63.「呪詛の果て」

 ただ憎かった。


 最期の瞬間、俺の心を塗り潰すほど、全てが憎かった。


 母を置いてひとり死んでいった父。

 この世に産み落としたことすら否定し、殺そうとした母。

 俺の肉体を汚し、支配下に置こうとした男。

 正義を語りながら、平気で俺を犠牲にした男。

 素知らぬ顔をして、俺の苦しみに加担した男。


 その他、俺を嘲り、俺の苦痛の上で平然と笑った全ての人間が、その一人一人が……

 ただ、ひたすらに憎かった。


 殺すだけでは足りない。

 徹底的に俺の苦しみを教えてやりたい。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、何度でも、思い知らせてやる。


「ロバート、どうした」


 流れ込んでくる負の感情。

 レヴィくんが抱えた数多くの憎しみが、大気を伝うように、僕を突き刺している。


「レヴィくん、その、呪いの言葉……」

「……ああ、すまん。つい、な」


 申し訳なさそうに、彼は距離をとる。


「抑えきれないか……」


 ぽつりと呟いた言葉に、確かにどす黒いなにかを感じた。


「……貴様の話の中に出てきた、ロナルド・アンダーソンという男」


 舌打ちと共に、


「あの男にだけは、俺の呪詛は届かない」


 血を吐くように、


「赦せないし、赦す気もないが……あの男が植え付けた恐怖は、それに勝る。……歯がゆいことにな……」


 ぎり、と、強く自らの腕を掴んで、

 翡翠の瞳に、暗い影が蠢く。


「……レヴィくん。「殺そうと思ったら人が死んだ」……って、それ」


 君の罪なのか、と、問おうとした。


「事実だ。……表ではガス漏れによる爆発事故となったが、な」


 問うことも、できなかった。


「どうして……。……どうして、そんなことわかるの?根拠は?」

「……ブライアンに人を殺させたのも、似たような何かだった」


 ブライアンは、人を殺すことはおろか、傷つけることすらできなさそうな青年だった。……その見解は、正しかったらしい。


「あの肉体は、例の暴行事件の時より半分死んでいる。……動くこと自体、なぜなのか医学では解明できない」


 だからこそ、かつて奇跡と呼ばれた、と。

 片目を潰されるまで嬲られて、挙句に湖に棄てられ、それでも命が助かった……そりゃあ、奇跡的にも思える。


「それは奇跡などではない。……生きる代わりに、あいつは……己の手を血で汚した。それが、宿った何かの目的だったのかもしれん」


 誰かの復讐のために、彼は、……彼らは、取り返しのつかない業と、到底癒せない傷を背負ったのか。


「俺は同じことをした」


 噛み締めた唇から、血が滴る。


「いくら憎かったとしても、その境界を超えてはならなかった」


 だから、まだ耐える、と。その眼光が告げていた。

 だから、贖罪のために、負の感情の行き場に秩序をもたらすと……。


「……で、でも、事故なんだよね……?」


 嫌な予感が、やめておけと言った。


「事故ならわからないよ!そんなの……呪いとか、とても……」


 それなのに、言葉は口をついて出た。


「そんなの、信じられないよ」


 ぶわりと、黒い闇が視界を覆い尽くした。

 拒絶されたのだと、お前は知るに値しないと、無音の暗闇がそれを語る。


 ──あの人は殺されたんだよ!事故でも自殺でもない!殺されたんだ!


 かつて耳を塞いだ叫びが、脳内に反響する。

 ロー兄さん、と、必死に名前を呼ぶ。

 声は出ない。出ないけど、叫び続ける。

 ミスの後始末なんて申し訳ないけど、それでも、僕は諦められない。


「俺は信じるよ」


 ……肩に手を置かれる。

 兄さんが隣に立って、レヴィくんを見据えている。


「それ、俺を殺した呪いに似てる」


 淡々と、レヴィくんを見つめて、告げる。


「列車事故で死んだ怨念の集合体……だったっけ。線路に押し付けられたんだ」


 じわじわと、軍服に血の染みが滲んで、汚れていく。


「……電車の揺れが、おかしいって気付いたのに通報しなかったから……だったか」


 ぼたぼたと、口の端から血が溢れていく。


「酷いもんだったよ。内臓が飛び散って、脚がすぐ横にあった」


 腹を押さえて、赤い涙を垂れ流して、かき消えそうな正気を手繰り寄せる。


「そのくらいでも、あんたにとったら立派に殺す理由だろ?」

「ああ、そうだ」


 凛とした声が、言い切った。


「無論だ。見て見ぬふりも、加害のひとつに過ぎん」

「……そうだな。余裕がなくても、こっちにどんな事情があっても、見捨てられた側には関係ない。相手の立場も関係ありゃしない。……一言でもなにか言えば助かったのに……ってやつだ」


 だけどな、と、血を吐きながら、続ける。


「……それでもだ。それは権利でもなんでもない。新たな怨嗟を増やしただけだ」

「……分かっている。分かっているからこそ……俺は、再び過ちを犯す気はない。見境のない憎しみは、容易に他者を巻き込むからな」


 翡翠の瞳に、確かな輝きが宿る。

 完全には納得していないのか、苦虫を噛み潰したような顔で、レヴィくんは兄さんに向き直る。


「その服の下は、どれほどの惨状になっているのだろうな」


 滲んだ血液が、付着した泥が、既に物語っている。


「……胴体を轢断されたのなら、さぞ……」

「……胴体?轢断?」


 なんのことか分からない、と、兄さんは目を丸くする。


「に、兄さん、思い出さない方が……!」

「正気を保たせてもらったからな。返礼だ」


 すっ、と、白い指が軍服を指し示す。

 礼、と言うより、仕返しにも近いかもしれなかった。

 ……分かっている。きっと、必要なことだ。目を逸らしてはいけなかったことだ。


「第1に、その服装についてだ。……接していたが、あなたは職業や立場にそこまでのこだわりはなく、軍人であるという意識はそこまで強くない。さらに、死んだのは故郷の駅の付近、おそらくは休暇中……ローランド様、あなたが軍服である必然性はありません」


 なんで敬語になったのか、なんで様付けなのか、色々気にはなったけど、黙って兄さんを見る。

 兄さんも変な顔をしつつ、「……そうかもな」と、頷いて続きを促した。


「第2に、胴体について。……列車の車輪は2つ。……胴体が轢断されたとするなら、首か、脚か、もう1箇所轢断された箇所がなくては説明がつきません」


 兄さんは悶えるよう震えて、腹を押さえる。

 ……僕が、見て見ぬふりをしている間に、彼はそれだけ兄さんを観察していた。

 いやでも、なんか引っかかる。その理論は引っかかる……と、思っているうちに、彼は言葉を続ける。


「第3に、身長差」


 ……ん?


「ロバート、お前は何度も言ったらしいな。……昔と変わらない、と」

「う、うん」

「さすがにおかしいだろう。お前は第二次性徴期を間に経たはずだ」

「えーと、兄さんが帰ってきたあたりがそうだったかな……?またすぐ寮に行かないといけなくて……プレッブ・スクール中退してちゃんと帰ってきたら、しっかり声変わりもして伸び」

「それは聞いていない。……身長差は何をどうしても縮まったはずだ。なぜ、「変わらない」と認識している?」


 ……あれ、そう言えば、どうしてだろう。


「……身、長……?」

「……服の下を見せてください。本当に、その傷は列車に轢断されたものですか?」

「俺、は……俺は……」


 左右にさまよう視線。

 忘れていたのは僕だけじゃない。

 自分に、兄弟に嘘をついてまで、僕達は壊れたものを守ろうとした。とっくに終わらせなければいけなかった時間を、無理矢理に続けていた。


「そう、そうだ。俺は……このために……この時のために、ローランドは……」


 腹を押さえた兄さんが、ロー兄さんが、あれ、この表情は、あれ?


 この顔は、


「……ふん、やはり知恵がついたようだ。見事だレヴィ。かつて、私に育てられただけはある」


 顔が半分、崩れていく。崩れて、骨が見える。でも、その不遜さを確かに知っている。

 これは、この人は、


「ローランドの演技……か。見様見真似も役に立つものだ。こうして私を甦らせるとは、大したものだよ」


 軍服のボタンが手早く外されていく。言われた通りに、男は胴体を見せる。


 ……。肋骨が透けているとか、そういう話じゃない。胸の肉がごっそりなく、肺も心臓もない。肋骨が見えている。背中側も一部肉が削げていて、向こう側が透けて見えている。


「ローランドの痛みはよほど強かったらしいな。この肉体ですら影響が出るらしい」


 は、骨と化した指を、しっかり鍛えられた肉の残る腹に……いや、背中に持っていく。


「階段からは、即死するほどの落ち方だった。……腰骨が折れてしまっている。……いやはや、頚椎はズレただけだが、ここは完全に骨折だ。まったく……義母さんもこうなるとまでは思わなかっただろうに」

「ろじゃー、にい、さん?」

「久しぶりだなロバート。ずいぶんと成長したのではないかね?」

「えっ、何?どういうこと?」

「何……とはなんだ。まだ分からないとでもいうのか?まったく、それでハリス家の末弟とは笑わせる」


 あ、これ間違いない。この鼻につく笑顔にこの上から目線の言い方は間違いない。ロジャー兄さんだ。うん、絶対そう。


「私の葬式には時間がかかっただろう。一度埋めていたのに、死を公表するのに2年も待たせるとは……父のプライドにも困ったものだ」


 ……葬式?


「白骨化した状態で葬儀をした。おそらく、ローランドの事故から目を逸らさせたかったのだろう。……同時期に隣人一家……アンダーソン家のこともあったようだが」


 白骨化?

 蓋をした記憶が、揺さぶられていく。


「つまりはだ、のだよ。胴体を繋ぎ止めるだけの肉体が、補っても補ってもだ。融合したローランドが腹の痛みを覚えていたために、噛み合い方も弱く、たまに落ちることになる。意識の主体があちらである以上仕方はないが……申し訳なくもあるな」


 あの雨の日の葬式は、ロジャー兄さんのもので、ロー兄さんのものじゃない。……それは、確かに、そうだった……かも。うう、頭が痛い。思い出したら泣きそうになる。

 それで、その肉体……正確には骨格……?もロー兄さんのものじゃない……?いや、それはもう見たらわかる。分かるけど混乱する。


「……やはり、ロジャーだったか。ほとんど即興で理屈を捏ねたが、どうにか引き出せたようで何よりだ」

「レヴィ、お前も久しぶりだな。それで、なんだ?「ローランド様」とは」

「うるさい聞くな……!何やら魂か何かに刻まれている気がするだけだ」

「ほう?お前が前世のような与太話を信じるようになるとはな?私が既に屍だということにも気づかなかった可愛げのない子供がまさか」

「黙れ。それ以上口を開くな。俺はもう子供ではない」


 ……喋り方にとてつもない影響が見られる気がする。

 本当に、ロジャー兄さんは幼いレヴィくんに出会っていたんだ。

 で、でも、それはそうとして、


「おかしいよ!ちゃんと書かれてた!ロー兄さんが演じてるって!」

「だから、それはローランド……正確には私の意識がわずかに混ざったあいつの主観だ。この肉体……の、少なくとも骨格部分は私のものだが、ロンの介入で自我は随分と厄介なことになってしまっている。……だが、ローは咄嗟に機転を聞かせ、私を演じることで存在を守ろうとした」


 どこかの「ある罪人の記憶」で見た二人の男の対立。

 錯綜し、混ざりあったあの自我は、ロナルド兄さんがロジャー兄さんを消し去ろうとした証。

 それに対抗したのが、ロー兄さん……。

 狂ったままでは共倒れになる。ある意味では、賭けだったのかもしれない。


「……なるほど。弟に守られたというわけか」

「生意気な口を聞くようになったな若造が。その調子で早く私に追いつきたまえよ」

「言っておくがお前の享年は超えた」

「……馬鹿者。私の2倍、いや3倍は長生きしろと教えなかったかね?」


 ……あれ?レヴィくん、もしかして僕よりロジャー兄さんと仲いい?


「しかし、いくらなんでも気付け。……ローが私と同じ体格のわけがない」

「ロー兄さんの体そんなに触ったこと無かったし……」

「……やはり、兄弟で体格は違ったのか」

「まあ……、それは、そりゃあ違うだろうけど……」

「まったく、ショックで記憶を飛ばすなど……。……いや、しかし、無理もない。よく頑張ってきた、と今は褒め讃えよう」


 ……やっぱり、ロジャー兄さんらしい。偉そうで、嫌味で、言い方がちっとも優しくない。


「……ありがと」

「あと、ローの見解には一つ致命的なミスがある。そこは付け加えねば気が済まん」


 まあ、この人プライド高いし、仕方ないか。


「荒んだローザのことを愛することができない、と、判断したようだが……私は今でも、妻を心より愛している。その気持ちに変化はない」


 ………………。

 え、そこ?


「その惚気は……今、必要なことか?」


 レヴィくんが、僕の気持ちを的確に表してくれる。


「何を言う。いつ、いかなる時も最重要事項だ。私はローザを深く愛している」


 …………どう、反応すれば……?

 仲睦まじいのはいいことだけど、だって、この人、もう……。いや、まあ、いいことなんだけどさ。いいことではあるんだけどさ……!!

 ふと、白く、柔らかい霧が、僕らを包み込む。


『レヴィ、ロバート』


 意識を中断するように、澄んだ声が響いた。

 ブライアンの声だ。


『ロナルド……さん、動いたみたい』


 凍る空気。

 ごくり、と、レヴィくんの喉が鳴る。手が、震えている。


「……ふん、そうかね。丁度いい。次こそ勝利して見せよう」


 やっぱり、頼りにはなるな。ロジャー兄さん。


「……大丈夫か?勇み足で挑んで敗北するのはいかにもロジャーらしいが……」

「今回は大丈夫だ!おそらく!ところで、カミーユは何か言っていたかねブライアン」

『えと……兄さん、確か……「ギョクサイっていうのはね、勝てない前提の作戦なんだよ」って……』

「ははは、何を当たり前のことを言っている。私がロンに勝てる見込みなど、万に1つぐらいだ!」


 ……前言撤回。これやけくそだよね。絶対めちゃくちゃ負かされてるよね。

 ロジャー兄さん……もしかしてだけど、バカ……?




 ***




 ロデリックから話を聞いた翌日から、すぐに調べ出した。仕事はバカンス取ったらどうにかなる。まあ、ほんとはイタリア帰ってジェノバあたりでバジルピッツァ食べたいけど。

 ローランド・ハリスのことを調べても情報は出てこない。

 ハットフィールドって駅名自体、結構ある。どれを当たってもそれっぽいものは見当たらない。


「ロデリック、向こうとの通信は繋がったかい?」

『何やっても無理でした。今、家を出るって一大決心を固めてるとこです。ここじゃ埒あかないんで……』


 電話をしたらこんな返事が返ってきた。

 どんな決心だよ。いや、ろくに出ないでも生きてける筆力ってすごいけどね……?


「ローランドの事故調べてたけど、全く出てきやしないよ。どうしたらいいんだい?」

『えー……ロンドン郊外ビリングフォードのハットフィールドで出てき……。……あー……』

「ビリングフォードのハットフィールドなら2001年の人身事故のこと書いてたけど……あんたの兄貴っぽい情報はなかったよ?」

『まあ……ですよねぇ……』


 明らかに、反応が悪い。何か躊躇っている。


「よし、聞くよ。とっとと吐いて楽になっちまいな」

『……仕方ねぇ……話すしかねぇか……』


 なんか申し訳なくなってくるけど、ここまで来たら聞くしかない。


『その事故……もしかして、被害者が女性って書いてます?』

「……書いてるね」

『じゃあ、合ってます』

「いやいやいやいや待ちな、兄貴なんだよねぇ……?」

『……そう、呼んでただけです。ナタリーさんがしつこく、あの子は男の子になりたいの。気を使ってあげて……って、言うから……』


 ロンドン郊外ビリングフォード、ハットフィールド駅付近の線路上で発生した人身事故。重傷者一名。

 被害者女性が腐敗した枕木を握っていたため、調査したところ線路に重大な不備が発見された。女性は意識不明の重体。


『……うちの兄貴達とお揃いがいいってんで、ずっと髪も短かったし、格好も喋り方も男っぽかったですけど……。染色体?になんかあって生まれた時は性別がちょっとわかんなかったとかなんとかで、名前も男用と女用があるんです。俺らはずっと男の方で呼んでましたけど』


 運転手は傷害罪で起訴……

 メンテナンスを怠ったとして××社は賠償金を……


『つっても、腹痛とかの症状酷かったのもあって、同じ学校には行けなくて……。ガキの俺らの面倒見てくれてたのは、そういう事情もあったからです。でも、ロジャーさんのこと説明しに兄貴に連れられて軍に出向いたり、死んでからあの姿だったりってことはやっぱ憧れてたんだな……って……。……まだ、直視できてないんですけどね』


 女性は妊娠3ヶ月……


「ロデリック」


 どこにも、死んでるって書いてない。

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