりはありません。ですがどうか、こうして私と話をしたことは、あの二人には秘密にして欲しいのです』


 金色の瞳が、きょろりとココの碧眼を覗き込む。表情のない梟の顔ではあったが、真摯さを感じるのは、その口調や声音が確かに真摯だったからだろう。


 そんなアウルの言葉に少し悩んだココは、暫しして小さく首肯した。


「うん……、わかったよ」

『……ありがとう、ココ』


 安心したような柔らかな声に続き、アウルはその羽を大きく広げる。見蕩れるほどに美しい、真っ白な羽だった。


『あまり時間がありません。そろそろ狩人が戻る頃でしょう。私はこの場を去りますが、あなたのことを、見守っていますよ』


 現れたときと同じように、音もなく、その羽をはためかせる。顔に風が当たって思わず目を瞑り、開いた時にはアウルの姿はその場から消えていた。


『また会いましょう、ココ』


 どこからともなくその声だけが聞こえ、ココ1人が残された。目の前の湖面は何事も無かったかのように、きらきらと日光を反射し揺らめいている。


(……仲、悪いのかな)


 みんな仲良しとはいかない。そういうものなのだとココは知っていた。それそのものは残念だけれども仕方のないことだ。だが、ただ何となく、アウルの方が2人をあまりよく思っていないような、そんな雰囲気を感じた気がして、それが頭に残っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る