第4話 狼男は赤色がお好き

 教会の前でガキ達が泣いていた。その前でぶっ倒れているのは昨日俺を睨みつけていた男だ。俺は、担いでいた熊を地面に落とす。俺に気付いたガキ共が泣きながら駈け寄って俺に抱き着いて来る。


「シスターが! シスターがぁ……!」


「う、ぐ……アンタ、戻って、来たのか……」


 男が身体を起こして俺を見た。俺はガキどもに抱き着かれたまま男を見下ろす。争った跡、そして残る匂いは複数の男の臭い。悪意の匂い。俺は顔をしかめる。


「何でシスターだけが連れていかれた。昨日の意趣返しならガキ共も連れて行くだろう」


「領主の手先が突然……アンタが目的だって……シスターがアンタをかばったら、アンタをおびき寄せる餌にさらわれちまった」


「俺を? は、馬鹿な事したもんだ」


 俺は思わずそう言う。まったく馬鹿だ。その言葉を聞いてボロボロな男がよろめきながら立ち上がり、俺の胸ぐらをつかむ。


「馬鹿な事だと!? アンタを出せと迫って来たごろつき達に、シスターは一歩も引かずにアンタを守ろうとしたんだぞ! それを……がっ」


 その手を掴み、力を籠める。男が苦悶に顔をゆがめる。開いた手を離させ、俺は胸をざわつかせる苛立ちをそのままに男に尋ねる。


「領主の館はどこだ」


「行くつもりか? は、アンタがどれだけ強くっても領主の館には雇われたゴロツキが何人も住み着いてる、死にに行くようなもんだ」


「そいつらはそこの熊よりも強いのか」


「熊? 何を言ってー……」


 男が、俺が担いできた熊を見て絶句する。まだ泣いてるガキ共の頭を一度ずつ軽く叩き、俺は男を見る。


「……少なくとも、お前はそのごろつきに立ち向かったんだろ。一人でよ。やるじゃねえか、昨日俺に食って掛かっただけはある。肉は譲ってやるよ、皆で食え」


 男は俺の言葉に驚いたように目をかっ開く。そんな意外な事じゃあないだろう。魔族ってのは力が全てだが、負けることが分かってても立ち向かう奴を笑う不心得な戦士は居ない。


「3度は聞かん。領主の館はどこだ」


「此処から西に行けば整備された道に当たる。それに沿って山側に向かえばある」


「そうかよ」


「アンタ……死ぬぞ、相手は熊じゃない。武器を持った人間だ」


「おいおい、シスターが攫われたのは俺のせいなんだろ? お前が食って掛かったじゃねえか」


「それはそうだが……」


 言いよどむ男。俺は、俺達の話を邪魔しないように泣くのを堪えてたガキどもの前にしゃがむ。ぐちゃぐちゃな顔しやがって。


「お前らは立ち向かえもせず、シスターも守れなかった。手前等は弱い、だから守れなかった。判るな」


「お、おい、アンタ、子供達になんて事を」


「そして、こっちの男も弱かったからシスターを守れなかった。そして、ここの村の奴等も全員、戦えなくて腹を空かせて、結局お前らを売った」


 男が言葉を失い俯く。一番小さいアンはよく分かってない顔。アルはやっと気づいたようで泣きそうな顔をして、年上のメアリは男を泣き顔で睨む。俺はそのメアリの顔を見て、だが、と言葉を続ける。


「まず生きる事だ、それ以上に優先されることはねえ。だから、こいつや村の奴らがやったことは、お前が責める事は出来ねえ。お前は自分で飯を取る事も出来ないんだ、弱い奴は人を恨む権利はない」


 アン以外の全員が顔色を失う。そんな様子を見たアンは、泣きそうな2人を見て俺を見上げる。ふくれっ面で、俺の脚をぽかぽかと叩いた。


「狼さん、お兄ちゃんたち泣かしちゃダメ。喧嘩したら、シスターに叱られる」


「叱られるか、はは、そりゃあ怖いな。だがなアン、喧嘩しなきゃあいけない時ってのもあるんだ」


「喧嘩しなきゃ……?」


「お前にはまだ早いがよ」


 キョトンとしたアンに俺は笑ってしまう。俺は立ち上がり、メアリ、アルの順に頭を撫で、そして最後に、男を見下ろした。


「弱けりゃあ奪われる。奪われたくなきゃあ強くなるこった。じゃないと、守りたい物を守れない悔しさを味わう事になる」


「じゃあ……じゃあ、俺達はどうすればよかったんだ!! 領主に逆らって皆で滅べと!?」


 血を吐く様な声で叫ぶ男に俺は肩を竦める。そこまで俺は面倒は見れない。そもそも俺は人間を滅ぼす側だったしな。


「俺はお前らの教師じゃあない。だがよ、ジリ貧ってのは俺は趣味じゃねえな。……まあ、そこんとこはシスターが戻って来るまでに考えとけよ。俺に食って掛かる分、お前とあの女はまだ旗を振る力もあるだろうよ」


「あんた……」


「俺もこの辺りの生まれだって言ったろう。俺のシマで好きにやってるヤツが居るなら、ちょいと身の程を教えないとな」


 言葉を失った男から顔を外し、歩き出す。アンの声。


「アンも、狼さんみたいに強くなれる?」


 肩を竦めた俺の頭に浮かぶのは、俺と最後まで殴り合った勇者の顔だ。


「どうだろうな、だが、俺の知ってる人間は、俺位には強かったぜ」


 言葉だけを残して、俺は領主の館に向かって駆け出した。



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 その館はあっさりと見つかった。豊かな自然の中に無作法に居座る石の壁。木々よりも高い塀はここの領主の小心を現しているようだった。その大きさに対して門は小さく、槍で武装した門番も立っている。真正面から行っても分が悪いだろう。


「人間ならな。……突破しても良いが、騒ぐうちにシスターが殺されても馬鹿馬鹿しいか」


 俺は裏に回り塀を見上げて地面を蹴った。変身するまでもなく、靴裏で壁を蹴れば更に上に飛び上がる。息を吐く間もなく俺は壁の上に立っていた。それなりに広い屋敷だが、庭にもうろつく武器持ちの人間の姿。門を突破してもゴロツキが数で押し寄せるって寸法だろう。だが、壁の上の俺にも気づかないようでは質もたかが知れている。


「匂いは……まあ、あそこだな。偉ぶりたい奴と馬鹿は高い場所にいるって相場も決まってるが、捻りもねえな」


 館の中央に突き出た塔のような一棟。そこの窓際に人影があった。シスターだ。あっさりと見つかり過ぎて面白みも無いが、手間取るのを楽しいとも思えないので俺は脚に力を籠め、背をたわめる。ひとっ跳びでその塔の外壁に取り付き、苦も無く窓際まで登る。

 シスターは分厚い窓の向こうで驚いた顔をした。それから慌てたように首を振る。助けるなとでも言うのだろうか、馬鹿馬鹿しい。俺が右腕を振り上げると、シスターは慌てて窓から離れた。遠慮なくぶち破って中に入る。半端な毛の長さの絨毯の上を、部屋の隅まで逃げてたシスターに向かって歩く。


「おう、帰るぞ」


「ま、窓からなんて……え、ええ、た、助けに、来て下さったんですか……?」


「朝飯がまだなんでな、材料は取って来たんだからさっさと作ってくれ」


 俺の言葉に目を丸くしてから、しかしシスターは首を振って近づいた俺を両手で押し返す。


「駄目です、帰って下さい! ……よく判りませんけど、領主さまの狙いは貴方なんです。私は罠なんです! 貴方をおびき寄せる為の!!」


「んなこたァ判ってるさ、だからどうした」


「どうしたって……領主さまに見つかったら、いくら貴方が魔物でもすぐに囲まれて退治されてしまいます!」


「俺がァ? はは、人間如きが俺を追い詰められるもんかよ」


「ほう、ならば魔物であればどうだ?」


 突然声が増える。次の瞬間、俺は酷い虚脱感に襲われて思わず片膝をつく。この感覚は昔一度味わった事がある。


「吸精……ドレインか」


「ほう、ほう、ほう、よくご存じで」


「ああ、俺と働いてた奴が使っててな」


 顔を向けると、部屋の入り口に小太りのちょび髭男が見えてるのか見えてないのか分からない目で俺を見ている。その後ろに他の気配はない、一人か。


「人間の傭兵共には内緒ですからねえ、私はただの人間ですから? ほほ、ほ、しかし、私以外の一族の者と知り合いとは珍しい」


「隣に立たれるのも怖気が立つくらいに気持ちの悪い奴だったぜ。お前と同じ目をしてた。お前ら一族とはそりが合わないってはっきりわかったぞ」


「おやおや、初対面の相手になんと言う口の利き方をなさいますかねえ。伝説の人狼族とはいえ、しつけは犬程度の物ですか」


「他人様の獲物の横取りなんて犬もしねえぜ? つまるところ、吸精鬼の一族はワンころ以下って事か」


「お言葉ですねえ……弱い犬程よく吠える。足腰が立たない姿では悔しいとも思いませんがねえ。 ほほ、ほ、しかし流石は伝説の血族。オーガ位なら一瞬で昏倒するような量を吸わせていただきましたが……いやいや、まだお喋りをする元気があるとは」


 趣味の悪い、金だけかかった服を着た男がゆっくりと部屋に入ってくる。シスターが俺の後ろに身を寄せるのが分かった。


「りょ、りょりょりょりょ領主様が魔物!? そ、そんな、先代様までは歴々続く人間の家系だったはずでは……!?」


「ええ、ええ、この身体の男はそうでしたよ? 今は私の入れ物になっていますけれどねえ」


「はっ、精を吸い意識を乗っ取り成り代わる。自分の身体すら持たない情けねえ魔物さ」


「……口が過ぎますねえ……魔王様への献上物に良いと思って優しくしていましたが、少ぅし灸をすえましょうか……ねっ」


「ぐ、っ!?」


「狼さん! 大丈夫ですか!? ああ、私を助けに来て下さったばかりに……」


 領主の片目が開く。その瞬間から俺の身体を襲う虚脱は強まり、俺は片手をついてしまう。背中でシスターが泣いてるが……しかし、俺は先に聞かなきゃいけない。


「……っ、で、伝説の、ってなァ……どういう事だ……魔王に献上、っするほど、珍しくもねえだろう……ッ」


 開いた片目を瞬かせる男は、ぐるりと目を回してから大声で笑う。


「これは僥倖! 珍しくないと言えるほどの人狼族の群れがあるのですね! ほほ、ほほほ、辺境方面軍など閑職だと腐っておりましたが、拾いものですねえ」


「答えろ!」


「ええ、ええ、どうせもうすぐ精も根も尽き果てるのです。その後は魔王様の供物とされるのです、教えて差し上げましょう。その後で、貴方の一族の居場所も教えて下さいねえ」


 大根役者の身振りの様にねっとりとした動きで両腕を広げて笑う領主……霞始める視界、しかし、揺れる身体をシスターが後ろから抱きしめて押さえてくれている。俺は、指先が冷たくなっている手で、シスターの身体を後ろ手で軽く叩く。シスターが息を飲むのが分かった。気絶してないだけでも上出来だ。


「貴方達 人狼族は魔王様の片腕と呼ばれるほどの者を輩出しておきながら、忌まわしき勇者達との戦いで裏切って勇者に加担したのです。魔王様は復活なさってから、人狼族の生き残りを探しておられましてねえ……また現れるであろう勇者と併せて探しておりましたが……ほほ、この功績で、私は魔王軍の中枢に返り咲くのです」


「ふう、いん……?」


「ええ、裏切者の人狼アルジズ……おお忌まわしい名前だ……その者に邪魔をされている間に矮小な人間が恐れ多くも魔王様に深手を与えましてね。ほほ、しかしそれでも我らが魔王様を滅ぼす事など人間に出来るはずもなく、勇者共は小手先の封印を施して先送りにしたのです」


 あいつら、何してやがんだ……、俺は歯噛みする。俺が手伝ってやったのに、あの馬鹿! じっくり細切れにでもしてやりゃあ良かったんだ! まるで自分の手柄のように胸を張って語る領主を見ながら俺は歯噛みする。俺の表情に気付いたのか、もう一段調子に乗った顔で口角を上げる領主は、俺に近づき、俺の髪を乱暴に掴む。ぶちぶちと何本か抜ける音。


「お、おおおお、おやめください、領主様……どうかこの人をお許しください……ッ」


「やめ、ろ、お前は、口を出す、な……」


「触るな、人間風情が。こいつが来たからにはお前は用済みだ」


 シスターが懇願する声がする。遠くで話しているように聞こえるのは、相当ギリギリまで精気を吸われている証拠だ。俺は腕を上げ、領主の視界を遮るように手をかざし、シスターの前に立ち上がる。ふらつくが、シスターが背を支える。


「ほうほう、いやいや、若いってのは良いですなあ? 伝説の人狼も体力馬鹿だったようでしてねえ、勇者共との決戦まで残ってたらしいですねえ。ほほ、ほ、ですが、魔王様の至高の御息を受け跡形も残らず消し飛んだとも、情けない事です」


「……勇者、達は……どうな、った……」


「勇者達? ほほ、何を言ってるのですかお前は。生きてるはずが無いでしょう」


 復活した魔王が復讐した。訳では、ないだろう。


「数百年も昔の話なのですから、人間が生き続けているはずもない」


 ……ああ、やっぱり。俺は天井を仰ぐ。精気が吸われ過ぎて霞んでいた頭がすっと冷えていくのが分かる。そうか、数百年も昔の話か。


「しかし人間は厄介ですからねえ……滅ぼそうとするとまるで羽虫のようにしつこく力を持つ者が現れる。その片鱗がある者を捜索するのが、私達辺境方面軍の役割でして。ほほ、いやいや、繰り返すようですが、貴方には感謝しますよ。私の出世の役に立ってもらいましょう」


「俺も、……お前に感謝するぜ、ヤドカリ野郎……やっと、色々ハッキリした」


「ヤドカリ……ケダモノは優しくすればその分つけ上がりますねえ……もう良いでしょう、息さえあれば情報などどうとでも吸い出せる。何なら私が精気を吸いつくして貴様の身体を奪っ……」


 言葉を止めて領主は片目を見開く。俺は膝に力を入れて、片手でシスターを後ろに押しやる。温かさが、柔らかさが離れるのを感じてから、俺は深呼吸する。


「判ったぜ、俺がここに来た理由。俺がしなきゃあならねえこと……」


「き、貴様、まだ力を残していたのか……しかし、これで、どうですっ!!」


 両目を開き、俺を睨みつける領主の前で、俺は指を組んで軽く鳴らす。さっきよりも吸い上げる力は強くなるが、それ以上の速度で俺の身体の中で力が膨らんでいくのが分かる。髪が伸び、身体が電光を纏い始める。纏う衣服が身体に同化して、真っ白の毛並みに変わっていく。


「そ、そんな、私が全力で吸い上げているのに……ッ、そんな、こんな力がどこに!? 吸い上げた分私の力も強くなっているのに、それ以上に……ひ、ひいっ」


「海の水をコップで汲み切れるか? ほれ、まだまだ溢れるぞ」


 狼狽える領主が俺の頭から手を放す。すでに俺は小男が見上げるような体躯になっていた。俺の毛色よりも白い顔になった領主を見下ろし、俺は笑う。


「それに、その光……! 裏切者の人狼と同じ力! 雷を操る人狼など伝説の中だけで……ッ!?」


「おいおい変な事で驚くなよ、お前の上司だって伝説の生き物だろ? ゴルディアの野郎ばっかりが特別じゃあねえって事さ」


「ま、魔王様の御名を気安く呼ぶとは不敬なっ」


「気安くもなるさ、俺はあいつの片腕だった。最後まで同じ戦上に立ってたんだ、文字通り立場は対等だぜ?」


 その言葉で領主は端が切れちまうくらいに目を見開いた。俺の力を吸い過ぎた目は全部真っ赤になっていて、ああ、もうこりゃあ見えてねえな。


「ま、まさか……貴様は……『獣王』アルジズ」


「良く出来ました」


 電光。瞬きの間もさせずに領主は蒸発した。身体はただの人間だから、あっさりしたもんだった。


「お前の名前は憶えてやらねえ、伝説にも残らず消えな」


 僅かに残った焦げたような臭いを手で払う。領主の居たあたりの空気が青白く輝いているが、すぐに消えた。痕跡すら残っていない。

 この力をもってしても足止めが精一杯だった魔王。復活したあの糞トカゲは今どれだけ力を取り戻しているだろう。


「……狼、さん……貴方が、『獣王』……絵本や、読み物の、……あの?でも、何百年も前の……」


 後ろからの声に俺は振り返る。シスターが俺を見上げてぽかんと口を開けていた。抜けた様な表情を見て俺は思わず笑ってしまう。


「の、はずだ。俺もなんで今ここにいるかは分からんけどな。なんだっけ、伝説だと俺はゴルディアの一撃で退場してるんだろう?そこからそのまま記憶が此処に繋がってるんだよ。俺だってよく分からねえんだ」


「そんな事が、本当にあるんですね……おお神よ、この乱れた世に勇者を遣わしたもうたのですね……」


「やめてくれ、俺はむしろ勇者の敵だったんだぜ?」


「でも、最後に勇者と共に魔王を討たれたのでしょう?」


「いやまあ、そりゃあそうだが……」


 あんまりにも真っ直ぐに俺を見るもんだから、俺は言い淀んでしまった。シスターはそんな俺を見て笑い、俺の手を握った。毛におおわれた大きな俺の手を、自分の小さな手で包むようにして自分の額に押し当てる。


「少なくとも、今の私には貴方は、勇者です。私を、私達を救ってくださいました。有難う……有難う、ございます」


「……柄じゃあねえよ」


 なんと言っても、この故郷を出てから長い事勇者の敵として戦い続けてきたのだから、収まりが悪くて仕方がない。しかし、しかしだ。


「数百年で、勇者も死んでるか。……まったくよ、半端な事をしやがって……魔王を倒すって俺に何度も挑んできたくせしてよォ……」


「……征かれるの、ですね?」


 まったくこの女は察しが良すぎる。俺が迷ってる事を、まるで決まった事のように尋ねてくる。俺は思わず口の端をゆがめて笑ってしまう。それを見て確信したシスターは、俺に抱き着いてきた。その身体は、俺が助けに来た時よりもずっとか細く震えていた。


「いけません、死んでしまいます! 狼さん、貴方が伝説の魔物でどれほど強くても、相手は魔王です!」


「よく知ってるよ、あのバカトカゲの強さもな」


「それに、さっき領主様が言ってました。勇者を探してるって……つまり、勇者様は居ないんですよ!」


「だろうな、あいつらは大体ギリギリにならないと出てこないんだ。俺の知ってる勇者もそうだった」


 もう少しで人間を滅ぼして世界を征服出来る。そのタイミングで現れて、攻め上がって来たのだ。今回もそうなのかもしれない。


「もう、貴方はそんな暢気に……貴方は一人で戦う事になるんですよ!?」


「かもしれんな」


「人間の国にも魔王に恭順してる場所も……それも敵に回すんですよ!?」


「しゃーねえさ、俺もそれで魔王の片腕なんてものやってた」


「ましてや貴方は、伝説でも魔王に殺されて……ッ」


「それを言われたら痛いん、……だ、が」


 俺は思わず言葉を止め、俺を見上げるシスターの表情をまじまじと眺める。大粒の涙が零れて頬を伝っている。シスターは泣いていた。何故?


「……私は、貴方に死んでほしくないんです。見知らぬ私達を助けてくれて、兎を取って来てくれて……あんな風な、食事は久しぶり、だったんですから……皆、笑顔で……」


「シスター……」


 言葉が浮かばないで、俺はそこで初めて、シスターの名前を知らない事に気付いた。まごついているうちに、シスターは俺の胸に飛び込んでいた。俺の胸板に顔を押し当て、涙を拭う事すらせずに。


「あの子達も、貴方に懐いています。……貴方が良ければ、一緒に居て下さい。私達と街に行き、暮らして下さい……死にに行かないで……ッ」


 肩を震わせて子供のように泣くシスターを見下ろし、俺はぼんやりと思う。魔王軍に入ってからこれまで、誰かにこんな事を言われた事はあるだろうかと。……魔王軍に属してから、一族の皆とは会えないままだった。会えないまま、俺の知らない間にゴルディアに殺されていた。魔王軍では味方はいたが、仲間なんていなかった。誰かが死ねば誰かがその座を奪い取っていく。魔王は軍をコマのように使っていた。心配しあうなんて事はなかった。例外はエオーの奴くらいか。

 そこで思い出す。勇者といつも一緒に居た勇者の仲間達。俺よりも一人一人は弱いのに、しぶとかった。俺が誰かに止めを刺す前に身を挺して挑んできて、その間に回復されて手を焼いたものだ。自分よりも強い勇者を守るために、弱い人間が前に立ったこともあった。

 ……馬鹿な奴らだ、理解できない奴等だ、と思ってた。今だって思う。誰かが止めを刺されている間に狙えば、もっと効率的だったろうにと。……でも、きっと、それをしなかったから、それよりも仲間の命を優先したから、アイツらは『勇者』だったのだ。


「まったくよ、本当にまいるぜ、勇者ってのはよ。……なあ、シスター。名前、教えてくれねえか。お前の名前と……あと、勇者の名前」


 その問いかけに驚いたように顔を上げるシスター。化粧もせず、涙でぐしゃぐしゃな顔を、俺は初めて、綺麗だと思った。


「私は、エオローと申します。」


「エオー……いや、エオローか……はは、まったく、これも縁って奴かね」


 その言葉に、よく分からないというように首をかしげるシスター。その仕草もどこか、今はもう居ないアイツと似ている気がした。……比べちゃあ失礼か、と苦い笑いが浮かぶ。


「……俺のダチと似た名前だって、さ。……勇者の方は?」


「ティール様、と……あの、失礼ですが、何度も戦われていたのでは?」


「それがな、俺は知らなかったのさ。あいつは殺すべき相手だとしか思ってなかったから、興味もなかった。……何か少し、何でもいいから話して置けば良かったと思ってるよ。……ほれ、そんな話をしてたら、迎えだぞ」


「迎え? あ……」


 俺はそう言って、そっとシスターの細い肩に手を置いて身を離す。寂しそうな顔をしたシスターが、何かに気付いたように窓の外を見る。シスターを呼ぶ声。シスターが割れた窓から落ちないように外を見れば、傭兵達が誰かと闘っている。村人達だ。シスターの上から見て俺は感心した。


「思ったより手勢が多いな、あの野郎、俺にたきつけられる前から準備してやがったな?」


「準備って……」


「反乱のだよ。やるじゃあねえか、これなら安心だ、傭兵共も領主が居ない事に気付いて尻尾撒いて逃げ出すだろうしな。エオロー、お前はここで待ってろ、俺もちょいと手伝って行く」


「そのまま、征かれるのですね」


「そのつもりさ。人間の村の事に魔物はいない方が良いしな」


「アルジズ様」


「あん?」


 振り返った俺の首に軽い重みがかかる。飛び掛かってきたシスターが細い腕を回してぶら下がる。そのまま、俺の鼻先に柔らかい暖かさを覚える。すぐにそれは、シスターの身体ごと離れてしまうけれど。薔薇を散らしたようなシスターの顔色を見れば、何があったかは俺にも分かった。


「……前払いです。ちゃんと残りも、貰いに来てください。じゃないと私、怒りますから」


「真っ赤な顔をしてすごんでも怖くないぜ、エオロー」


「っ! み、見ないでください!」


 そう言って慌てて両手で自分の顔を隠すエオロー。俺は思わず笑う。


「良い色だと思うぜ、悪い気分じゃあない。……赤ってのは、気に入らない色だったんだがなぁ」


 割れた窓に風が抜ける。その風を受けて揺れている趣味の悪い真っ赤なカーテンを見る。俺はそれに手をかけて軽く引っ張り宙で払う。引きちぎれたカーテンはそのまま首周りに巻き付き、背に流れる。


「真紅の、マント……」


「趣味じゃあないんだけどな、ま、ゲン担ぎだ」


 そう言って俺は窓に脚をかける。塔の下を見下ろした俺に、エオローが声をかける。


「やっぱり、貴方は神の御使いです」


 その言葉に俺は振り返り、笑う。あいつらが遺した仕事を引き継ぐんだ。……名乗ってもいいだろう。


「いいや、ただの勇者さ」




 ――――――『狼男は赤色がお好き・完』

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【短編】狼男は赤色がお好き くーよん @cw-yong

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