第28話 雇われ冒険者はネクロマンサーと出会う
アンリエットが腕の中で「私も走る」と言ったが無視する。
降ろす余裕はない。『逃げ足のヒュー』と揶揄されるほどに俺の逃げ足は速いが、敵はその上をいくようだ。
人を一人抱えていることを差し引いても、このスピードの差。かなりの強者に違いない。
背後から徐々に徐々に迫ってくるのを感じる。背中を虫が這い上るようなぞわぞわとした嫌な感覚が強くなっていく。
「なんてこった……」
毒にも薬にもならない言葉をつぶやいた。夜の冷気が嘲笑うように頬を撫でた。
走る距離が伸びるほど、敵の強さをひしひしと感じる。
「ごめん……私のせいだよね」
「そういう反省は逃げ切ってからしてくれ。今はっ――」
屋根の淵を片足で蹴り飛ばすように跳んだ。踏み台としたレンガ屋根がずれた感覚がしたが、なんとか空中で姿勢を立て直す。
そして屋根に着地。
住人が目覚めるくらいの衝撃が伝わっただろう。
「ティルがあんなに警戒してたのに……」
「あとだ、あとっ! 先に逃げる方法を考えてくれ!」
しょげるアンリエットの気配を感じたが目は向けない。なぜか足を止めたら追いつかれる気がするからだ。
俺の両目はフル稼働で次の逃げ場を探す。ゆっくりとだが、確実に追い込まれていた。
酒場とは真逆の、人気の無いエリアに移動させられている。
追跡技術まで身に付けた敵だろう。
建物の中に飛び込めば撒けるんじゃないか、と脳内で囁く声が聞こえたが即座に却下する。
このレベルの敵がそんな初歩的な作戦でどうにかなるとは思えなかった。
次に跳んだ一瞬の合間に、横目で敵を伺う。
顔に包帯を巻いた鎧姿。
同じく包帯を巻いたローブ姿。
そして、鎧姿は背中に誰かを背負っている。
「……鎧着て、人背負って、この速度かよ……本気でやべえな」
ハンデは俺以上だが、向こうの方が早い。
もしも自分一人ならどうだろうか。
「いや、厳しいだろうな……」
「ティル?」
ますます手が無い。こうなったらアンリエットを先に逃がすしかねえ。
「……ティル、変なこと考えてない? 私、戦うよ?」
「バカ言え。未知数の敵と戦うのは危険だ」
「でも、私だけ逃げるくらいなら、戦うよ」
「…………あっそ」
ちらっとアンリエットの顔を見れば「当然でしょ」という言葉が返ってきた。
……さすがに読まれていたか。
これだから長い付き合いってのはやりづらいんだ。昔に一度その手を使ってしまった俺が悪いんだが。
切り札は何度も見せるなってな。
仕方ない。作戦変更だ。
負け惜しみを込めて、吐き捨てるように言う。
「そんなこと考えてねえが、もう追いつかれるのは確実だ。……ばらすぞ」
「人を呼ぶの?」
「相手はお尋ね者だろう。人気の無いエリアに追い込まれてる以上、住民にばれれば都合が悪いはずだ」
「……どうやって反対のエリアに渡るの?」
「俺が足止めするから、お前がでかい魔法を放て。どこに放つかは任せる」
「……了解」
お前も危険だぞ。
ティルはもっと危険だね。
うまく行くかな?
やるしかねえ。
長い付き合いだ。一瞬目を合わせれば、会話以上の情報が分かり合える。
これだから悪くねえ。って、言ってること変わってるな。
「いくぞっ!」
俺はさらにスピードを上げて直線に数秒走る。と同時に足を止め、全力でアンリエットを真横に投げ飛ばした。
即座に剣を抜き振り返る。鞘走りの音が、さび付いた戦闘の感覚を覚醒させてくれる。
パーティメンバーにも秘密の、単独でSランクの剣士の力を見せてやろうじゃないか。
じいさんの一番弟子を舐めるなよ。
「きやがれっ!」
***
「ん……何が……」
意識がゆっくりと戻ってきた。
頬には冷たいレンガが当たっている。うつ伏せになっているようだ。
手は……動かない。
「――っ!? アンリエット!」
仲間のことを思い出し、一気に体を起こした。
しかし、すぐにまた屋根に押し返される。
とてつもない力が首の後ろにかかっている。今さら気付いたが、後ろ手に紐で縛られ、足首も何かで縛られている。
そして――
「tのあうrたq」
目の前に骸骨の顔が現れた。
驚きのあまり息を呑みかけたが、ぐっと我慢する。驚いている場合じゃない。
なんてことだ。敵は人間じゃなかった。
脳裏に一瞬のやり取りがフラッシュバックする。
――俺は確かに、剣を抜いた。
だが、振り返った先に敵の姿は影も形も無かった。そして、俺の後頭部が硬質なものに捕まれたと思った瞬間に、口の中に何かを押し込まれた。
瞬く間に口内に広がった、強烈すぎる甘味とうま味。
何が起こったのかも分からずに……あっさりと気絶した。
「アンリエットをどうしたっ!」
暗い眼窩に浮かぶ赤い光を睨む。
彼女の姿が見えない。
どこだ?
「たのあうたくぉwnあ」
「――――っ!?」
首を押さえられる力が少し緩んだ。アンデッドの目がとある方向に向けられる。
そこには――
「アンリエット!」
彼女が屋根の上で倒れていた。
腹部を殴打でもされたのか、吐しゃ物のようなものが彼女の口から流れ出ている。
腹の底が熱くなり、怒りがこみ上げた。理性も失いそうになった。
だが、かろうじて冷静な部分が引き止める。必死に抑えつけて状況を伺う。彼女はまだ死んではいない。そう言い聞かせる。
「ちょっと、ひどいことしてないですよね!? 捕まえるだけでしょ!」
目の前のアンデッド二匹をどう始末してアンリエットを助けるか。そればかり考えていた俺は、突然の場違いな女の声に思考が停止する。
アンリエットを見下ろすように立っていた鎧の骸骨が、背負っていた者をゆっくりと降ろした。
それはブランケットを体に巻いた華奢な人間だ。骸骨ではない。
「うわ……屋根の上って怖すぎます……風強いのによく動けるなぁ。イエローワン、落ちないように手を握って」
「わおい」
奇妙な光景だ。
田舎娘が、巨大な鎧姿の骸骨にエスコートされているようだ。
しかも骸骨はなぜかブドウを咥えて……いや、歯に刺している?
ん? 待てよ……この娘はどこかで……
「あぁっ! 今日、野菜買いに来てくれた方ですよね?」
「……え? あっ! あんた、セドリック商店の看板娘か!」
「その呼び方は恥ずかしいですけど……セドリック商店のティアナです。こんなところで会うなんてびっくりです……」
「…………それはこっちの台詞だ」
冷めたい夜の空気が、目に見えて冷え込んだようだった。何とも言い難い時間が二人の間で数秒過ぎた。
骸骨二体はずっと無言のままで直立不動だ。
ネクロマンサーと思しき娘が、それを見て微妙な顔で微笑んだ。
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