第36話 貴族の娘は挑戦する
「畑仕事で忙しいところ申し訳ないのですが、一度お手合わせ願えませんか?」
夕日が佇む時間帯。
もう生徒は誰も残っていない。
私は中庭に降りて、黙々と雑草や小石を拾っては一か所に集める先生に声をかけた。
「忙しいから他を当たってほしい。あっ、フラム、次はそっちから頼む」
「……はーい」
「………………あの? す、少し話を聞いてもらえませんか?」
まったく見向きもしない先生は、再び両手を動かしている。相当に早い速度だ。瞬く間に雑草が消えていく。
そして……返事はない。
なぜか一緒に作業をしている火妖精が気の毒そうにこちらを眺めていた。
私は思わず大きな声を出す。
「あのっ!」
「ん?」
「お手合わせを……してもらえませんか?」
「忙しいと断ったと思うが……」
「い、忙しいって草むしりですよね?」
「草むしりだな」
「それって……そんなに重要なんですか?」
私の素朴な質問に、先生はぬうっと立ち上がった。そして腕組みをして考え込み、「わかった」とつぶやいた。
「えっと、君は確か……マイケル……だったかな?」
「…………レイチェルです」
「そうかそうか。草むしりの重要性をまだよく分かってもらえてないのだろう。確かにまだ講義では話していない部分だった。すまない」
「……いえ……それは別にどっちでもいいんですけど……」
私の名前を男の子っぽく間違えたことには何の謝罪も無い。というか、私、何度か名乗ったわよね?
先生の自慢のゴボウだって真っ二つにしたのに。まだ覚えてないなんて。
「とにかく、手合せしてもらえませんか?」
「いや、まずは雑草についての講義を先に済ませ――」
「主様! アルノートさんに生徒の悩み優先で、って言われてるでしょ! ダメだよ……ちゃんと悩みを聞いてあげないと」
「…………そうだったか?」
後ろから、見かねた様子の火妖精が助け船を出してくれた。悩みというほどではないけれど、とてもまっとうな意見だと思う。
この人は常識人だ。
それに引き替え……目の前の先生ときたら。
何が悲しくて放課後にマンツーマンで雑草の講義を聞かないといけないのか。
「主様、ほらっ……聞いてあげて。たぶん悩み事だよ? 草むしりはうちがやっとくからさ」
「分かった、分かった。だから押すな」
火妖精がぐいぐいと先生の背中を押して私の方に近付けようとする。
まったく体は動いてはいないけれど、気持ちはとてもありがたい。
この際だから、悩んでいることにしてしまおう。
「あの、手合せお願いします」
「それが悩みなのか?」
「はい……先生がどれくらい強いのか気になってしまって」
もうはっきり言ってしまおう。たぶん先生にはこの方が早い。
「なるほど。じゃあ手合せしてみようか」
「ほんとですか!? 是非お願いします!」
「手合せの方法はどうする? 草むしりのスピードか? それとも……クワを振る速さ比べかっ!?」
「…………普通に剣での勝負をお願いします」
「……剣? 悪いが剣は一度も持ったことがない」
「…………え?」
「草刈鎌なら経験があるんだが……剣はないな」
「えぇっ!? じゃあ槍はっ!?」
「槍? ……ない」
「斧は?」
「斧はあるぞっ! 巻割りにも使うしな!」
「…………じゃあ、それでいいです」
巻割り用の斧って戦闘用の斧と一緒だっけ?
もう何でもいいかなって気持ちになってきたけれど。
本当にこの学校の先生に選ばれた人なんだろうか。
私があきれ果てていると、火妖精が慌てて向こうから飛んできた。聞き耳を立てていたのだろう。
「ちょーっと待った! 主様、うちが説明するから斧はやめとこ! 主様の斧ってミジュが『神断』って名前つけたやつでしょ!?」
「もちろん。あれ以外無いからな」
……しんだん? って何だろう?
巻割り用の斧に名前をつけているなんて、やっぱり変わった先生だ。
「レイチェルさん、ちょっとだけ待って! ちゃんと主様に説明するから。うちがしっかり、丁寧に丁寧に説明してくるから、ちょっと時間ちょうだい!」
「別に構いませんけど……」
***
数分後。
片手にゴボウらしきものを持った先生が、こちらに歩いてきた。
畑の側のベンチで待っていた私は腰を上げる。立ち上がった拍子に気味の悪い小さな植物が動いたように見えた。先生が新しく植えていたものだろう。
「待たせてすまなかった。フラムに事情を聞いてやっと分かった」
「いえ……別に構いませんけど、もしかして、持っているそれで戦うんですか?」
「ああ。あいにく剣が無いのでね。牛刀や草刈鎌ならあるんだが、フラムにそんな戦闘向きじゃないものはダメだと怒られてな……適当なものが無いので形が似ているゴボウにしたんだ」
絶対にゴボウを戦闘向きと言う人は他にいないけれど、あれは甘く見てはいけない。
たぶん異様に硬いあのゴボウだ。下手をすると並みの刃物よりも硬い。それは私がよく分かっている。
だとすると、この支給された剣では厳しいかもしれない。
「……もう何でもいいです。早速始めてもいいですか?」
「いいぞ。だが、俺は戦闘経験が無いから、マイケルの期待しているような手合せはできない。そこは許して欲しい」
「レイチェルです……」
わざとだろうか。さすがに腹が立ってきた。
しかも、この期に及んで素人だと言う。<テレポート>すら使える人間が。
負けた時の言い訳だろうか。
こう見えても、私に真正面から勝てる先生は数少ない。
ぼっこぼこにしてやる。
「じゃあ、行きます」
私はそう宣言すると同時に、地面を蹴って抜刀した。
***
「ちょっと!? どうしてさっきから逃げてばっかりなのよ!?」
「手合せでの戦い方が分からないからだ」
必死に追い回す私は、息を荒くしながら、前を走る背中に怒鳴る。
先生は開始と同時に反転し、一目散に走り出したのだ。
私が「戦って!」と言った時だけ停止して、振るう剣を散々にかわしてまた逃走。これの繰り返しだ。
しかも、洗練された避け方ではなく、体ごとその場からいなくなる避け方。上空にジャンプしたり、私の頭の上を飛び越えたり。
最初は驚異的な動きにびっくりしただけだったけれど、それよりも嘲笑うように逃げるその性根に腹が立ってきていた。
「戦いなさい!」
またぴたりと停止した。
私はここぞとばかりに剣を振り下ろし――と見せかけ、横に薙ぐ。
だが、先生はゴボウで受け止めることもしない。今度は大胆にしゃがみこんでかわすのだ。
戦闘中にあるまじき回避。
学校トップクラスの剣速がまるで役に立たない。
動きは素人に間違いないけれど、身体能力がおかしすぎる。
「これじゃ、手合せの意味がないじゃない! 剣で受け止めてよ!」
「そう言われてもな……剣術などまったくわからん。ゴボウでどう受け止めればいいんだ?」
「私が知るわけないでしょ!?」
苛立つ私はとうとう剣以外の攻撃を行う。片足で前蹴りを繰り出したのだ。
少しの砂を同時に巻き上げ、目つぶしを狙う泥臭い攻撃。
だけど、繰り出した先にはもういない。体ひとつ分左に移動して、困惑した表情でこっちを見つめている。
信じられない。
「もうっ、真面目にやってよ!」
私はとんっと大きくバックステップを行った。畑の側に逆戻りだ。
そして、剣先を先生に向けて持ち上げる。
「何でもいいから、一度剣を受け止めてくださいっ!」
「……ゴボウだがいいのか?」
「何でも構いません。だから、次は――――いたっ!?」
沸騰しかけていた頭が一気に冷えた。右足首に激痛を感じたからだ。足下を見れば、皮のブーツに何かが喰いついていた。
じわじわと血が染み出てくる。
「なに、こいつ!?」
食らいついているのは牙を持った植物だ。立ち上がった時に動いたように見えたそれだ。
茎が異様に伸びていて、二枚葉の間に紫色のとがった歯のようなものが生えている。
背筋がぶるりと震え、顔が引きつった。
私は、反射的に剣を茎に振り下ろした。
だけど――
「切れないっ!? どうして!?」
バウンドするように細い茎が刃の勢いを受け流し、私の剣は見事に跳ね飛ばされた。しかもすごい力だ。
込めた力以上の力が返され、危うく手離すところだ。
驚愕と恐怖が同時に襲ってきた。
得体の知れない噛みつく植物に剣を弾き返されたことで、思考が散り散りになってしまう。
私は二度、三度、剣をがむしゃらに振り下ろす。
けれど、到達点を見切っているかのように、植物は柔軟に受け止めては返してくる。
「このぉっ!」
「待てっ」
剣にマナを流し、全力で断ち切ろうとして振り下ろしたその刃を――
土に染まる手が、あっさりと受け止めた。
気が付けば、向こうにいた先生の姿は無い。いつの間にか私の足下にしゃがみ込んでいる。
むき出しの刃を二本の指で挟んで止めていた。
「……大丈夫だ。この植物は君を食うつもりじゃないんだ」
そう言った先生は、二枚葉の間に指先を入れて、ゆっくりと開いていく。刺さった何本もの歯が外れる瞬間に痛みを感じたけれど、それはすぐに無くなった。
先生は優しく外された葉を畑に戻すように押し返している。
「こいつは、虫を狙っただけなんだ」
「……虫、ですか?」
「ああ。畑の害虫対策に食虫植物を入れたんだが、たまたま君の足に止まった虫に反応したんだ。まさかこんなことになるとは……少し命令を変えた方がいいな」
先生はそう言いながら、優しい瞳を食虫植物に向け、葉を撫でた。
そして、思い出したように私が振り下ろした剣をぱっと離した。
たたらを踏むように、私はよろめく。
「すまなかった。ゴボウで受け止める前に手を使ってしまった……反則かな?」
「……手……ケガしてないんですか?」
「大丈夫だ」
「だ、大丈夫って……素手で剣を受け止めたんですよ? しかも私……マナまで使ったのに」
「大丈夫だ。草刈鎌に比べればあれくらいなんともない」
「…………」
剣を受け止めたその手は確かに無傷だ。ゆっくりと足に付いた虫をつまみとり、食虫植物に近付ける。
しおれ気味だった葉がばっと広がり、牙を見せた二枚葉が一口で虫を挟みこんだ。
そして嫌な音を立てて、葉が閉じていく。
私は呆気にとられて先生を見つめる。
思うことは色々あった。
剣を素手で止めたこと。
虫を食べた植物のこと。
超人的な身体能力のこと。
草刈鎌のこと。
他にもまだまだある。
だけど、何から聞いていいのか分からなかった。
そんな時、肩に何かが降りてきた。
火妖精のフラムさんだ。彼女は小さな口を私の耳に当ててつぶやいた。
「少しは分かった? 主様は普通の物差しじゃ測れないよ? もしこれ以上知りたいなら、一緒に畑仕事をしてみるのがおすすめ。……そしたら、すぐ名前も覚えるはずだよ」
フラムさんはにこにことほほ笑みながら、目の前の光景を眺めた。
先生が優しい手つきで葉を一枚一枚撫でている。
私は少しだけ迷いつつも、剣を鞘に納め、先生の隣に移動してしゃがみこんだ。
そして――
「アンディ先生……私にも畑仕事を手伝わせてください」
「ん? それは手合せより大歓迎だ。レイチェルも草むしりの重要性に気付いてくれたようだな」
「いえ……草むしりは別に」
私はじくじくと痛む足首のことを忘れて自然と微笑んだ。
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