不滅の愛と泡沫の花 その④

    ※


「あら、お客様にそこまでしていただくわけには……。」

 翌朝、クロウはメロディアの家の庭の草刈をやっていた。

「一宿一飯の恩は返させてくれ。でないと私がここを去れないよ」

「そう……では、私は朝ごはんのご用意をしますわね」

「かたじけない」

 クロウは腰を下ろしたまま頷いた。

「それにしても……貴女、すごいお体ね」

 タンクトップ姿に首に手ぬぐいをかけているクロウの体を見てメロディアが感心する。座って体を丸めている背中の筋肉が隆起していた。ただ草刈をしているだけなのに、それだけで俊敏な動きを予想させる、豹のような体だった。

「女ひとり旅をするなら、柔肌の細腕では生きていけないよ」

「それもそうですわね」

 すると、遠くから爆発音が聞こえてきた。かなり大きな音で、空気だけでなく地面さえも揺れていた。

「……あの音は」

「ああ、近くに採石場がございまして。昨日は雨でしたけど、今日は晴れておりますから、お仕事を再開なさっているのでしょう」

「結構大きな音だ。気にはならないのかい?」

「住んでいれば慣れますわ」

「なるほど……。」

 クロウの耳が人間に比べて敏感なせいだろうか、慣れるような音には聞こえなかった。クロウは貴族のはずの彼らが何故こんな条件の悪いところで住んでいるのだろうかと疑問に思った。

 メロディアが家に入った後、再び朝づゆに濡れた草をせっせと刈るクロウだったが、庭の様子からある異変に気づいた。

 この庭はきちんと手入れされているものの、ところどころが野放しになっているところがあるのだ。特に庭の隅の洗濯物などは、長いこと干しっぱなしになっているようだった。例え使用人がいなかったとしても、洗濯物を取り込むくらいのことは労なくできるはずなのに。


 その後、草刈りを終えたクロウはメロディアの用意した朝食をもてなされた。

 コーヒーにビスケット、山羊のチーズ、干した果物、そして干し肉が真白いテーブルクロスの上に並んでいた。

 朝食を前にしてクロウが言う。

「まいったな、せっかく草刈をやったというのに、こんなにもてなされてはまた恩義ができてしまう」

「どうかお気になさらないで、私も久しぶりにお客様も迎えて嬉しいのですから」

 朝食に手をつけ始め、パンや果物を口に運んだクロウだったが、テーブルの上の干し肉を取ろうとしてその手を引っ込めた。

 それは干し肉ではなかった。いたんだハムだった。

「……どうなさったのです?」

「いや……。」

「……食べないのですか?」

 メロディアはニッコリと微笑んだ。一切の他意のない笑顔だった。

 クロウは、メロディアはしっかりしているようで、実はかなりの天然なのではないかといぶかしんだ。

「いえ……実は肉は苦手でして……申し訳ない」

 メロディアは残念そうに「そう」と、呟いた。

「……そういえば、昨晩もご主人は帰って来なかったので?」

「ええ……。」

「とても多忙な方なんだね」

「そうですわねぇ……。」

「それで……申し訳ないが、本来はご主人に挨拶すべきだとは思うのだけど、先を急ぐ旅なので……。」

「まぁ……。」

「食事が終わったらお暇させていただくとするよ。マダムのおかげで本当に助かった。恩をろくに返さずに去るのが心苦しいがね」

「では仕方ありませんわね……。」


 朝食を済ませたあと、クロウは身支度をして旅立つ準備をした。

 準備を済ませ玄関まで行くと、メロディアに挨拶をしようと思ったが姿が見当たらなかった。

 何も言わずに去るのは礼を失すると、クロウは声をかけてみたが返事がない。

 クロウは再びメロディアの名を呼びながら家の中へと入っていった。

 廊下の突き当りまで行くと、そこは子供部屋になっていた。今度生まれてくる赤子を迎え入れる場所、クロウはそう思ったが、すぐに奇妙なことに気づいた。

 その部屋はかなりの間、それも数年間放置されているらしく、揺り篭から何から埃がかぶっていたのだ。

 最初の子を死産か何かで失ったのか……。ならば昨日の反応にも納得がいく。クロウはそう結論づけると、再び声を上げてメロディアの名を呼んだ。 

 すると、台所の方から何かが倒れる音が聞こえてきた。

「メロディア?」

 クロウが台所に行くと、そこには腹部を押さえて苦しむメロディアの姿があった。

「メロディア!? 大丈夫か!?」

 しかし、メロディアはその呼びかけに苦しそうに答えるだけだった。

「大変だ……。医者を! ここいらに医者はいないのか!?」

「だ、大丈夫です……。」

 メロディアが額に汗を流しながら何とか声を出した。

「し、しかし……。」

「それより、できれば居間まで運んでいただけませんか……?」

 クロウはメロディアを抱きかかえ居間まで運んだ。

 メロディアをソファに寝かせると、クロウは井戸の冷水に浸したタオルを彼女の額に添えた。

「……ありがとうございます」

「……体が悪かったのかね」

「ええ……。ただ、元々病弱でして……。今に始まったことではありませんわ」

「そうか……。旦那さんには知らせなくていいのかね? 何なら、私がここの管轄の役所に行って……。」

 そう言って、メロディアに寄り添っていたクロウは立ち上がった。

「およしになって」

「しかし……。」

「夫に……迷惑をかけたくありません」

「奥方の一大事だ」

「ですから、いつものことなのですよ」

 クロウは改めてメロディアのそばに座った。

「……昨日お話したように、周囲は私との結婚には反対でした。それは私の出自だけではありません。この病弱な体なら、子が望めないかもしれないからです。それでも……夫はこんな私を受け入れてくれました。それどころか、彼は自分を卑下する私に、私こそが愛するに値する女性だとまで言ってくれました。私の全てを受け入れてくれた夫です。私に出来ることは、彼に報えるよう、常に夫を、家を支えることなのです。例え……例え家が傾き家名を失おうと、私はあの“威厳”の言葉を持つユリの花が咲く庭で、誇りを持って彼を待たなければなりません。それが、世界で最も私が高潔だと知る男性にできることなのですから……。」

「素晴らしい心がけだがねマダム、お前さんは本当にそれでいいのかい? 一番苦しんでいるこの時に、たったひとりなんだぞ?」

「愛と誇りの他に、一体何が必要でしょうか。それさえあれば、いかなる窮乏も苦難も耐えることができます。それに……。」

 メロディアはお腹をなでた。

「今、私はひとりではありません」

「……なるほどね」

 クロウはメロディアの額のタオルを取り替えた。

「素晴らしい夫婦だね、想像するに遠すぎて羨望も嫉妬も届かない。もし私もお前さんのような伴侶を見つけられていたなら、或いは流浪の身ではなかったかもしれない」

「貴女だって今からでも遅くはありませんわ」

「男はしばらく勘弁してもらいたい。この間も三人のブサイクに言い寄られたばかりだ」

 脂汗で顔を濡らしていたメロディアが目を見開き、そしてか細い笑顔を作った。ユリのように可憐な笑顔だった。

「……私も、もし貴女のように丈夫な体だったなら、或いは独りで旅などをしてたかもしれませんわ。庭で誰かを待つのではなく、自分から赴いて先々で様々な人々に出会う……。素晴らしい人生だと思います」

「そうかい? 旦那さんとのなれ初めを聞いてお腹がいっぱいだったし、お返しにお前さんの気が紛れるよう遠い異国の話しでもしようか」

「ぜひ」


 クロウは異国の話をメロディアに語った。ホビットの旅芸人一座と旅を共にしたことや、竜人の国の華やかな都市の情景、それにギルドで請け負った困難な依頼の数々、心躍る話もあれば命を落としかけた際どい話もあった。そして、旅先で知り合った男達との色恋も。

 メロディアはクロウの話しを腹の痛みを忘れて聞き入っていた。そして日の登りきる頃には安らかに寝息を立てて眠り始めた。

 クロウはしばらく眠っているメロディアを眺めていた。彼女の夫ではなくても、また男でなくても、メロディアには人の庇護欲を誘うものがあった。眠っている姿もまた細く頼りない、細心しなければ折れてしまうユリのようだった。

 クロウはメロディアが落ち着いたのを見て取ると、静かに彼女の家を発った。去り際にクロウはユリの咲く庭を振り返った。

 うつろいゆくのが常のこの世界で、もしかしたら不滅と呼べるものがあるのかもしれない。少なくとも、一日中眺めていても飽くことのない、たおやかな花のような恋だった。クロウは雨の気配を残す晴天を仰ぎながらヘルメスへ向かった。


 クロウが去ってしばらくすると、採石場の爆発音でメロディアは目を覚まし、そして束の間の友が旅立ったことを知った。

 メロディアは外に出ると、クロウが去ったであろう、家の前の小道をしばらく眺めていた。そして軒下の風鈴の音で庭を振り返ると、メロディアは目を細めて微笑んだ。ユリの花々の向こうの、仲睦まじい三人の親子の幻を見ながら。

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