気まぐれ
1年以上前、キンスがまだ10歳だった頃の話だ。
2人で夕食をとっていたとき、ヴァンが世間話に持ち出したのが、西の国の王子の話だ。
森を西に抜けた先にある、小さいけれど豊かな国には、国民に愛されて育つ、まだ幼い王子がいる。どこから聞きつけた噂なのか、楽しそうにそんな話をしたのはヴァン本人だ。
その時は、ヴァンがそんな話をした意味こそ理解せど、だから何だと思ったし、確かに自分はそう一蹴した気がする。
しかし、数日、数週間が経っても、その話はキンスの頭にこびり付いていた。
もともと、満月の夜空を散歩するのは、昔からの習慣のようなものだった。普段は行く当てなくただふらふらと森の上を浮遊するだけなのだが、その日以降、気が付くと西へと向かう自分がいた。慌てて引き返すのだが、次の満月にはまた西へと向かってしまう。
そんな具合に数カ月が過ぎ、遂に王子に会う決意を固めたのが数回前の満月だ。一度顔を合わせてそれで終わりにする予定だったのだが、ココがあまりにも人懐っこく、別れ際に寂しそうな顔をするものだから、ずるずると約束を重ね、今日この日を迎えてしまった。それが唯一の誤算だった。
「俺なら突然箒に乗って現れた無愛想な女の子なんて警戒しかしねぇや」
「ごもっともね。あの子はネジが緩いのよ」
そんなココが王子で、将来執政の立場にあるというのだからあの国の将来が心配でもある。まあ、国民ではない自分にはそれこそ無関係な話でもあるのだが。
「んで、何で連れてきたわけ」
そう言ったヴァンの声音は、世間話の体を脱しない。こういうところが食えないやつなんだと再度胸中思うと、話題を振り払うように腰を上げた。
「さあ、何故でしょうね」
立ち上がりかけた体勢のまま、視線は寝室へと伸びる階段へ向ける。そろそろココは寝入っただろうか。
「ん、寝んの?」
「ええ、そうね。洗い物も終えたし、久方振りの2人乗りで少し疲れたわ」
「ふーん……」
何か言いたげなヴァンを無視して、階段へと足を向けた。しかしその背中に声が掛かる。
「後悔はすんなよ」
……食えないやつだ。
「善処するわ。おやすみなさい」
そう言って、ヴァンの残る1階を後にした。しっかりした作りだが、少しギシギシ軋む木製の階段を上がると、そこには大きなワンルームが広がっている。
数個並ぶベッドの内、ヴァンの言っていたように、ココは窓際から2番目のベッドで寝息を立てていた。窓から差し込む満月の光がその寝顔を僅かに照らす。
(何で連れてきたのか、ね)
そのココを横目に、一番奥の普段自分が眠るベッドへと辿り着くと、そこに腰掛け思案する。
(そんなの、私が一番知りたいわ)
肩を落として目を伏せる。同時に吐息が少し漏れた。
考えても答えなど出ないのは分かっていた。横になり、ふわふわの羽毛布団の中に収まると、思考を打ち切るように目を閉じた。
「気まぐれ。……ええ、ただの気まぐれよ」
言い聞かすようにそう呟いて、その背をココに向ける。そうしてぎゅっと、自分の身体を抱き締めた。
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