不滅の愛と泡沫の花 その②

    ※


 春の終わりの雨だった。この季節の変わり目の雨は雨水は冷たく、風は暖かいため、油断すると体調を崩しかねない。

 天気の移ろいの激しい山道を歩いていたクロウは、突然の雨を予想することが出来ず、仕方なく道中にあった廃屋はいおくになっている馬小屋で雨宿りをすることにした。

 しかし、その馬小屋は捨てられてかなり経っているらしく、雨漏りが激しかった。雨宿りをしたところで、細かな水しぶきがクロウの体を濡らし続けていた。

──まいったな。

 体を丸めて寒さに耐えながら、クロウは懐からシガレットホルダーを取り出し煙草を吸い始めた。本人は暖の代わりのつもりらしかった。

 クロウがしばらく煙草を吸っていると、誰かが廃屋に近づいてくる音がした。男たちを斬った昨日の今日なので追っ手かもしれない、クロウは音の方向を目を細めて睨んだ。

「どなた……ですか?」

 しかし顔を出したのは妙齢の女だった。亜麻色の髪を肩に流した目鼻立ちの整った女で、中流貴族によく見る、白のシュミーズドレスにショールを羽織った服装だった。

「ここで雨宿りをさせてもらっているんだが……もしかして、ここってお前さんの家だったかい?」と、クロウは探るように訊ねた。

「いいえ、近所に住む者ですわ。お家に帰る途中だったんですけど、人が使っていないはずのここから微かに煙が見えたので……。」

 上品な声の女だった。言葉使いからも、良家の者だということが分かった。

「これは失礼、不審火と思われてしまったかな」

「ごめんなさい。子供たちがここでいつも悪さをしているもので……。」

「いや、悪徳にふけっているという意味では悪さとそう大差はないだろうね」

 女は上品に口に手を当てて微笑んだ。

「でも貴女、こんなところでは雨宿りにならないでしょう?」

「なに、慣れっこさ。無宿人だからね、ひどい時には屋根すらない」

「まぁ……けれど、若い女性がこんな所でひとりでいるのはお体にも身の安全にも良くありませんわ。よろしければ私のお家にいらしてくださいな」

「申し訳ないが、見ず知らずの方にそこまでしていただくわけには……。」

「いえいえ、女ひとりの家ですから、私も誰かがいた方が安心できますわ。それに長いことひとりで、お話相手も欲しかった頃でしたの」

「しかし……。」

「良いでしょう? 私は今貴女にお願いをしているのよ?」

「……そう言われて断ってしまっては失礼に当たるな」

 女は微笑んで傘をクロウに差し出した。一つ一つの所作に育ちの良さをうかがわせる女だった。幾分か、演技的な振る舞いにも見えたが。


 女は名をメロディアといった。歳は33で、この近くの民家に夫と二人で暮らしているということだった。夫は役人で、仕事のためここ数日帰ってきていないという。

 借りた部屋着に着替え、タオルケットに包まりクロウが居間で待っていると、ティーセットを持ってメロディアがやってきた。

「本当は暖炉に火をつけたいのですけど、季節外れですから……。」

「とんでもない、着替えをお貸しいただいただけでも御の字だよ」

 メロディアは微笑んでテーブルにティーセットを並べた。

「お酒が一番体が温まるのですけど、あいにく私も夫もお酒を飲まないものでして……。」

「マダム、お気遣いいただいただけでも、宿無しの身としては嬉しい限りさ。人の優しさに触れること自体希なんでね」

 メロディアはそう、と言ってお茶を注ぎ始めた。

 お茶を飲んで体が温まったクロウにメロディアが訊ねる。

「旅人のようですが、これからどちらへ行かれるのですか?」

「ヘルメスへ。旧いに呼ばれていてね」

「まぁ、ヘルメスへ……。確かあそこはエルフが治めているとか」

「ええ、けれど戦後は伝統を重んじるエルフには珍しく、戦争で領地を増やした後は、商業や貿易で栄えているみたいだね」

「そのようですわね……。」

 クロウには、メロディアの顔が少し沈んだように見えた。

「戦後は、ここの国々は随分と様変わりしました……。栄えるものと没落するもの……日の昇った時は名家だった家が、日が落ちる頃には家が傾いたり……。」

 メロディアは遠い目をして過去を思い出しているようだった。

「特に……属州は転生者の都合で分割され、国によっては領地そのものがなくなったとか」

 そこまで言って、属州でこの話題はあまり快くないものかもしれないと、クロウは話題を変えることにした。

「しかし素敵なお宅だね。部屋の装飾から、マダムの気の配りようがうががえるよ」

「あら、ありがとうございます。夫が仕事から帰ってきたら、いつでも心安らげるようにと気を配っているのですよ」 

「素晴らしい。あの庭の花々も、とても丹念に手入れがされているようだ」

 クロウはバルコニーから覗く庭に目をやった。そこには色とりどりの花が咲いていた。

「ええ、私お花が大好きなの」

 そう言ってメロディアはソファから立ち上がり、ベランダに行った。

「今はちょうどユリの時期なのよ。……ほら」

 クロウも立ち上がり、メロディアの隣に並んだ。確かに彼女の指す方向には可憐な白いユリが咲いていた。雨のせいもあり、ユリの香りはより強くクロウの敏感な鼻をくすぐった。

「愛らしいユリだ」

「そうでしょう? 今は薔薇の季節ですし、大体のお宅は薔薇を植えるのですけど、私はユリが好きなの。たたずまいは可憐でも、花言葉は“威厳”です。夫はそのことを知りませんが、私はあの人の家の庭にはこのユリこそが相応ふさわしいと思っていますの」

「……旦那さんは役人だそうで」

「ええ……誇り高い人です」

 そう語るメロディアの表情はとても誇らしげだった。役人といえば貴族の次男坊がやる仕事なので、彼女の夫はそれなりの家柄の出自だと見てよかった。それでも、虚栄無しで夫を想いながらこんな表情ができる彼女は、よほど夫のことを誇りにしているのだろうとクロウは思った。

 ふと、クロウはベランダの軒下に細長い六角形の青銅製の風鈴が飾っているのに気づいた。

「……あれは?」

「ああ、風鈴ですわ」

「そのようだね……しかし、もう風鈴を出しているのかね?」

「あの風鈴は一年中出しているんです」

「一年中?」

「ええ、あの風鈴は夫が私に初めて贈ってくれたものなのです。あれを飾って音が鳴ればいつでも主人が近くにいるように感じられて……。」

「初めて?」

「ええ、かれこれ20年以上前になりますわ」

「20年以上? じゃあ……。」

「はい、彼と私は幼馴染なんです」

「それはそれは……。」

「彼とは幼い頃より将来を誓い合った仲でした。指輪などはまだ子供でしたから到底……。それで夫はあの風鈴を夜店で買って、私に贈ってくれたのです」

「その……20年来の幼なじみという事は……つまり他に異性との色恋は」

「初めて恋をした相手が、自分にとって最上の相手だと既に知っているというのに、どうして他の殿方に心を動かされる必要があるのですか?」

「……あまりにも淡いお話で十分に体が温まったよ、マダム」

「まぁ」


 その後、メロディアは彼女の夫の話をクロウに延々と語り続けた。

 夫が由緒正しい貴族の家柄だということ。夫の両親は違う結婚相手を望んでいたが、周囲の反対を押し切って結婚したということ。平民出で病弱な自分を受け入れてくれた夫に恥じぬよう、貴族の作法や礼節を勉強したことも。

 また、彼女の夫は人格者であるだけではなく、剣術にも優れ、イードゥンの都で開かれた剣術大会で準優勝をし、役人としても高潔な仕事ぶりで周囲の尊敬を集めているということだった。

 そして……。

「おめでとうございます」

「ええ、もうすぐ三ヶ月になりますの」

 メロディアは妊娠しているということだった。

「ならば待望の第一子ということになるわけだ」

 と、クロウはほがらかに言ってみせた。

?」

 しかし、何故かメロディアはそれに怪訝な表情をした。

「あ、いえ……なんでもないよ」

 幼馴染で結婚して、30過ぎて授かった子だというのに、そういった反応をするということは何かしら事情があるのかもしれない。

 社交術は身につけているものの、人づきあいを基本的には好まないクロウは少し面倒くささを感じ始めた。

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