第7話 2-6

 翌朝、ディミトリアスは約束通りグラディウム家を訪れた。執事によって案内された侯爵の執務室には、何故かクロエが。

 彼女も内容を知らされていないのだろう。その顔からは戸惑いが見て取れる。

 そういえば…エマリアはどこだ?部屋のどこにも見当たらない。


 「あの…エマリアは?」

 「………」


 ジョルジオはその質問には答えず、代わりに深く息を吐いた。

 その態度にディミトリアスは益々困惑する。何か自分は失態でもしたのだろうか。


 暫しの間の後、彼は徐に一枚の封筒を取り出すと、それを机の上に置いた。


 「えっと…これは「エマリアが手紙だ」…は?今なんと?」

 言葉の意味がわからない。


 (─残していった?誰が?エマリアが?何のために?)


 ジョルジオは混乱するディミトリアスからクロエに視線を向けると「お前の婚約者は彼に決まった」と告げた。


 今度はクロエが混乱する番だ。

 「な…何を言ってますのお父さま…お…お姉さまがデミ兄様の婚約者ではありませんか!!」


 「…エマリアが望んだことだ」

 侯爵は苦しそうに目を伏せた。

 「な…」

 ディミトリアスは動揺で次の言葉が出てこない。隣のクロエも驚きのあまり口を両手で覆っている。


 「エ…エマリアが何を」

 「…君とクロエが一緒になることをだ」

 そう話すジョルジオの強く握りしめられた両手が、彼の苦悶を表していた。


 「…なぜ」

 「何故だと?」

 ディミトリアスの溢した言葉に彼がピクリと反応する。

 「君はそれを望んでいたのではないのか?」

 「─っ!」「…え」

 ディミトリアスが息を飲んだのと同時にクロエから戸惑いとも歓喜とも取れる声が漏れる。


 「心当たりがないとは言わせないよ?」

 そのジョルジオの言葉が衝撃的で即座に否定できない。その間こそが彼の答えなのだと喜ぶクロエとは反対に、侯爵の顔は複雑そうだ。


 (な…なんで…いや..それより…い…いつから…)


 「エ…エマリアと話を」

 「…残していったと言っただろう」

 「─っ…まさか」

 言葉の意味を理解し青ざめるディミトリアスとは対称に、クロエは未だ状況がわかっていない。


 再度深くため息を吐いたジョルジオに肩がビクッと反応する。

 「..私は侯爵であると同時に一人の父親でもある。娘の幸せを望むのは親として当然だと思わないか?」

 「......」

 「クロエが君に想いを寄せているのは知っていた」

 ジョルジオの言葉に言われた本人は恥ずかしそうに頬を染める。


 「だが君とエマリアは仲がいいように見えた。姉妹での婚約の変更は外聞も悪い。だから…この子には可哀想だが他に良い相手を...そう探している間にエマリアが...あの子が婚約はまだ待って欲しいと言い出した。そのうちこの子の好きな相手と婚約できるからと」

 ジョルジオはそこで一旦言葉をきった。


 「…あ..あの「当時私はあの娘の言う意味がわからなかった…子供だからまた新たに好きな相手が出来ると思ったのか…はたまたデビュタントでいい人に出会えるかもしれないという意味なのか……どちらにせよ早々に決める理由も無い。様子を見て判断しようと思っていた…」……」


 何か言わないと──口を開いたディミトリアスの言葉はジョルジオによって遮られる。


 「君が我が家に来る頻度が減ったぐらいだろうか、あの娘は何か思い悩むようになった。尋ねても大丈夫と言うばかり…もしや君と何かあったのかと聞いても首を振るばかり…まぁ会えば仲良さそうにしているから、それは杞憂に終ったが…理由がわかったのは君がクロエのデビュタント衣装を贈った時だ…」

 その時を思い出しているのか、ジョルジオは悲しそうに目をふせた。

 「…エマリアは私の執務室に来て言ったのだ。君との婚約は無かったことにして、クロエと婚約させて欲しいと」

 「「!!!!」」

 二人が同時に息を飲む。


 「いくら将来家族になると言っても君はまだエマリアの婚約者であって、クロエはその妹だ。初めにあの娘から話を聞いたときは正気を疑ったよ。はっきり言って過ぎた行為だ...君もわかるだろう?」

 「…はい」

 あの時の行動を思い起こし、ディミトリアスは己の失態を恥じた。

 「本来ならその家族や婚約者が贈るべきものを君はクロエに贈った…まぁデビュタントで着なければいいだけのことだ。しかしクロエは我が家が用意したものではなく君が選んだものを着たいと言った」

 「だって…せっかくデミ兄様が選んでくれたんだもの……」

 「お前はその歳になってもまだ分からんのか…」

 「え…?」

 「いいか?社交界というのは常に気を張っておかないと些細なことがスキャンダルとなり足元を掬われかねん所だ。そんな場所に姉の婚約者が選んだドレスを着て行ってみなさい。事実はどうであれ、周りは面白おかしく噂するだろう」

 聞かされた内容に顔を蒼白にするクロエ。そんな彼女に侯爵はため息を吐く。

 

 「お前が彼のドレスを選んだとき、エマリアは私のところに来て告げたのだよ…とね」

  ジョルジオは切なそうに彼女の残した手紙を見つめる。

 「私はもちろん反対した…きちんとした披露はしていなかったが周知の事実だったし、君のところの父君もエマリアを望んでいた。しかし…あの娘が言うんだ〝君とクロエは想い合ってる。私は邪魔者でしかない〞と」


 「…読んでも?」

 震える声で許可を貰うとディミトリアスは緊張した面持ちで彼女からの手紙を開いた。


 そこには、ディミトリアスとクロエが惹かれ合っていることに気づいており、自分という存在が二人の障害となっていること。自分とは政略なので、家同士の結び付きを考えるならクロエでも問題ない──ならば邪魔な自分は身を引こうと思ったことが綴られていた。


 (邪魔だなどと...)

 思わなかったといえば嘘になる。


 (それでも...っ..それでも...こんな形でクロエと結ばれることを望んでいたわけではない!)


 ディミトリアスはエマリアにしてきた行いを酷く後悔した。

 読み進めるうちに手紙を持つ手に力が入り、握りしめた両手からは血が滲む。痛みが走るが、彼女の心が受けた痛みはそれ以上だっただろう。


 最後の方には、この件が落ち着いたら帰るともあった──本当だろうか。


 「...っ」

 手紙を読み終えたディミトリアスは、懺悔するように両手で顔を覆った。その際、手紙が床に落ちる。


 それを拾ったクロエも読み始めた。

 

 「...あぁ..お姉さま」

 この時になって初めて、クロエは姉の気持ちを考えた。

 小さな頃からの馴染みとはいえ、姉の婚約者に対する態度ではなかった。成長していくとともに、適切な距離を取るべきだった.....自分の想いを優先すべきではなかったと。


 しかし、エマリアはそんな彼女を責めることなく、むしろ彼女の幸せを願って行動していた。


 「...あぁごめんなさい...お姉さま…ごめんな..さ......い」



 室内を重い空気が満たす中、侯爵の「行動の先には人がいるということを忘れるな」と言った言葉が響いた。



 あの後どうやって帰ったのか、ディミトリアスは自分を出迎えた執事の声で我に返った。


 「お帰りなさいませディミトリアス様。…お手紙が届いております」

 そう言って差し出されたのは、グラディウム家の封がされた一通の手紙。慌ててそれを受け取り宛名を確認すると、やはりエマリアからだった。

 焦る気持ちで開けた手紙に書かれていたのは一言のみ。



 【あなたのことが好きでした】



 

 「あぁ……知っていた…知っていたさ」

 前世の記憶にとらわれ、蔑ろにしてしまった彼女からの手紙こくはく。これまでの自分なら面倒だと捨てていただろう言葉が、ひどく胸に突き刺さった。

 その瞬間、ディミトリアスは大きな概念にとらわれることになる。

 

 

 ──エマリアの為に、










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