夏の章
第1話・Verguenza(困惑)
きっちりと分量を量った薬草を数種類すり鉢の中に落とし、すりこぎでごりごりとすり潰す。
朝からずっと同じ作業を繰り返し、黙々と薬の調合を進めてきたウェルチは、ふと作業の手を止め窓の外に視線を向ける。そうして外の穏やかな様子に柔らかく目を細めた。
外からは鳥のさえずりが聞こえてくる。
ウェルチの住む小さな家と作業場を囲む森の木々や草花は、日に日に緑の色が濃く深くなっていく。
この場所に差し込む日差しは木々に遮られそれほど強くはないものの、周囲の植物の様子から夏の気配を感じられるようになってきた。
気温も少しずつ上昇してはいるものの、森の中は木陰が多いせいかやや涼しい。暑くもなく、寒くもないこの時期は町まで歩いていくには一番よい季節だ。
ウェルチは定期的にこの森の最寄りにある町を訪れている。調合した薬や手製の酒、茶葉を売り、その代金で森の中では手に入らない日用品を購入するためだ。
すりこぎを握り直すと、ウェルチは再び手を動かし始めた。ごりごりという規則正しい音とともに、薬草の匂いが室内に満ちていく。
そうして丹念にすり潰した薬を小さな瓶の中に入れて、コルク栓を閉める。そして、薬の名前が書いてあるラベルを、ぺたりと貼った。
そこまでの作業を終えると、手元にあったリストの最後の行に斜線をひいた。これで、この一週間のうちに書簡で依頼を受けていた分も含め、予定していたすべての薬の調合を終えたことになる。
この複数の薬瓶と、前回町を訪れた時に頼まれた数種類のお酒や茶葉などを持って、正午までには町に行く予定だ。
念のためにリストと薬を照合しながら、薬の瓶を肩掛けの鞄に詰めていく。そんなに難しい作業ではないのに、ウェルチの表情はどこか堅く、動作も重い。
ふう、とウェルチが無意識についたため息は、静かな部屋に妙に大きく響いた。
「……あ」
その音で自分がため息をついたことに気づいたウェルチは、ばつが悪そうな表情をする。
領主や町の人たちからの町で暮らさないかという誘いも断り森の中で一人暮らしをしているウェルチだが、別に町が嫌いだというわけではない。
人混みは若干苦手ではあるし、人付き合いがうまいともいえないけれど、あの町の人は皆優しく親切だし、大切な友人だっている。この森で一人で生活をしていても平気なのはあの町があるからだと思っている。大切で、大好きな場所だ。それなのに、町に行こうとすると気が重くなる。
それには、深い理由があった。
冬から春へと移り変わる季節に起こった出来事を思い出し、ウェルチの頬がほのかに朱を帯びる。
あれから随分と時間が経ったというのに、記憶は薄れるどころか濃く鮮明になっていくような気がする。
領主の三男坊であるティオの酒に酔いつつも真剣な瞳と、ウェルチを好きだという声を思い出してしまい、ウェルチは思い切り顔を横に振った。
「うう……もう、随分と前のことなのに、いつまでもこんな状態でどうするの……。いい加減、落ち着かなきゃ。……ティオさんにも悪いし」
一応声に出して見るものの、その声は弱々しく、頬の熱は簡単に引きそうもない。なんだかそんな自分が情けない。季節は既に夏に移り変わろうとしているのに。
「……だめだなぁ、わたし」
ウェルチは先ほどとは違う感情のこもったため息をついた。
気が重いことには変わりはないが、あの町に行かないと言う選択肢はない。ウェルチの薬やお酒・茶葉を待ってくれている人たちがいるのだ。その人たちに迷惑をかけるわけにはいかない。
まあ、日用品の在庫がいささか心許ないので、買い足さないと生活が厳しいという現実的な理由もあるけれど。
ウェルチは、いつの間にか完全に止まっていた作業を再開させる。薬の瓶とお酒の瓶、茶葉を数種類入れると、肩掛けの鞄はぱんぱんになった。
これでよし、と小さく呟いて頷くと、手際よく薬草の調合に使用した道具を片づける。簡単にだが掃除を終えると、つけていたエプロンを外し、変わりにケープを羽織った。そうして、先ほど薬やらなにやらを詰め込んだ鞄を持ち上げてみると、量が量なだけにさすがにずっしりと重い。
それを肩からかけると、胸元で揺れる獣避けの匂い袋を一度ぽふんと叩いた。そうすると、獣が嫌う独特の香りが広がる。
匂い袋があるとはいえ、身の安全を保障できるわけではないから、護身用の弓矢は忘れない。森の中で生活するには狩りをする必要があるので、弓はそれなりに使うことが出来る。
そうして出掛ける準備をきっちりと整えると、ウェルチは作業場の外に出た。こんな森の中にぽつんと佇んでいる小屋と作業場だけれど、まがりなりにも薬師の家である。作業場には高価な薬品や劇薬、それに祖母から受け継いだ貴重な文献などもあるから、戸締まりは忘れない。
ふと顔を上げて、大きく息を吸う。幾度か深呼吸を繰り返して森の新鮮な空気を肺に満たす。そうすると、少しだけ気分が落ち着いた。
「……よしっ!」
ウェルチは小さく気合いを入れると、肩からずれかけた鞄を持ち直し、ゆっくりと町へと続く道を歩きだしたのだった。
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