不滅の愛と泡沫の花 その③

    ※


「で、ひとりでノコノコ帰ってきたというわけだ」

 昼間クロウに足を切られた男は、宿場町の一角の場末の酒場にいた。

 彼の正面には右側の側頭部からオデコにかけて、切り傷というには生易しい程に深い古傷のある、40代前半の男が座っていた。あまりにも深すぎて、頭蓋骨をえぐっているのではないかというほどだった。そのため、その頭全体の毛の薄さが傷のせいなのか禿げのせいなのかが分かりづらかった。

 傷頭は、席から立ち上がるとのっそりと斬られた男に近づいた。

「しかし親分──」

「社長って言えっつってんだろぉ!」

 傷頭は男の怪我している足に強かに蹴りを入れた。既に半分切れていた脛がいびつな方向に曲がり、男は床に倒れて悶絶する。

「ぎぃああああああああ! す、すんませんんん!」

 一人を除いて客のいない酒場の隅に陣取っている面々は、ここ数日クロウをつけ狙っていた。

 彼らは地上げ屋だった。先日、とある旅籠屋を違法な手段で追い出そうとしていたところ、旅費を稼ぐために旅籠屋の主人に雇われたクロウに返り討ちにあったのだった。

 ちなみに、彼が手下に“社長”と呼ばせているのは、その方がカッコイイと思っているからである。

「ったくよぉ、ここ数日で何人やられちまったと思ってんだ。このままじゃあ俺らのビジネスもままならねぇよっ」

 傷頭は酒を煽りながら当たり散らしていた。

「あの~、お……社長」と、部下の一人が恐る恐る手を挙げた。

「何だぁ?」

「別に、あの女のことはもうほっときゃ良くありませんか? 俺らの仕事は土地のころがしなんですから、別にあいつにこだわらなくても仕事はできるような……。」

「ばっかやろう! 強面で通してた俺らボルドヘッドが! 女ひとりにやられっぱなしときたら、周りに舐められんだろうが! 俺らに逆らったら女子供でもぶっ殺されるってぇことをよぉ! 天下に知らしめなきゃあいけねぇだろうがァ!」

 結局のところ、彼らはヤクザだった。

「しかし社長、このままだと仲間が減っていく一方ですよ」

「バッカ野郎、別に俺らの身内が直接やる必要もねぇ。頭ァ使えよ」

 傷頭はそう言って、頭の傷を叩いた。

「と、いいますと?」

「おい、ルシャン!」

 傷頭が言うと、店にいた唯一の客が立ち上がった。

 濃紺の詰襟つめえり姿の身なりの正しい男だった。場違いなルシャンの様子に、傷頭の手下たちは怪訝な顔をする。

「社長……こいつぁ?」

「本日付でウチ預かりになった用心棒さまだ。コイツをあの雑種野郎バスタードにぶつける」

「はぁ……。」

 手下たちは訝しげにルシャンを見る。ならず者集団の用心棒というには、彼はいささか折り目正しすぎるように見えた。ぴっしりと油で整えられた黒髪、瞳も黒々として大きい壮健な美丈夫の男だった。娼婦が悪ふざけで股間を撫でようものなら、たちどころに顔を泥酔したように真っ赤に染めかねないほどに、その生真面目さがたたずまいからにじみ出ていた。

「しかし社長、この旦那ぁ、腕は確かなんでしょうね?」

「心配するこたぁねぇ、コイツは元役人よ」

「役人?」

 手下たちがざわめいた。

「ちょいと故あって役人を辞めちまってな、仕事を探してたところを拾ってやったのよ」

「ほぉ~。じゃあ、剣術には覚えが……?」

「覚えどころか、そこいらの役人の中でもトップクラスよ。なぁ?」

「……強盗や盗賊相手になら、剣を振るったことも幾度か」

 ルシャンは毅然きぜんと答えたが、どこか気まずそうだった。

「信用できねぇなぁっ」

 テーブルを囲んでいた手下の一人が立ち上がった。手下たちの中でも、ひときわ体の大きい男だった。

「だいたい俺らの問題だってのに、よそ者の手を借りるってのが気に食わねぇ」

 大男はルシャンに詰め寄った。

「こんなどこの馬の骨とも分からねぇ奴に頼っちまったら、一体どうやってメンツを取り戻すってんだよっ?」

 傷頭が大男をなだめるように言う。

「……よし、オメェがそう言うなら、いっちょお手なみ拝見といこうじゃあねぇか」

 ルシャンは目を開いて傷頭を見た。

 そんなルシャンの様子の変化に気づいた大男が言う。

「おいどうしたよ、もしかしてぶるっちまったのかい? 優等生さんよぉ」

「……まさか」

 読みづらい表情でルシャンは答える。

「よし、表へ出なっ」と、大男が親指で出口を指差した。


 雨は既に止んでいた。男たちは店の前のぬかるんだ地面の前で円を組んで、ルシャンと大男を取り囲んだ。

「人が騒ぎを聞きつけると厄介だ、とっとと決めちまおうや。もちろんできるんだろうな、何たって用心棒を買って出る男とそれを倒せるって男だ」と、傷頭が言う。

 大男が剣を抜いた。バスタードソードだったが、彼が持つと片手剣に見えた。

「恨みっこなしだぜ」

 しかし、ルシャンは剣を抜かない。そんなルシャンを大男が嘲笑う。

「どうしたよ? 今さらビビったか? だったら頭下げて前金置いてとっとと消え失せろ」

 ルシャンが傷頭を見て言う。

「社長、何も真剣でやる必要もないだろう。木剣を用意してはどうだろうか?」

 突然のルシャンの提案に面食らった面々だったが、すぐに吹き出すように笑い始めた。

「さすがお役人様だぜぇ! 上品なこったァ! それともマジでビビっちまったかぁ!?」

 大男は顔を手のひらで覆いながら大笑いをした。

「大事にしたくないんだ。私だって表向きの仕事があるからね」

「ハァ~ハッハッハ~……。死ねぇ!」

 大男は大上段から剣を振り下ろした。ルシャンはそれを紙一重で避けた。

 剣術というよりも、棍棒を振り回すように暴れまわる大男。ルシャンが逃げ回り続けるせいで、彼らを取り囲んでいた手下たちは叫び声を上げて円を崩した。手下たちは、「おい、いいかげんにしろ!」とルシャンをなじった。

 そんな様を見ながら、手下の一人が傷頭に「あいつ、使えませんぜ……。」と囁いた。

 傷頭はむぅ、と不機嫌に腕を組む。

「いい加減に……しやがれっ!」

 大男のやぶれかぶれの一撃。疲れとでたらめな体勢で、体の軸がぶれていた。

 そしてその機をルシャンは見逃さなかった。

 大男の剣の柄を掴むルシャン。そして素早い体捌きで剣を捻りると、大男の腕の関節が逆に極まった。

「うぉ!?」

 さらにルシャンが大きく自分の体を捻ると、大男はふわりと一回転して地面に倒れた。ルシャンの手には大男の剣が握られていた。

 大男の剣を突き出してルシャンが言う。

「もう十分だろう」

 確かに勝負は決まったようだったが、大男にも手下たちにも消化不良な決着に感じられていた。

「……ま、役人だからな。相手を捕えるのが本分だ」と、傷頭が言った。

 手下たちがつまらなそうに去っていく中、ルシャンは激しく鼓動する心臓を悟られまいとその場にとどまり、しばらく呼吸を整えていた。

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