ティータイム
一通りの家事を終え、畑の世話まで終えたキンスは、一息つくべく、紅茶を注いでいた。
人里離れたこの森の中で、キンスにとって唯一と言える憩いが、このティータイムだった。わざわざ街で本を仕入れて覚えた淹れ方で、自分のためだけに紅茶を注ぐ。数度ヴァンにも飲ませたことはあったのだが、ヴァンの好みは果汁で作ったジュースの方らしかった。そうしていつの間にか、ヴァンのいない昼間、家事の隙間に1人で紅茶を飲むのが、満月の散歩と同じく習慣と化していた。
『随分と悠長じゃねぇか、なァ?』
そんな憩いのひとときに、水を差すような声。声のした方にちらと視線を向け、まだ中身の残るカップを置くと、キンスは露骨なため息をついた。
「珍しいのね。あなたから、声をかけてくるなんて」
『そりゃあ、声もかけたくもなるぜ。薄情なやつとは思っちゃいたが、俺に何も言わずに楽しそうなことしやがって。まさかここまでつれないやつとはねェ』
「……」
何のことを話しているのか、しらばっくれるつもりはなかった。その必要を感じなかったということもあったが、何よりもさっさと会話を切り上げてしまいたかったのだ。とはいえ、気の利いた言葉も浮かばない。
『だが正直、今回のことでお前のことを見直したぜ。なァ、キンス? 誑かし、道を踏み外させるなんて、なかなからしいことするじゃねぇか。イヤァ、感心感心』
大層上機嫌に、くつくつと笑う声が響く。不愉快だった。自然と眉間に力がこもり、硬い声音で応じる。
「そんな、何の身にもならない話をしに来たのかしら。もしそうなら消えて欲しいものだけれど。時間の無駄は嫌いなの」
『ほぉら、また。そうやってつれないことを言う。いや、いいんだぜ? お前の言うことにも一理あるしな。時間は有限だ。大〜〜〜事に、使わねェと』
特に、今はなァ? 続いた言葉に思わず舌を打ちそうになるのをぐっと堪えた。憤りを消化するように、立ち上がり視線を逸らす。
「そう思うのなら、協力頂けないかしら。私はあなたと話すことは今のところないわ」
『ハハッ、いいねェ、そういうの。今は、ないんだよな。それはそれは、素直なこって』
「……」
揚げ足を取って楽しむその様は、躾のなっていない子どものようだった。イラつきを隠すことも出来ず、視線に込めて相手を見やる。おお、怖い、そんな声が届いた。
『別にお前を怒らせたいわけじゃあねェさ、キンス。ただ俺は、この面白そうな状況を楽しみたいだけなんだぜ』
「そう。でも私は不愉快だわ。自分だけが楽しむつもりなら、消えてもらえないかしら」
『久し振りに言葉を交わすってのに、不愉快ときたもんだ。嫌われたもんだなァ』
もう言葉を交わすつもりはなかった。話は終わりとばかりに、ティーカップを持ち上げ、その水面を揺らす。
『分かった分かった、お望み通り、去ってやるよ。ただひとこと、これだけは伝えておきたくてな』
思わせぶりな、にやにや声。勿論聞いてやる義理などない。ないの、だが。
『王子が死んだら、お前は自由だぜ』
勝手にさらりと、世間話のように言葉は続いた。思わずピタリと手を止めて、再度カップをテーブルに置く。
たっぷり数秒。キンスにとってはそれ以上の時間が流れた。それだけの時間をかけて、ようやく口を開く。
「……分かっているわよ。そんなこと」
紡がれた言葉は、我ながら酷く無感動で、冷ややかだった。
そのまま暫く立ち尽くし、揺らぐ紅茶の水面を見つめる。会話の相手が既にこの場から消えていることに気付いたのは、もう少し先のことだった。
ティーカップを持ち上げ、キッチンへ。流しに立つとカップを傾け、もうすっかり冷めきった紅茶をそこへ落とした。
もう、新しく紅茶を淹れる気もわかない。憩いの時間を阻害され、無意味に洗い物だけを作ることとなってしまったことへの憤りは感じつつも、文句のひとつも口にせずにキンスは家事へと戻るのであった。
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